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タタタッ

はじめての哲学

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抜粋 東扶美子『小説 昭和元禄落語心中』 原作雲田はる子脚本羽原大介 講談社文庫 2018.10

2018年12月13日 | 説話

 与太郎は兄貴分に、落語がいかに面白いかを伝えたいと願った。いつものように客を笑わせようと焦るのではなく、ただ伝えたい一心だった。
 すると声に想いがすっと乗る。噺が奔流のように走りだした。


 外地で犯した占領の罪は、何万倍にも返ってくる怖さを。


 「さっきの『芝浜』を聴いても思った。人ってのは全て分かり合える訳がない。それでも人は共に暮らす。取るに足らねぇ詮無い事をただ分け合う事が好きな生きものなんだ。だから人は一人にならないんじゃないか」


 ふっと何かが降りてきたように、突然、マクラもなしに噺し出したのは『芝浜』


 「未練だね……まだ生きてらァ」


 噺に実を添わせるのが落語ならば、噺に真逆の嘘を当てて真実を裏から透かすのも落語の妙だ。


 季節は巡る。花は咲いては散り、なりを潜めて再び開く時を待つ。



古典落語演目
 死神 たちきり 野ざらし 出来心 たらちね 鰍沢 品川心中 明烏 五人廻し あくび指南 夢金 弁天小僧 居残り佐平次 子別れ 芝浜 寿限無 錦の袈裟大工調べ 


*古典落語は江戸時代以降、主として江戸や上方の都市に住む庶民に親しまれてきた笑いの伝統芸能であり、笑いのなかで独自の世界を作り上げる話芸には高度の芸術的表現力が必要である[2]。
落語は、江戸時代、軽めの講談、辻咄(辻芸)として京都の露の五郎兵衛らによってはじめられたといわれる。当初は短い小話中心であったが、寄席芸能として三都に定着するにつれ次第に長くなり、幕末から明治にかけてほぼ今のようなスタイルになったといわれている[2]。土地柄を反映して、あっさりとした味わいの江戸落語、派手で賑やかな上方落語とそれぞれに際だった特徴を有する[2]。このような古典落語は、明治になって三遊亭圓朝によって大成され、都市化、筆記化とともに大衆文化として花開いた。この時代の頃までに骨格の出来上がった演目が、通常は古典落語と呼ばれている。
要するに「古典落語」とは、「現代からみて古典的なネタ(演目)」のことであり、落語演目のうち「新作落語(あるいは創作落語)でないもの」を称する。これについて、第二次世界大戦後、新作落語を多く手がけた5代目古今亭今輔はしばしば「古典落語も、できたときは新作でした」と述べている[3]。これに対し、古典落語の多くは落語が生まれる以前の中国や日本の説話や伝承などから生まれたものであることに着目し、「古典落語の多くは、生まれた時から古典だった」とする見解もある[4]。
上述のとおり、基本的には江戸時代から明治・大正期につくられた作品を通常は「古典」と称するが、昭和初期の作品でも漫画「のらくろ」の作者田河水泡の手による「猫と金魚」や今村信雄の「試し酒」などはすでに古典と呼びうるほどに多くの演者によって演じられてきた演目であり、古典と新作(創作)を厳密に分けることは難しい[1]。
古典落語は長い間、庶民にとって身近な娯楽であり、大戦後は、ラジオ寄席、TV放映などを通して人気を維持したが、大衆レベルでの古典文化の喪失、名人と呼ばれた師匠が相次いで物故したこと、後継者のレベル低下、娯楽の多様化などから、人気の衰えた一時期をむかえた。
そうしたなかにあって、1995年(平成7年)、5代目柳家小さん(本名:小林盛夫)が落語家として初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、翌年には、上方の3代目桂米朝(本名:中川清)が人間国宝に認定された[注釈 1]。また、2005年の『タイガー&ドラゴン』や2007年の『ちりとてちん』という古典落語を題材とした連続ドラマ(NHK連続テレビ小説ちりとてちん)の放送が、若い世代が落語を知る機会となり、新しいファンも増えてきている。(ウィキペディア)





*二〇一八年十二月十三日抜粋終了。
*本書で示された古典落語演目を読んでみたいと思いました。

「天空に舞う」五 大山

2017年09月30日 | 説話



 そう、あれは昨年の夏の終わり頃。キャンパーが引き上げた後のひっそりとした大山南面の山裾のキャンプ場。大山の頂きを背にして視界の開けたなだらかな高原状のところ。白樺が四、五本、目にぶつかるだけで、低い葦が一面に見渡せた。右手の山塊の落下した辺りに米子の街が見え、美保湾が湖のように浮かんでいた。左手には中国山脈が黒々と連なっていた。当時、連想過多症が昂じて身動きできない状態にのめっていて憂鬱な気分で日々をすごしていた。いったい、どう生きていったらいいのか、皆目分からぬまま火急の問いにせっつかれて、唯、闇雲に右往左往するだけであった。踏み出す足の一歩でさえも、意識の対象となっていた。陽に焼けたトタン屋根の猫のように飛び跳ねさせられていた。世界は、全て私自身の存在を脅かすもの以外のなにものでもなかった。自己を保つために、知性は全てを対象という虚構に作り変えていた。川の辺にたたずんで、躍動する生の流れを知性に頃合いの概念にすべく流れに飛び込むことをしりぞけていた。そのため、躍動する生の流れは乾燥し凝固していたし、一方で、その概念化の試みのイロニーに取り付かれて無限拡散を続けていた。連想過多症は末期症状を呈し始め、知性の目論見が行為の停滞をもたらし、決定性を回避するために全てを曖昧にし、抽象化し、生の息吹を粉々して現実破壊は極限に来ていた。はびこる作為のぎごちなさ、人工的な関わり方が有機的関連を殺ぎ、個物同士の距離が銀河系の渦状星雲の端と端ほども離れているかのように孤独であった。何か、生活の出発になるものが無性に欲しくて、切り札である述語探しを濃厚に行っていた。渦雲状のものがいつも頭蓋の中を駆け回っていて超低空を飛来するジェット機があっちからもこっちからも四方八方から押し寄せていた。バリバリキュゥ―ン、バリバリキュゥ―ンという地の割れるような音が頭蓋の中にこだまし合い響きあっていたので、いつ破裂するのだろうという狂気への恐れがつのっていた。

