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はじめての哲学

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抜粋 佐藤航陽『未来に先回りする思考法』 ディスカバートゥエンティワン 2015

2017年12月30日 | ビジネス


はじめに

 宇宙船? そんなものは夢のまた夢だ。


 「飛行機の実現までには百万年から一千万年はかかるだろう」
ニューヨーク・タイムズがこの記事を掲載してわずか数週間後、ライト兄弟は空を飛び、この予測を覆しました。


 なぜ、人々はこうも繰り返し未来を見誤るのでしょうか。
 その原因は人々の「思考法」にあります。人は、今目の前で起きていることからしか将来のことを考えることができません。……現在の景色という「点」を見て考える未来予測はだいたいにおいて外れます。


 彼らは現在という「点」を見て考えるのではなく、長い時間軸から社会の進化のバターンをとらえ、その流れを「線」としてつなげて、意思決定をしています。


 バターン認識能力 点ではなく線で考えろ



第1章 テクノロジーの進化には一本の「流れ」がある


 すべてのテクノロジーは、何らかの形で人間の持つ機能を拡張してきました。


 深層学習


アウターネットの動向
 たしかに、いつ終わるかわからない各国の通信キャリアによるネット回線の整備を待つよりも、宇宙空間から自分たちでネットを提供してしまうのは合理的な判断です。


 一般的に宇宙とは、地上から100キロを超えたあたりからを指すので700キロ以上はなれた衛星に対しては、国家も制空圏を主張できません。


 ラプラスの悪魔


 結局、アイデア自体は、将来における「点」なのです。そのときは突拍子もないように思えても、時間の経過とともに、技術面や価格面でのブレイクスルーによってピースが埋まっていき、いつかどこかで進化の「線」に取り込まれます。問題はそのタイミングがいつかということです。


タイミングが早すぎれば、コスト、技術、品質、倫理などの面で社会に受け入れられることはなく、逆に遅すぎれば成果はすべて他人に持っていかれてしまいます。


 一般的には、電気を発明したのはエジソンとされていますが、現在主流になっている交流電流を発明したのがニコラ・テスラです(エジソンが発明したのは直流電流です)。


ニコラ・テスラは、19世紀中期から20世紀中期の電気技師、発明家である。交流電気方式、無線操縦、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなど多数の発明や、「世界システム」なる全地球的送電システムなど壮大な提唱もあり、磁束密度の単位「テスラ」にその名を残している。 ウィキペディア


 (テスラの)無線送電の技術は、2015年3月に日本の三菱重工が実験を成功させています。


 テスラ1904年の発言
「ポケットに入れて持ち運べる安価で操作の簡単な装置」



第2章 すべてを原理から考えよ


 イスラエルのイノベーション能力
 「必要性Necessity」


 イスラエルでは危機が日常です。(ハングリー)


・要は、今の日本社会には、イノベーションが起きるだけの「必要性」がないのです。
 ・イノベーションをする「差し迫った必要性」が日本社会には存在していないのです。
 ・本当に「イノベーション」が必要なのは、国家や国民単位でしか物事を捉えられない価値観
だと、私は考えています。


 情報も人も自由に行き来が可能な現代において、実質的に国境はすでに消えつつあります。


 今の時代に当然とされているものを疑うことができるという能力は、未来を見通す上で重要な資質です。


 これまでつながっていなかったノード同士が相互に結びつくことで、情報のハブであった代理人の力が徐々に失われていくというのが、これからの社会システムの変化を見通すうえでの重要な原理原則です。


 テクノロジーが境界線を「溶かす」


 たとえば、ビットコインは数世紀触れられることのなかった国家の通貨発行権にメスを入れるものです。


テクノロジーが溶かし始めている境界線
・Google 検索システム
・Facebook 信頼性担保


 この資本主義の原理に則れば、巨大化したグローバル企業は、いつしかこれまで各国家が満たしてきた需要まで、自らの成長のために侵食していかざるをえなくなります。


 「社員」というものもまた、テクノロジーにより解体されうる、過渡期のシステムにすぎません。


 インターネットや金融といった地理的な要素に縛られない産業が経済の中心になるほど、領土という要素の重要性は下がっていきます。


 2014年に香港で起こったデモをきっかけに有名になった、Firechatというアプリをご存知でしょうか。このアプリの特徴は、メッシュネットワークという携帯端末そのものを経由したネットワークを通じて、通信会社の回戦を使わずにコミュニケーションを交わせる点にあります。これにより、政府はついにインターネットを遮断してもコミュニケーションを封じることも、検閲することもできなくなりました。


