本書では、お墓に向かうときの「こころ」を、作法という「かたち」で表現してみました。ぜひ、「こころ」と「かたち」の大切さを忘れずに、お墓について考えていただきたいと思います。
お墓には「尊厳性」「永続性」「固定制」の三つの役割があるとされています。
*家長制がなくなり、核家族化が進み、都市へ移動が増えて、田舎の墓は誰も見る人がいなくなった。
そもそも〈つながり〉や〈縁〉というものは、互いに迷惑をかけ合い、それを許し合うものだったはずです。
「迷惑をかけたくない」という言葉に象徴される希薄な〈つながり〉。
日本社会では〈ひとりぼっち〉で生きる人間が増え続けていることも事実です。
「子どもたちや孫たちに、自分がどこからこの世に生まれてきたのか、決して一人だけでこの世にいるのではない、先祖があってこそなのだ、また自分もやがてはあの世に行って、そんな先祖の一人になるかもしれない、ということを学ぶ良い機会となり、貴重な体験ともなるに違いない」
お墓参りについて 新谷尚紀『先祖供養のしきたり』(ベスト新書)
雨の日に玄関に打ち水をしていたとき、それを見た外国の賓客が「雨の日に水をまく必要はないのに、なぜ」と質問したそうです。それに応えて、「これはお浄めです」と玄関で打ち水をしていた人がいわれたそうです。まさにこれこそが日本人です。
面白かったのは、日本人に心理カウンセラーが普及しない理由として、お仏壇を例に挙げていたことです。カトリックは心理カウンセラーの役割を神父に懺悔することで果たしていたが、その習慣がないプロテスタントが多いアメリカでは心理カウンセラーが必要になったというのです。
墓の無縁化→家族の意識が先祖や過去より子孫や自分の死後など未来に向けていること
そういったお墓信仰と遺骨信仰は仏教とはたしかに無縁です。しかし、「招魂再生」を掲げる儒教の影響を強く受けています。儒教はこれまで宗教ではなく、単なる道徳としてとらえられてきました。
しかし、それは完全な誤解であり、儒教ほど宗教らしい宗教はありません。儒教が宗教であることの最大の証明とは、ずばり葬儀を行うことです。
*葬式仏教→葬式仏教とは、葬式と法事だけを表面的にとりおこなう、現代の仏教界を批判して使われる言葉です。 本来の仏教は、葬礼を重視するような教えはなく、救済や真理を追究する宗教であったはずが、現代の日本においては、”葬儀のために寺があり僧侶がいる” といった状態になってしまっていることを、揶揄して使う表現でもあります。(ウィキペディア)
*日本仏教が葬式仏教へと向かう大きな転機は、江戸幕府が定めた檀家制度である。(ウィキペディア)
*アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。— 大般涅槃経
孔子は、人間にとって最も親しい人間とは、その字のとおり「親」であると述べました。そして、その最も親しい親の葬儀をきちんと挙げることこそ、「人の道」の基本であるという価値観を打ち出しました。
南都六宗の寺(法隆寺、東大寺、興福寺、薬師寺など)には、実は墓地はありません。当然、お墓もありません。
「日本の仏教が葬式仏教への道を歩むうえで決定的な要因となったのが、一つは浄土教信仰の浸透であり、もう一つが禅宗による葬儀の開拓である」
島田裕巳『0葬』(集英社)
(禅宗の)僧侶たちが修行に集中するためには経済的な基盤がほしい。そこで思いついたのが、修行途中で亡くなった雲水の葬儀の方法を俗人の葬儀に応用する道だったのです。ここに日本独特な仏教式の葬儀が確立されました。この禅宗の仏教式葬儀が、臨済宗だけではなく、天台宗、真言宗、さらには浄土宗にも広がっていきます。
結論だけを言おう。⑴儒教文化圏(日本・朝鮮半島・中国など)では、土葬が正統である。それは儒教的死生観に基づいている。⑵火葬はインド宗教(インド仏教も含む)の死生観に基づいて行われ、火で遺体を焼却した後、その遺骨を例えばガンジス川に捨てる。日本で最近唱えている散骨とやらは、その猿まねである。⑶日本の法律でいう「火葬」は遺体処理の方法を意味するだけ。すなわち遺体を焼却せよという意味。
加地伸行「土葬をめぐる意外な議論」産経新聞
東北の方々よ、遺体土葬は決して非常手段ではない。いや、それどころか、むしろ伝統的であり死者のための最高の葬法なのである。
「喪は其の易まらんよりは寧ろ戚めよ」(論語)
葬儀のときは、行き届きすぎるよりも、哀しみで段取りがずれるほうがいいのだ」
檀家制度は、もとを正せば一六一二年にキリスト教禁止令を出した江戸幕府の宗教統制政策がはじまりです。
*妻の先祖代々の墓(綾野姓)に「慶応」(1865~1867)という年号有り。
カロート(お墓で、遺骨を納める納骨室部分のこと)
仏教の影響で火葬が始まると、九世紀に淳和天皇などは遺体を火葬にし、お墓を造らず、遺灰は林野にまいてほしいと遺言しました。
中世では浄土真宗の祖、親鸞がお墓を造らず、「賀茂川の魚に与えよ」と遺言しました。
また中世まで、庶民は遺体を林野などに放棄するのが慣例で、お墓を造るようになったのは檀家制度が普及した江戸中期からのことに過ぎません。
明治前期までは、一体ごとに埋葬する土葬が多かったせいか、個人の戒名を刻む個人墓が主でした。しかし、明治三十年の伝染予防法によって火葬が広まり、一つのお墓に何人も家族の骨を納める家族墓が一般化したのです。
海洋葬→十二カイリの外
「死んだら木になってもりをつくろう」というエコロジカルなイギリスの葬法は一九九四年に登場しましたが、これと同じ発想から生まれたのが一関(岩手県祥雲寺)の「樹木葬」です。
山口県萩の曹洞宗宝宗寺は、「樹木葬」のメッカとして有名です。現在までに二八世四〇〇年ほどの歴史があります。
衛星ロケットに故人の遺骨を乗せて、地球軌道上に打ち上げるというメモリアル・サービスが「天空葬」と言われるものです。
二〇一四年にはエリジウムスベース(本社サンフランシスコ)が日本での営業を開始しました。費用は一九九〇ドル、約二十万円です。
*「天空葬」のヒント提供者が一条真也氏の由。
「お墓をゴミにしない努力」もまた、子孫にとって、お墓の継承という義務です。
親の葬儀を出すのは子供の務めです。(子は)決して迷惑などと思っていません。
わたしには、埋葬とは「文化」のシンボルであり、お墓とは「文明」のシンボルであるように思えます。
民族学者のファン・ヘネップは、葬儀が死者を生者の世界から分離し、新しい世界に再生させるための通過儀礼であることを指摘しています。
葬儀とは霊魂のコントロール技術なのです。
「来年も来るからね」
*印は抜粋者のコメントです。
*平成二十九年一月六日抜粋終了
本当に知らなかったです。
教わりました。