 とても、もう耐えられないと思って、東京を逃れだしたのは八月の中旬だったろうか。テントをリュックに入れて。大山に着いた頃には、新学期が始まる学生たちが皆引き上げたあとで、広々と萱の開けたキャンプ場には誰も居なかった。炊事場周りのゴミの量がつわもの共の夢の後だった。白樺の樹に吹いている風に早や秋がやってきていた。空は無窮に晴れ渡り、靄のような白い雲が清めの塩をサッとばら撒いたよう。東京での頭の中のジェット音を逃れてきて、ここには何の音もなかった。終日、野に寝転んで空をみていた。空と雲と風と山と樹とにわが身を投げ出し、そこにわが身を晒していた。陽が降り注ぎ、風が撫でていき、雲が無数に流れて行った。晩夏の季節の真只中にわが身を晒し、降り注ぐものを身に浴びて過ごした。そうして、十日くらい、テントを張っていたろうか。

 あれは、そろそろ引き上げようかと思い始めた日で、その日は朝から小さな雨が降っていた。テントに閉じ込められた二人はほかにやることもなく、その日何度目の交わりだったろう。テントの奥の荷を取ろうと、四つん這いになった房子の尻のスラックスを下着ごとズリ落とし、むき出しになった丸まるな尻を抱きかかえて割れ目へ己れを突き立てた。残余恍惚が訪れ、ドクッドクッと発射しながら身をそり返すと、右手のはるか下の方に夜見ヶ浜から半島にかけて黒々とした景観が吹く霧に見え隠れしていた。キャンプ場左手の奥には三本の白樺の樹が並んで立っているのが見えた。雨が上がって、風がよみがえった。今しも雲間を縫って光の板が射し込み辺りが明るくなってきた。光を吸った白樺の樹肌が輝いている。小さい葉が小刻みに風に揺れている。一枚一枚がヒラヒラハタハタと静かな音を立てている。銅像の手だけが振られて、そっと合図を送っている。視界のうちを見渡せば他に動くものはない。辺りが静まり、まるで吸音マイクでノイズが吸い取られたみたい。蟻地獄に落ちた虫のあがきが途絶えた瞬間みたい。時間が掻き消え、空間が膨張する。白樺の白が異様に白い。原始の白って言うのか、白そのものって言うのか。今までの白にない透明度がある。そぉ、いつも、いつもガラス越しに見ていたものが、突然、汚れガラスを取り去って見たような直接性がある。ああ、揺れる、揺れている、揺れる千手観音の小さな手のような無数の手のひらが揺れている。まるで、何かの秘密でも暗示するかのようにひたすらかすかにヒラヒラハタハタしている。嗚呼、数え切れないほどの遍路が山の肩を下っていく。瓦礫のけわしい道に白い衣が風にはためく。一様に手のひらを打ち振って。耐えられないほどのとてもつらく悲しい、そしてさみしい道行きのようだ。消え入るように下っていく、白い衣のハタハタの集団が。嗚呼、なんだか今まで人と人とのつながりと思っていたものがみんな嘘で、実は人と人とは無限に離れているのだと言っているみたい。事実が透けてくる。虚構が暴かれる。「主語+述語」ではとても捕らえきれないかもしれない。言葉が届かないぞ。対象ではないのだろう。仕組みが発かれる、見えてしまう。なんだろう、自分が居ないみたい。俺は白樺か、白樺が俺か。白樺だと今まで思っていたのは嘘なのだ、こりゃあ。思い込まされていただけだぞ。あるいは取り違えたか。痛恨の失敗だ。おお、なんたることだ。とんでもないものが現実なのだ。今まで、現実だとばかり思っていたのは、実はそれは虚構なのだ。つくられたものなのだ。変わるものだ。おお、それなのに絶対と思い込み、そればっかりを相手に七転八倒していたのだ、何たる様よ。目のうろこが落ちたよう、視界が開けたというより透視度が増したというのか。あるいは見ようとしなかったのか。怖いために、いや、習慣で。引き連れてきた相手はいつでも俺の前に立っていた。俺の方へ近寄っても来ず、俺も行かない。相手といっても、相手そのものが問題じゃなく、相手との間、それも俺の方からの関わり具合が問題って言うわけだ。いつも、いつでも俺が、俺が、だ。関心の中心は俺であって俺以外のものに興味を示さないし、示せない。俺が世界を主宰する。嗚呼、そお、俺なのだ! いつでも、どこでも俺なのだ。俺しかない。俺だ! その「俺」が虚構された「俺」だ。「私とは何か?」と述語探しに明け暮れた者の、これが結果だ。連想過多症にのめり込んで渦雲状の対象が飛散する猛烈なスピードに頭蓋の眩暈を起こしつつある者の姿だ。調書を取られ、繭子を盗られ、生きる空間を没収されて、光り輝く生の流れはどんどん目の前を下っていく。待っていてくれぇ! という俺の願いは届きもしない。ひからびるばかりだ。ポキポキになってしまう。バサバサしている。その歩みは抽象建築のように大地から遊離する。その眼差しは伽藍のように仰々しい。嗚呼、それなのにどうだ、この風景の明晰さは。どこにも複雑なレトリックはなく、単純明解なありようじゃないか。「俺」なんか、どうでもいいのだ。そこへほったらかしたまま遊びに出かけてしまえばいいのだ。あの白樺へ、雲へ、光の板のさしている辺りに。男と女と別々に在るのではなく、一つの肉塊、団子状のありようだ。白樺があって、俺が見ているのではなく、白樺も俺もいない。彼方には垂直に起立する巨大な積乱雲の群れが見下ろしている。手前の低い雨雲の間をぬって何本もの分厚い光の板が投光器の光のように高原に降り注いでいる。光を受けた白樺の樹肌が白く輝いている。銅像の手のような白樺の無数の葉が、いま沸き立った風にハタハタと揺れている。高原に冷気を含んだ風が吹き始めた。キャンプ場にこの夏最後のテントが一つ張ってあり、その中でいましもひとつがいがまぐわっている。……ひとつの風景の中に供されている「俺」。そお、余りにも、今まで自分の方へ引き寄せすぎていたのだ。