FireChatはインターネット接続がない場所や、携帯電話の受信圏外にいても使用することができます。飛行機、公共交通機関、クルージング船、キャンパス、混雑したイベント会場など、どこでも使用できます。必要なのはFireChatを使用している数人のユーザーだけです。

他の人と自動的につながり、公開または非公開のコミュニケーション用のあなた独自のネットワークが作成されます。アプリを使用する人が増えれば、あなたのネットワークもさらに大きく、高速になります。

安定したインターネット接続や携帯電話データ通信ネットワークにアクセス可能な場合は、FireChatで世界中の人々が繋がれるため、どのソーシャルネットワークよりも素早く、無料でネットワークを構築することができます。

FireChatでは素早くネットワークを拡大できるので、リーダー、アーティスト、コミュニティー、組織(ニュース、文化的、人道的、スポーツなど…)に愛用されています。FireChatは大人数のグループと瞬時にコミュニケーションをとることができ、目標達成を助けます。

お友達数人と一緒に今すぐFireChatを入手して新しいことを始めてみませんか。(Google Play)


 結論から言えば、各国政府が警戒しているのは、GoogleやAmazonという単体の企業ではありません。背後に存在するアメリカです。


 今、上位の先進国が警戒するのは、となりの小国ではありません。場所を選ばずビジネスができるグローバルIT企業なのです。


 NSA=人員10万人、5兆円という予算規模をもつアメリカの諜報機関


 政府が得意な分野は政府がやり、企業が得意な分野は企業に任せる。国家と企業は競合になる一方で、互いの境界線はいまや融解し、共生関係を構築するようになりつつあります。「国家の企業化」と「企業の国家化」の両方が、現在進行形で進んでいるのです。


 ビットコインの登場は、中央銀行というシステム(通貨発行権)そのものを否定するものであったため、世界に大きな衝撃をもたらしました。


 つまり、通貨発行権を失うことは徴税権を失うことに近いのです。結果として、国家はそのあらゆる権力の源泉をうしなってしまうことになります。だからこそ国家は、これだけビットコインを怖れているのです。


 これから企業や組織が電子マネーやポイントを発行して独自の経済システムを構築していくと、国家はますます国民の資産状況や収入状況を正確に把握することがむずかしくなってきます。


 エストニア=選挙をスマホで実施
 シンガポール=政府自ら投資事業


 中抜きされる選挙と議会=面倒な調整や決議や予算獲得などのプロセス⇨議員や官僚不要


 実際はビジネスも政治も、目的はまったく一緒で、そのアブローチが異なるだけです。何かに困っている人たちの二―ズを汲み取り、その解決策を提示するというプロセスは共通しています。


 「社会起業家」とい言葉が普及してきたのもこの流れのひとつです。これまでは政治の領域で解決されていた問題を、起業家がビジネスの領域で解決しようとする試みが、最近増えてきています。


 本当に考えなければいけないのは、どのようなシステムであれば民意をスムーズに汲み取れるか、社会の問題を効率的に解決できるかです。惰性だけで従来のやり方を踏襲し続けることに意味はありません。今考えるべきは投票率を上げる方法ではなく、時代に合致しなくなったシステムに変わる新しい仕組みの方でしょう。


 たとえば、SNSは今まで定量化できなかった「他者からの注目」という価値を数字に換算することを可能にしました。
 月間の利用者が1000万人以上いるけれども、売り上げは0円というアプリがあったとします。このアプリを開発する企業は、たとえ売り上げが0でも数百億円の企業価値がつく可能性があります。