 ハタ、と世界が別の顔を晒すこんな瞬間はそうやたらにはないが、開墾地で杉の葉群れの揺れるのを見たときも、校庭でワイシャツのバタバタするのを見たときも、そして白樺の葉のハタハタするのを見たときにも、それぞれに共通する一様なものがあるようだ。これらの経験は、まず、外洋の、大波のうねりのような揺れ動きではなく、小刻みな揺れ方をしているようだ。そお、宇宙の奏する信号を受信する私の同調器は振幅幅の小さい杉の葉群れやワイシャツのバタバタや白樺の無数な葉のハタハタにだけ共鳴するのだ。そういうものを通じてだけ、向こう側へ行けるのだ。それにそれらを見出したときの経験状況がみんな同じだ。見出した瞬間、行為を奪われ、それに釘付けにされる。釘着けにされた私がだんだんそれらの方へ出向いていき、ついに私は居なくなって、それらだけがあるということになる。私のない時間・空間に私が居ることになる。そこに没頭し熱中する。忘我・没我だ。

 そう、あのテント場に着いたのは八月も末で、キャンパーたちはみんな引き上げたあとで草原には一つもテントが無くて……二週間、あそこにテントを張ったままにして……しなけりゃならないのは食事を作る手伝いだけで、日が昇るとテントを出て薪を集めて飯盒の飯を作るだけで、食べ終わるとそのままほったらかして、ゴロッと大地に横になって……行く雲を見たり山々や木々の葉を見たり、飽きれば本をパラパラとめくり、……すべての煩いを投げ出したままにしておいて、時が軀の中をゆっくり濃密に通り過ぎていくのを物珍しく見ていたのだ。それは少年の頃、野山で遊んでいたときに感じていた充実感のある何か内から膨らんでくるような空間的な面積、いや容積を持った時であった。以来、ずぅっと忘れていた感覚であった。……人影が見えなくなってしばらくして、二、三人のハイカーがキャンプ場の端を下山していった。鳥取の医大生が一人、キャンプ場の下見に来たのに会ったなぁ……なんでも来年全国の医大生が集まってなんかやるようなこと言っていた……その彼も一泊して帰ってしまい、キャンプ場は人気の無い森閑とした草原になってしまった。いつまでも何もしないで居られないような気分になって、明日はテントをたたもうかっていう前の日の夕方……だったかなぁ、三時ごろだったかもしれない。通り雨が朝から気まぐれに何度も降って一日中テントに閉じ込められて……あの日、何度目だったろう、房子の尻をだき抱えたのは。意子のとき満たされなかったものが心行くまで堪能できて、軀の中に高圧電源を据え付けたみたいに手指の先や神経の末端が唸りを発していた。猪にでもなってしまったみたい。五感は活力がみなぎっていた。……テントの中で、奥のほうにある小さな手鏡をとろうとして四つん這いになった房子の黒いスラックスを下着ごと引きずり落とし尻をむき出した。大きな桃のようなその割れ目にズブズブと私は入り込んだ。抱えきれないほどの尻をしっかり抱え込んで、霧に煙る三保湾を見下ろしながら射精が始まった。ドクッドクッと傷口から血が吹き上がるように射精しながら、軀はビクッ、ビクッとしびれながら反り返る……どこを見ていたのだろう、何を見ていたのだろう、長いこと焦点も定まらずになにやら宇宙の裏でも見ていたのだろうか。ふと、気がつくと、山の辺にたわわな一本の白樺があり、視線はそこに集中していた。どのくらい、見ていたのだろう……射精の大波が収まっていくに従い、まるで長い旅から今帰ってきたかのように……何かを、というか、どこかをグルッと一巡りしてきたかのようにして……アア、シラカバノキジャナイカ、と、白樺を見ている私に気がついたのだ。……射精中から引き続いて魅せられたようにそこへ釘付けにされていたんだなぁ、きっと。幾秒、幾分、いや幾時間を経過したのだろう……そこには何もなかったけど、何だろう、空白……と言っても白い紙があったわけじゃぁない。何だろう……気がついたら、物音が絶えていて、白樺の樹ばっかりがあって……雨に洗われた白樺の葉の、無数の葉の群れが、雲間を切り開き光の板となって降り注ぐ初秋の陽に晒されて、雨脚の駆け抜けた高原に沸き起こった風にハタハタ、ハタハタと数限りなく鳴り渡り、光さんざめいていた。それは桐の葉のように馴れ合っていっせいにざわつくのとは違って、各々の葉が孤立していて、ちょうど小判の山をばら撒いたよう。無数の葉が一枚一枚鮮明に見えて、なんだか異様に視聴覚が鋭くなったみたい。可視・可聴範囲が拡張・拡大されたみたい……なんだっていうのだろう、やけにハタハタするじゃないか……湿気がないからか、そんなはずはないけれど、清々しさが異常だ。雨上がりだからかな?、物がみんな水晶みたい、そう、紫水晶のように微かに色がただよい出ている、けがれがなく透明だ。埃なんか、どこにも無いじゃないか! 普段見慣れた樹とはどこかちがうなぁ、幹の白さだって、いつもの白さじゃないみたいだ、言ってみれば、原初の白なのかなぁ……。なんだか今まで見てきた白が白としては贋物みたいな気がする。というより、今まで目にしてきた白が何か被せられた白なのだろう、葉だってそうだ。贋物を掴ませられていたのだ、きっと。本当にこんなの見たことないなぁ……手のひらを振っているみたいじゃないか……赤ん坊のような小さな手もありゃあ、相撲取りのような手があって、招くような手があり、……二、三千人分の手が一本の樹に集まったみたい、あらゆる年齢、あらゆる階層、あらゆる人種が密集しているみたい、アア、千手観音なのか。勝手にみんながそれぞれ手を振っている……誰に振っているのだろう? ……エッ、この私に、か……私に! 今こうして、女の軀の奥深く身をねじ込んで、女の大きな尻に軀をすっかり密着しているこの私に……女も私もありゃあしない、一塊の肉のドロ団子だ。わが身をそこへ、肉のドロ団子に供えて、私は流動物になったのか。物と物との絡まり合いが角を削り落として団子にしているみたいだ、きっと溶けているのだろう、枕木のようにゴツゴツしている私が。なんだか辺りの様子が変だ、やけに透き通っている……なんだっていうのだろう、あんなに手を振って…… 「さよなら」なのか、それとも…… 「お出で、お出で」なのか。行ってきて帰ろうとしているのか、暮れなずむ浦々を潮が引き上げていくように……。それとも、越えられなかった藪を突き破って、向こう側に転げ落ちた猪なのか、今の私は。すると、私はとうとう流れの中に飛び込んだのか……な。辺りは逆巻く奔流、岩を噛む白い渦なのか……。どうなのだろう……。誰がそれを認めてくれるのか……、多分、それは誰にも分からないのだろう、ただ、自分でそれを支える以外には。それにしても、それを支え続けられるだろうか、どんな風にして支えるのだろう? そこに立ちいたれば、そんなことは問題にもならないのだろうか……でも、それは……紫水晶のように奇麗なものであっても、水の中の角砂糖みたいにもろいようだ。角砂糖を紫水晶に変えるなんてことは出来ないのか。……多分、それは存在ではなく状態としてしかありえないのだろう、永遠の。……私も白樺もなくて、私と白樺が一つになっているのか、そういうことなのだろう、これは? 白樺ばっかりで私が居ないのか、私が白樺になって私を見ているのか。それとも、唯、私の居ない風景なのか。あるいは、私も白樺もない世界か。そう、世界がドッキングして唸りをあげているのか、あらゆるものを巻き込んで、物の名を奪って。

 「初めてなのだ、男にしてよ!」
密室の布団の中、女の軀に抱きついてわめいていた。まるで、川に投げ込まれた犬のように。房子はなぜか……急に泣き始めたのだ。私には何がどうなっているのか、さっぱりわからない……ミンミンゼミの鳴き始めみたいだ……
「嘘でしょ、嘘でしょ、初めてなんて……」
初めてだったら、どうだっていうのだ。口付けをしたまま、浴衣と下着を剥ぎ取る。房子は何も逆らわず、自分から軀をずらして取りやすくする。……意子の軀を女の裸としてはじめて見たときの感激はなかったが、衣服を取った女の軀は豊満だった。肩から手に落ちる曲がり、背から腰のくびれまでの一気の線、そこから再び盛り上がるその急激な肉の塊、円を描くかと思わせる丸みも太ももから踵にかけてなだらかな大草原を下るよう。時間を忘れるほどのなだらかさ……二つの丸山は抱え切れない。かすかに笑っている顔のくぼみはすべてが許されていることを意味していた。房子の視線はついに欲望に光り輝いていた。私のほうには軀の中を突っ切ってその光の中へとぞくぞくと走っていくものがあった。私も、軀にまつわりついている余計なものを邪険にあしもとへ蹴っ飛ばした。すると、妊娠するのじゃないか、という不安がからめ手のように攻めあがってきたのだ。……脱漏した腸がペニスにからまりついて……。意子のときみたいに、又、女の中へ入っていけないで、ツンツンと突っつかれて……珊瑚色の腸がプルンプルンと慰み物にされやしないか……いやいや、ことによると、女の軀に入って力んだとたんに風船のように膨らんできたりして……二人で風船突きでもはじめるか……。結局、またまた失敗して……と、なるのかもしれない。頭の端をそんなくもの糸にからまれながら、房子の口から耳へ、あごの先から肩へ、わきの下から胸へ、無我夢中になって腹から茂みへと私の口と舌は這いずり回った。足が互いに絡まり、五体を総動員しての愛撫が続いた。房子は横にうずくまるように身を丸め、一瞬、反転し、反り返る。すると、耐え切れぬように身悶えた。耳の裏に強く吸い付くと、搾り出すような声とともに手足がうめいた。手指は鋼のように硬く、辞書の挿絵のように十指が開いていた。足の指は印字箱の「く」の欄の並びみたい。太ももが水揚げされたばかりのマグロのように、時々ばたついた。地表に出てきたたまねぎの芽のように、大空めがけて直立不動で突っ立っている乳首に吸い付くと、 「アウワアァオォウッ」と、声を荒立てる。なにやら北京原人やピテカントロプスのときの声に追い回されているような気分にさせられる。私の海綿体は痛いくらい張っていた。房子の両股を押し広げて土砂崩れのように割り込んでいったが、肝心なときに岡や茂みや沢の辺りをただうろうろ歩き回っていた。「穴がないのだ、穴がない!」と。すると、突然、私のペニスは一升瓶の口を握るようにムンズと握りこまれた。な、なんだろうと、思うまもなく、グィッと肩口を捉まえられた旅人のように、強引な客引きに案内されて……私のペニスはズブヌルッ、ズブヌルッとはまり込んでいった、というか吸い込まれていった。あたりは蜂蜜でもぶちまけたようにヌバヌバしていて……たどり着いた先は水分のない水あめの中みたいなところ。しなうような流動物の塊にすっぽり包み込まれてしまった。……不思議なことに、私のペニスは房子の中で自覚症状を失くしてしまい、房子の中に沈みこむような、消え去るようなおぼつかなさを感じ、それていてそこからむくむくとそれを歓迎する気分もわいてきた。まったく自分が滅しきっていても、なに不足ないというか、むしろそこへ速く行きたいという願望……やってくれえぇ! という絶叫があった。
「おぅ、おお!」