 インターネットが誕生する前は、こういった信用や注目度を正確に数値化することが困難でした。しかしネットの普及で様々な価値がデータとして認識されることで、それらのデータ自体が、まるで通貨のような働きをし始めています。


 しかし、現在の会計基準では情報(サ―バー上のログ)を資産として計上することは出来ません。Googleの本当の意味での資産は財務諸表には載せられないのです。


 財務諸表という、すべてがデータ化される時代の前に作られた指標だけでは、すでに正確な企業の価値を測れなくなりつつあります。データを扱う企業にとっては、情報=価値なのです。


 今、私たちの社会は情報技術の普及とともに「貨幣」を中心とした資本主義から貨幣換算が難しい「価値」を中心とした社会に移行しつつあります。


 ここでは、資本主義の次にやって来る社会を、ひとまず便宜的に「価値主義」とでも呼んでおくことにしましょう。


 ユヌスは、マイクロファイナンスという手段でそれを収益の出る、持続性のあるビジネスに置き換えました。


 経済的な活動には「公益性」求められるようになり、政治的な活動にはビジネスとしての「持続可能性」が求められる。


 あるシステムは、社会に浸透してしばらく時間が経つと「どんな必要性を満たすために生まれたのか」という目的の部分がかすんでしまい、そのシステム自体を維持することに目的がすり変わってしまうというのも、繰り返し見られるバターンです。


 目的が形骸化したシステム(政治)に対しては、目的をより効率よく満たす手段(ソーシャルビジネスなど)への迂回が一層進んでいくでしょう。



第3章 テクノロジーは人類の敵なのか


 今後はテクノロジーが、労働など今まで人間にとっての存在理由だったものを奪っていき、止まらないイノベーションにより自分の存在価値が否定されていくような不安を抱く人が増えてくることでしょう。


 であれば、労働することにこだわらず、労働所得への依存度を下げていく方向性も考えられるのでは、というのがそのご指摘への答となります。


 テクノロジーによる効率化は労働者にとっての収入を減らす可能性があるのと同時に、消費者に対してのコスト削減というメリットももたらします。


 理論上はネット上に限らず、あらゆるサービスは価格競争の末、無料に近づいていきます。


 現在の労働環境を無条件に「当たり前」と受け入れる議論に、意味はありません。それらは、次の「当たり前」が作り出されるまでの過渡期の話なのです。


 Facebook側にとっては、自社サービスの利用者が増えるのであれば、長期的には収益がコストを上回るという算段があるからです。


 このように政府を通さない形でベーシック・インカムを実現するためには、次の五つが欠かせません。

❶資本主義の持つ欲望のエネルギー
➋行政の持つ公益性
❸市場競争による形骸化抑止
❹営業利益による持続可能性
❺ITの持つコストメリットとスケーラビリティ


 シンギュラリティ=人工知能が人類の知性を超えるポイント


 テクノロジーとは、単独で存在するものではなく、最終的には人間そのものと融合することが運命づけられたものです。


 しかし、進化の歴史を見ていけば、テクノロジーによって、私たち人間自身もまた次の進化のプロセスに向かって動かされていると考えられるのです。


 カーブのいう「かっての直線的思考プロセス」である。冷静で、集中しており、気をそらされたりしない直線的精神は、脇へ押しやられてしまった。代わりに中心へ躍り出たのは、断片化された短い情報を、順にではなくしばしば重なり合うようなかたちで、突発的爆発のようにして受け止め、分配しようとする新たな種類の精神である。


 ハッカー集団は、ハッキングという脅威を活用して世界の抑止力になろうと考えているのでしょう。ちょうど国家が警察権や軍事力によって犯罪の抑止力になっているように。


 進化は「必要性」によって生み出されるとすれば、最も強い「必要性」は生存欲求です。生死がかかっている戦争では、最も強い「必要性」が発生し、結果的に技術は飛躍的に進歩します。