房子の短い髪が洞の蝙蝠のように飛び交い、額にジェット音のような溝が走り、口はのどのカーテンの震えが見えるほど大きく開けたままで……腰を上下に満遍なく動かすから摩擦熱がこうじて気化液が興奮の坩堝に満杯になった。上下運動なんか、誰に教わったのだろう? 息は急坂をのぼる蒸気機関車のように荒くなり、汗が全身に吹き上げ目がかすんできた。陰毛・恥毛の汗のすえた臭いと、椎の樹の異臭との熱風が男女一如の二人のべったりした腹と腹の間を上下運動の間隙をぬって鼻翼をばたつかせながら昇ってくる。感情は破裂しそうな高みに上り詰め……そのとき、部屋中にとどろく声がして
「イラズ! マダ、マダ、マダナノォ、……ハヤクゥウ、ネェ、ハヤク、ハヤク、ハヤクシテェ! ハヤクシテェエ、オネガイ、ハヤクシテェエ、オネガイヨォ、ハヤクヨォ、オネガイヨォ、……オオゥ、イイワァ、イイ、イクワァ、イクワァヨ! アア、オゥオゥ、イクウゥ、イイ、いらず、イッショヨ、イッショヨ、ワタシトイッショヨ、ワタシトイッテェ……イッテェ、ヒィイ、イイゥ、ウゥムゥ、ダメ、モウダメ、マテナァイ、ダメ、イクゥ、モウイクワァァ、イク、イク、イクゥヨォ、オオオァ……」
何にも知らないうぶな私は、かぼそく
「どこへ?」
この真最中に、どこへ行こうというのだ。ただちに起き上がって、大至急服をつけてハワイ旅行にでも出かけようというのか……
「モット、ツヨクダイテェエ、……ハヤク、ハヤクヨォオ、……アア、マタキタワア、アア、ダメヨ、モウダメヨ、モウガマンデキナイワァ、ワァ、イクワァ、イク、イク、イクウゥゥ……マダ? マダナノ、ハヤクゥウ、キタ、キタワアァ、アア、オオ、モオマテナイ、イッショヨ、イッショヨ、ハヤク、ハヤ、ハヤク、イク、イイ、クウゥゥ、イク、イク、オゥオゥヒィイ、ヤッテェエ、ヤッテヨォオゥ、ヤレェッ! ブッチャラカシテェ、ゼンブ、ゼンブ、チョウダイ、ゼンブヨォォ、ウッ、ウッ、イクワァ、イク、イク、アア、アア、アオゥ、オゥ、オウ、アアアッ、オオゥエ、オオ、オウウウ、シ、シィヌゥゥ……、オオオオオッ」
「もうすこし、もうすこし、待て。まだ、まだだよぉお、おぅ、……ああ、きた、きた、きたぞぉお、行く、いく、いくぞぉお、ほら、ほらあぁああああ……」
その時には、もう房子は頂上へ達していたようだったが、うねるような恍惚境へ私も遅ればせながら溶け込んでいった。……肉の塊の中へ五体全身が出かけていき、そこへ溶解しつくした。不思議なものめずらしい歓びだった。それは物欲の満足の歓びのようなある方面だけの部分的な歓びではなく、全部の、というか、根の、というか在ることの歓びっていうのかな……すべてが存在の意味にあふれていて生々として光り輝いている。あとにしてきた事物や風景が、そこから見ると、そら恐ろしいほど色あせていた。意味のないガラクタにしか過ぎなかった。互いに関係を持たない個々の断片の間をさまよっている私の途方にくれた姿が見えた。主語+述語の形で世界を理解しようとして、述語は永遠に……と、懐疑に取り付かれたまま連想過多症特有の出口探しにやっきになっているのだった。……それなのにここでは、すべてが意味を雲間の朝日のように発散している。ということは、ただ単に、少しだけ思いが過ぎるだけなのかもしれない。髪の乱れも、額に刻まれたかすかな表皮のよじれも、肩肉のえくぼのような凹みも。……引き潮が浦々を引き上げていくように、恍惚が大小さまざまな岩の間をぬって萎んでいった。ぐったりとなって、二人はそこに二本に束ねられた丸太のように投げ出されていた。汗が全身にべったりとしていてすえた臭いが被っていた。絡まっている意味がなくなって、やがてどちらからともなく軀を離して互いの視線を求め合った。そこに今しがた恍惚を共にした女が目をキラキラ光らせていた。その光りには、「十月十日」の産みの苦しみをした母親がやんちゃに育った子供のいたずらを眺めているようなやさしさにあふれていた。そのやさしさは軟弱なものではなく、軟弱なものでは生まれてこない強さを秘めていた。子を抱いている母の、死して成った者の磐石のごとき重厚さがあった。
「これで拭いて頂戴!」



出所―昭和五十六年 小説「述語は永遠に・・・・・・」四百字詰め原稿用紙六三六枚脱稿



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お後が宜しいようで……

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目 次

一 白いワイシャツ
二 太平洋に雪崩込む丘陵
三 掩体壕
四 黄金の稲穂の波打ち
五 大山
六 志学元年の経験
七 ロッキーズ物語
八 ブレイクスルーな事態
九 童女のようにはしゃいだギリシャ旅行記
十 ソクラテス来迎


「天空に舞う」四 黄金の稲穂の波打ち

2017年09月29日 | 説話



 広々とした小学校の校庭……ああ、あの松の木、横に延びたその幹によく腕白な少年達が馬乗りになっていた。手足のかかる木肌はそのため百日紅のようだった。記憶の中の松はいつでも下から仰ぎ見ている。松の木に馬乗りになっている少年や立ち上がって両手を広げて飛び降りる少年達を。……校庭には誰も居なかった。憧れの松の木に這い上った私が蛙のように手足を動かすと、ごく自然にすいすいと空中を飛べた。手足を動かすのを止めると、まるで浮力が徐々に低下するように静かに下へ沈んでいくので、又、動かすと、又、飛べた。それが少しも不思議ではなく、そう思い始めた自分に自分で「当たり前じゃないか!」と言っているのだから、その分析行為の方がむしろ異常で不思議だった。校庭上空を飛び回り、校舎の上を飛び、五葉松の周りを飛び回り、カラスが群がる職員室裏の高い黒松の上を飛び、更に飛んでいくと眼下に黄金に光り輝く海があった。うねりが次々と押し寄せて来ていた。黄金色のうねりだ。降下し、海面に近づいてみると、実は、それは見事に実った稲穂が初秋の風に揺れる様であった。稲穂と風の、遊び戯れの仲間になって、私も飛び回り続けた、黄金の、稲穂のうねりの上を……なぜか煌々と月が照っていたのだ。

 見慣れた普段の目は、見慣れた物しか見ない。見慣れぬ物があると言うことは油断ならぬことだ。……私には、人はどう見えていたのだろう……ああ、それにしても、当時の私の絡繰りをはっきり知ったなら、彼らはどんな風に振る舞っただろうか……。それが、「てめぇの方がうるせ―!」の一言だ。絡繰りの結果が、あの最後通牒の言葉を封じた一方で、模範生という少年らしからぬ場の設定によって、荒々しい現実は私の下にはやってこず、工作加工された抽象的現実だけを相手にしていたのだ。「てめぇの方が」というのは、たまたまその均衡が崩れた一例なのだ。あの言葉を人々の口から追放し忘却させるために、差し押さえてしまうために私の採用した絡繰り。聖人には誰も文句を付けないように、模範生という少年にとっての絶対の言葉を確立し保持し続ければ、そこにあの言葉の侵入する空間はあり得ないはず、そのためにこそ形式的にもそこへの精進はその見かけだけでも為されている限り、人々はあの言葉を発する機会を失ってしまうのだ。例えそこに私に対する根強い反感が累積されていったとしても……そしてその反感が現実に「てめぇの方が」という言葉になり、それに現に言葉となって飛び出てこなくても人々の心の底に気分みたいに醸し出された反感は、私の身の周りに不可視の雲となって立ちこめ、その雲が結果的には私を守ることになってしまったのだ。守るべき何もありゃしないのに、さらけ出して足蹴にしてしかるべきなのに……しかも、私にはピエロになる資格も才能もなく、その話題を言葉の奔流に乗せ、人々をそれらの言葉と共に連れ去ってしまう弁論の才もなかった。又、私には人々が没頭する日常の気散事に対する趣味も持ち合わせなかったし、人との交流の温かさを讃える社交にも当然長けてはいなかった。これは多分、対象との対面に一部の空隙も残さないような密着さによって……なぜ、密着かというと、あの言葉を封ずるために要求される緊張のためであり、それ故の固さなのだが、しかもこの密着さは挨拶抜きにすぐ本題と取り組む性急さを生み出す心情によって必然の形式であり、裏道も悪も冗談も余裕もないまま、ただ、ひたすら正面から直ちに立ち向かわせる堅さを内実としているのだ。そんな私の上に視線を止めて気散事を探し始めた人に、私が示すこの堅さは人にお門違いを一瞬、ハッと意識させ、その視線の中を訝しげな雷が光を発して鳴り渡る。それが狼煙と成って私の変貌が始まる。……あの言葉を封じるため、忘却させるため、強いては私を無とさせるために、まるでそこに誰も居合わせないかのように、世界が無いかのように振る舞わなければならなかったのだ。当時、私の全生活を律していたのは確かにあの言葉であろう……これが事実なのは間違いないだろうと思うのだけど……やはり、これは私の虚構か、一つの幻影、想像だけのものだろうか……あの言葉こそ、以後の私の生き方を方向付け、他者との関係の仕方を、その内部の構造を形式化した一つの要因であろう。あの言葉が初めて発せられた時に、私は否定の形で別の世界へ追いやられたのだ。他の者として選別され分類されてしまったのだし、そのことが断定されたのだ。概念化されたのだ。次からは……その言葉は私の世界を意識させるために作用し、追放地の孤島の記憶がその都度新たに呼び戻されるようになったのだ。この形式は、終に私の生き方に反省という灼熱の意識の修羅場をつくってしまったのだ。この修羅場での七転八倒が計算による行為の抑制、想像による現実の先取りを可能にし、それらが手にした現実をリアリティの希薄なものにし、又、抽象された現実のエッセンスと思われたものが巨大なガラスの城となって増築を続けてきたのである。バラの花になぜはない、バラの花は咲くから咲くというのに……そう、あの言葉は私の規定をして絶大な力をふるったのだ。あの言葉に踏ん反り返る力も厚顔さも知恵もなく、「お前は脱腸だ!」と規定・断定されて、追いやられた世界の中に細々と生きることを余儀なくされたまま、その小さな窓から……少年達の遊び回る日向の世界に堪らない憧れを抱いて生きていたのだ。ああ、窓を閉めてくれ、窓を! おお、余りにも外は美しい! ……