 推奨→アルバート=ラズロ・バラバシ『新ネットワーク思考』


 人々の持つ価値観が切り替わるタイミング、それは技術の実現する利便性が、人々の抱く不安を上回った瞬間です。



第4章 未来に先回りする意思決定法


 時代の急速な変化によって、かつて自分が選んだ道が最適解ではなくなっているということはたびたび起こります。


 世の中の流れを読み、今どの場所にいるのが最も有利なのかを適切に察知する能力


 より大きな規模で何かを成し遂げる場合には、世の中の構造を理解し、風向きを読む力の方がより重要になってきます。


 未来に先回りする重要なこと
❶常に原理から考える
➋テクノロジーの現在地を知る
➌タイミングを見極める


 物事がうまくいかない場合、バターンを認識するために必要な試行回数が足りていない場合がほとんどです。


 一回一回の成否に一喜一憂せずに、パターンと確率が認識できるまで「実験」だと割り切って量をこなすことが重要です。

ロジカルシンキング
 構築できる「ロジック」は、その人がかき集められる情報の範囲に依存するという危うさをはらんでいます。


 2010年→インターネットの中心がPCからスマホへ、Webからアプリへ移動


 「後付けの合理性」


 ひとたび動き出せば、新しい情報が手に入り、「認識」は随時アップデートされていきます。


 将来的に新しい情報が得られるであろうことを考慮に入れた上で、一定の論理的な矛盾や不確実性をあえて許容しながら意思決定を行うことが、未来へ先回りするための近道です。


 ただ、取り組んでいるうちにその人の知識だったり能力だったり、さまざまなパラメータ(変数)はアップデートされていきます。やる前にはわからなかったことがわかり、新しい知識を学び、頭をひねって工夫しているうちにあたらしい能力が身についたりします。結果として、自分が当初考えていたことよりも多くのことがよくきるようになっていた、というのはよくあることです。


*アップデートされるもの


 時間の経過とともに自分の認識がアップデートされる


 ルールのあるとこでは戦わない


 シリコンバレーの死屍累々


 Appleの垂直統合型ビジネスモデル
 Microsoftの水平分業型ビジネスモデル
 AndroidのOS無償配布


 私たちはただ、波がくる少し前に未来に先回りして待ち受けていただけです。


 周りの人たちが一度話しただけで、理解できるようだったら、考え直してください。逆に、首をかしげられたり、うまくいかなさそうだと否定的なリアクションをしてきたようなら、そこにこそチャンスはあります。


 政治(封建制→民主主義)においても、経済(物々交換→貨幣)においても、テクノロジー(石器→コンビューター)においても、効率の低いところから高いところへ、ひとつの流れに沿って進んでいるにすぎません。


 私たちにできることは、顕在化している課題をできるだけ早く解決する方法を見つけ、ひとつでも多くの不幸をなくすことぐらいでしょう。



おわりに――評論家になるな、実践者たれ


 すべての仮説と考察は実際に毎日の生活の中で活用し、本当かどうかを検証してみる必要があると、私は思っています。そして、もつともシビアにフィードバックを返してくれるのが、ビジネスというフィールドでした。


 変化を察知し、誰よりも早く新しい世の中のパターンを認識して、現実への最適化を繰り返しましょう。





*佐藤航陽=株式会社メタッブス代表取締役社長(早稲田・法科中退)
*平成二十九年十二月二十九日抜粋終了。






抜粋 河合雅司『未来の年表』人口減少日本でこれから起きること  講談社現代新書 2017

2017年12月18日 | 読書


第1部 人口減少カレンダー


 今取り上げるべきなのは、人工の絶対数が激減したり、高齢者が激増したりすることによって生じる弊害であり、それにどう対応していけばよいのかである。


 こんなに急激に人口が減るのは世界史において類例がない。われわれは、長い歴史にあって極めて特異な時代を生きているのである。


 日本の喫緊の課題
  ①出生数の減少
  ②高齢者の激増
  ③社会の支え手の不足
  ④これらが互いに絡み合って起こる人口減少


「静かなる有事」


 出生数の減少も人口の減少も避けられないとすれば、それを前提として社会の作り替えをしていくしかないであろう。求められている現実的な選択肢とは、拡大路線でやってきた従来の成功体験と訣別し、戦略的に縮むことである。


 われわれが目指すべきは、人口激減後を見据えたコンパクトで効率的な国への作り替えである。










 未婚や離婚の拡大が止まらない以上、ひとり暮らしが日本の主流になることは避けられないのである。それは「家族」消滅の危機でもある。「家族が社会の基礎単位」という考え方も成り立たなくなり、社会への影響は計り知れない。


 戦後の日本は核家族化が進んできたが、少子高齢化が重なることで、過去には想定されることのなかった問題が一気に噴き出してきている。その代表例が「老老介護」だ。


 それは同時に、全国から有能な人材を集めた東京が企画開発や研究といった生産性の高い仕事を行い、地方には部品生産などを任せるという分業で成り立ってきた。必然的に、地方は低賃金の単純労働が中心となり、高度な知識やスキルを身につけた人の働く場は少なくなってしまったのでる。


 認知症を患いながらひとりで暮らす高齢者世帯の増加も進む――そんな社会がどのようなものか、一度想像してみてはいかがだろうか。


 「人が亡くなれば、親族が引き取り、弔う」というかっての〈常識〉が崩壊し始めているのだ。


 こうしたアンバランスを考えれば、退職後は東京から地方に「脱出」するのも一つの選択肢となろう。東京一極集中と地方の人口減少という二つの課題の同時解決ともなる。


 だが、2042年ごろの日本社会は、「2025年問題」よりもさらに深刻な状況に置かれそうなのである。


 高齢者が増える「高齢化」と、子供まったくの数が激減することを表す「少子化」とは、全く種類の異なる問題なのである。


 大都市部では総人口はあまり減らず、高齢者の実数だけが増えていく。これに対して、地方では総人口は減少するが、高齢者の実数はさほど増えるわけではない。


 これからは、豊かな地方が大都市部の人口を吸い上げる時代となるかもしれないのだ。


 食料自給率の低い日本は、食料を輸入することで、本来、食料生産に必要であった自国の水を使用せずに済んでいたのである。これを単純化して言えば、日本は〈水の輸入大国〉ということだ。


 「無子高齢化」


 人口減少社会において、外国人に参政権を認めることは、国防上の致命傷となりかねない危険性をはらんでいるのだ。



 第2部 日本を救う一〇の処方箋
        ――次世代のために、いま取り組むこと


 人々は豊かな暮らしを実現するために経験から学び、あるいは先達の智慧を借りるものである。だが、極めて特異な時代には、こうした手法は通用しない。あまりに変化が大きく、しかもスピードが早すぎるためだ。ここからの未来は、過去からの延長線上にはない。


 求められているのは、「これまでのやり方」や過去の常識を否定し、発想を大胆に転換することだ。この時代を生きる者すべてが自ら考え、解決策を絞り出す作業である。


 人間というものは易きに流れがちだ。現実逃避の心理が働くのだろうか、「目標」というより「願望」に近い甘い見通しや計画がなくならない。


 日本の難しさは、人口減少をもたらす出生数の減少、高齢者数の増加、そして社会の支え手である勤労世代の減少という、それぞれ要因の異なる三つの課題に同時に立ち向かわなければならないところにある。しかも、これらは全国一律に進むわけではない。


 生産年齢人口は今後、一段と少なくなる。2040年には5978万人、2065年には4529万人とピーク時の半分近くになる見通しだ。生産年齢人口の減り方は総人口が縮むスピードを上回る(社人研の推計)。


データー出所 社人研=国立社会保障・人口問題研究所→「日本の将来推計人口」(2017)


 そこで私は、五つ目の選択肢として「戦略的に縮む」ことを提言したい。


 小さくともキラリと輝く国


 取り組むべきは、人口が少なくなっても社会が混乱に陥らず、国力が衰退しないよう国家の土台を作り直すことである。


 人口激減後にどのような社会をつくるのか、われわれの構想力が試されている。いまこそ「二十世紀型成功体験」と訣別するときなのである。



 日本を救う一〇の処方箋
❶「高齢者」を削減
➋24時間社会からの脱却
❸非居住エリアを明確化
❹都道府県を飛び地合併
❺国際分業の徹底
❻「匠の技」を活用
❼国費学生制度で人材育成
❽中高年の地方移住推進
➒セカンド市民制度を創設
❿第三子以降に1000万円給付