 少年時代の私の研究課題は日々の生活の力を育むために、如何にしたら彼らの口を封ずることが出来るか、というものだった。彼らにあの言葉を思い出させず、そんな言葉がそもそも存在していないと思わせ、そんな男はそこに居ないと思わせ、更には、私の存在すらも否定しきれるかに尽きていた。あの言葉は、彼らにとっては戯れ歌の一つに過ぎなかったのだろうが、私にとっては複雑な儀式を伴う葬送の曲であったのだ。「殺してやる!」と振り下ろされる斧だった……生と死の相交わる世界で辛うじて生きながらえる力を与えてくれるものは彼らの笑顔であり、彼らの行為への没頭であり、私を全く除外した彼らの仕草の数々であったし……彼らの視線が遠く、私を忘却して彼方を見やっている時にこそ、私の生はその微かな息吹を為し得たのである。……だが、ひとたびその視線が還ってきて、私の上に注がれた時、常日頃の、私の営為の結果を緊張した面持ちで見続ける不安が、そしてその場を逃げ出したいと腰を浮かしている者の性急さが、彼らのその視線に私が見出す多様な意味のうちでも特にあの独特な微妙な陰りでも見出しでもしたら……死に抗う生命体になって立ち向かい、首に縄を掛けられた獣の断末魔のような叫びと共に……とはいえ、これとて内部の、人には聞こえない発声だが、がむしゃらな行動、突飛な仕種、珍奇な言い種が……現れて、均一な流暢さが欠けてまるで地震計記録紙の線のように鋭角な軌跡を描いてしまうのだ。あるいは、他人の言葉、その様々なニュアンスの中からあの最後の決定的な言葉が響いて来やしないかという不安がしばしばその場に立ち竦ませてしまうのだ。チャップリンが両足を床に接着剤で繋ぎ止められ、バタバタと足掻いているように。あの言葉を封じるために、彼らは私に繰られた。というのも、私があの言葉で追いやられたように、私も又、彼らを私の距離感覚によって繰り、ある領域へ祭り上げたのだ。彼らをそういう風にでっち上げたのだ。彼らをそういう風に追放した世界、そこだけが私の世界だったのだ。しかし、それは所詮、虚構に過ぎなかった、無理矢理工作した人工世界であったのだから……

 初秋のある晴れ渡った日、私は昼食後の満腹感と共に校庭に降り立った。空は快晴、気分は爽快。夏の名残の風が中学校の校庭の周りの樹々に吹き付けていた。既に、級友達は百メーターほど先のバックネット前で飛び跳ねている。彼らの白いワイシャツが跳ね回り、揺れ動いている。それがボール遊びへ期待を煽った。仲間に入ろう! と、手足を踏み出し、駆け出そうとした瞬間、突然に風の音と彼らの遊び声が急にラジオのボリュームを落としたように絶え、乳白色の静けさとでも言うのだろうか、奇妙な静けさが辺り一面を領し、その静けさの中に、緊張を強いられる日常生活の気苦労から解放されたような安堵感と、それでいて見捨てられたような寂しさと共に、基盤を奪われて中空に浮いたような頼りなさのまま放り出された……私は、彼らの白いワイシャツが風に揺れている様だけを見続けていた。それは、風の強い日の旗のように、バタバタと音を発して揺れ動いていた。その衣服の白さとバタバタという音だけに私の意識は集中し続けた。……どのくらい経ったのだろう、何処まで行ったのだろう、不安な気配が続々と押し寄せてきて、居たたまれないほどの寂しさに耐えられず、私は叫んでいた。「彼らも人間だ、人間なのだ!」と。その時だ。その白さ、バタバタという音が、私の意識に他人としてそこに<ある>という感じを叩き付けたのだ。……アレは何だったのだろう……他人が存在し始めたということなのか? それじゃ、以前は、他人はいなかったというのか。そんなはずはないなあ……でも、他人がああいう風に感じられたと言うには、普段はそう感じてないと言うことかもしれない……