 そこで仮に、高齢者の線引きを「七十五歳以上」へと引き上げてみよう。すると、2065年の高齢者の割合は25.5%にまで下がる。同時に現行十四歳以下となっている「子供」の定義も「十九歳以下」とする。いまや十五歳で就職する人はごく少ないからだ。


 しかし、わずか50年で勤労世帯が40%も少なくなるという「国家の非常事態」である。あらゆる分野において、これまでの習慣や仕組み、ルールなどを一から見直さなければ、少子高齢社会は乗り越えられない。


 不便さもまたよし


 だが、「便利さ」や「無料」とは、誰かの必要以上の頑張りや犠牲、我慢の上に成り立っていることに思いを馳せよう。商品コスト以上のサービスを享受すれば、必ずどこかにしわ寄せを受ける労働者がいるのである。


 人が住む地域と、そうでない地域とに国土を色分けし、コンパクトで効率的な国に咋り変えるのである。


 政府は地方創生で地域ごとの戦略策定を求めているが、相変わらず現行の行政区分を前提としている。
 だが、人口激減社会で求められるのは市区町村の枠組みに縛られない対応であり、住民の生活圏に即した施策の展開である。現在の自治体というのは、人口が増えるのが当たり前の時代にできたものだ。


*厚生年金基金制度は右肩上がり経済のもとで成立したが、平成一〇年過ぎから想定外の新規加入員数の漸減という事態を経て崩壊した。新たに始まった確定拠出年金にそういう隠された瑕疵があるのだろうか。


 労働力人口が減っていく以上、若き労働者を十分確保できない業種も出てこよう。出生数が減れば優秀な人材の絶対数が減るのも必然だ。ならば発想を転換し、日本の得意分野に絞ればよい。日本人自身の手でやらなければならない仕事と、他国に委ねる仕事とを思い切って分けてしまうのである。


 日本は世界の中でも極めて国産品の製品分野が多い国とされ、ほとんどの分野に国産品が存在する。少子化で人材が少なくなった後に、マンパワーを幅広い産業に分散していたのでは、成長分野はより誕生しづらくなる。それよりも、限られた人材や資本を日本が得意とする分野に集中投入し、世界をリードする産業として発展させていくほうが賢明だ。


 「大量生産・大量販売」の発展途上国型ビジネスモデルは、若い労働者が豊富だからこそ可能だった。


 世界でナンバーワンのブランドを造り、海外と直接つながるという、いわゆる「イタリアモデル」を目指すのである。


 地方発の「世界でナンバーワン企業」がこれからの日本を引っ張る。これこそ、地方創生の醍醐味でもある。


 学校教育の段階から起業家精神を育成することも重要となろう。


 一律支給・万編なくの支給は戦略欠如の典型だ。


 地方自治体が空き家や古民家を改修したゲストハウスを用意し、そこを宿泊施設として安く利用できるよう便宜を図る。


 人間ではなく、蔵書を〈地方移住〉させる「知の巨人村」構想。


 子供の数が多ければ多いほど、経済的に優遇される仕組みを導入することである。


 少子化は、国家を根底から揺るがす「静かなる有事」だ。その対策は「国家の固い決意」のもとにおこなうものであり、それがゆえに税財源で取り組むのが王道であると私は考える。


 社会保障循環制度
生涯を通じて利用した社会保障サービスのうち、税や国債など公費で賄われてきた額(公費負担分)を、死亡時に国に返還してもらい、これを少子化対策の財源として活用するのだ。


 では、現状でこの公費負担分はどこに行っているのかといえば、遺産相続によって妻や子供に移っている。この相続税の発想を根本から改めて、国が優先的に徴収する仕組みとするのである。
妻や子供など相続人は残った額、つまり死んだ人が自ら直接稼ぎ出した財産のみを相続対象とする。


 出生数の回復がなければ、日本はいずれ消えてなくなる。大胆な政策を打たずして起死回生などない。





*平成二十九年十二月十八日抜粋終了。