 そういえば、房総本線を蒸気機関車に乗って初めて就職のため東京へ出てきて、あの路地裏を通ったとき、両側から押し被さるバラック建て家屋の高かったこと。実際には、田舎の父の二階屋の方がずっと高いのだが、その路地裏の建造物には何か人を小さくするようなものがあったのだろうか、それは、そこを通りながら上空を覗いたとき、教材用の物差しみたいな長方形が青空であった所為ではなく、……あんな色だったなあ……青空を見たとき逆に青空から自分を見たら……きっと、狭い道をイガグリ頭が動いている位にしか見えないだろう、と思いながら歩いていた所為だろう。今にして思えば、東京での右往左往があそこから始まったのだ。あの路地裏の立て込んだ家並みの細い道が東京への門だったのだ。住み込みで働くことになった従姉の模型屋の店が待っていたのだから……。中学校が終わりになって田舎に居られなくなって東京へ出てきたが、模型屋も客として来るなら夢もあろうが、店員で働くなら夢も見ていられなくなる。夢を商うのだからなあ、……客の見たい夢の注文を聞いてやり、紙の厚さやプロペラの大きさで夢の中身を指定してやり、特殊な夢のため品切れになった材料を探すため蔵前の問屋の倉庫をかき回すとか……そう、蔵前からの帰り、仕入れの品を包んだ布団袋ほどの風呂敷包み二つ! 銀座の交差点、積み過ぎた荷のためオートバイの前輪が持ち上がり、信号待ちの停止線上での格闘。メグロの中古車だったからなあ、クラッチが甘くて、滑って、滑って赤信号の間、止まりっぱなしとはいかず、トコトコと歩き出しやがって、慌ててクラッチを握りなおし、両足を踏ん張っても言うこと聞かずトコトコと、トコトコ……丸い交番の警官の目、銀ブラ連中の目、タクシーの中の目、都電の中からの無数の目……ああ、積み過ぎの荷! 持ち上がる前輪! イガグリ頭! 暴れ牛のようなオートバイを股に挟み、反り身、両足で踏ん張る十七歳! 顔も軀も上気して血は駆け巡り、意識は燃え上がり銑鉄と化し爛れきる。すると、感覚だけの世界となって、流れ落ちる汗は水蒸気になってもうもうたる湯気を立てる。風に嬲ってきた着衣はバンドを逃れて垂れ下がる……意識の彼方に開く展望はどんな論理だろうか……。

 肉が痙攣したのを機に、針を刺されたような激痛が走り、ガバッと跳ね起きようとしたが……身動きも出来ない重さで押さえつけられ、潰されそうになっている自分に、まるで過去を一巡りしてきたかのように気がついた。ウンウン唸ってその重いものを跳ね除けようとするのだが、手も足も硬直したみたいに意のままにならない。うなされてでもいたのだろうか。切れ切れの呻き声のような谺が記憶の網に引っ掛かって震えていた。それは有るとも無いともはっきりしないほんの幽かな想い出のよう……しかし、その更に奥まったところには、自分が気のつく前の、夢の記憶のような暗黒の大陸が黒々と横たわっているのが感じられたし、意識の轍を見失う遙か彼方に燎原の火の、残り火のようなものがチョロチョロと燃えているのがはっきり望めた。しかし、大腿部の破けるような痛みと胸から肩にかけての引きつるような痛みに加えて軀の何処か、場所のはっきりしない遠方の地、これと名指せない多義的な地点、心の内科的辺境に、何か尋常とは異なった特殊な痛み、というか……感覚、いや、自我の放棄され尽くした後の、為されるがまま、決壊中の堤防の心地。形式から内容の抜け出してしまった後の、蝉の抜け殻のような半透明な白々しさがあって、死に行く者が手の届かない所へ行ってしまったりこの世へと再び上がって来たりしているかのように、ある境界を彷徨っていた。

 蜥蜴の緑や紫に入り交じる切り離された尻尾が時々引きつりを起こしてピクピクッと生き返るように、痛みが暗黒の大陸と燎原の火の方へのめり込みそうな私を目の前の現実へと引き戻していた。相手を抱き込む仕儀になっていた私の両手は痩せ猫の背を、濡れたその背を撫でたときの感覚……そのゾオッとする気味悪さを離すに離せぬままであった。痛みは鉄の爪でも立てられたよう……少しでも軀を動かせば、動かしただけ食い込み……そこから血がゾロゾロと垂れ流れ……既に、私は血の海に横たわっていた。ベットリした血の流れがゆっくりと暖かい臭気を発して鼻を抜けていった。そうして、ついに、私が目にしたのは……ピューマのような……あるいは豹のような、いや、虎のようにしなやかな、そう、ゆったりと構えていて虎かもしれない。何かそういう猫の縁者、猫科の動物。……その虎とおぼしきものがしっかと私の上に覆い被さり、鋼の爪を胸の上に突き立て、そのしっとりとした三叉の口は胃の辺りの臭いを嗅ぎながら鼻をピクピク……させて……狙っていた、が……? ……風がふっと切れたかのように、ふと、私はある疑問に取り付かれてしまった。……そんなはずはないと、よく見れば見るほど疑問であったものは徐々に確信に変わらざるを得なかった。そ、そんなはずはないのだが、……その虎とおぼしきものの仕草や視線の置き具合が……どことなく……この私自身に似ているのを驚き呆れながら発見したのだ。な、なんということだ……。

 枕辺にいた女達はどうしたのだろうと思って、引き攣るような痛みを引き出さないように、そろりそろりと眼球だけずらして室内を見回すと……散乱した家具があるだけで、女達の姿は見当たらず、気配もありゃあしない……、ただ、彼女達のお喋りの二言三言が心を絞るように思い出された。……どうしたのだろう、助けを求めに行ってくれたのだろうか、この私の陥った奇妙な窮地のために。……それとも、何処か安全なところに逃げ延びてほっと深いため息と共に恐怖に震えているのだろうか……、あるいは全然事を知らずに……あるいは知ろうともしないで、あるいは故意に忘却して……、すでに熟睡しているのか、他の部屋で! というのも、私を呼ぶ声は何処にもないのだ。まるでみんな眠り込んでいるみたいだ。私の他は。それはまるで真夜中に、突然目を覚ましてしまった子供のようだ。その子はおそるおそる夜の帳の中に目を凝らすけど母親の姿は見当たらない。闇が物に侵入し、物はその個物性を奪われている。羊羹のような闇が辺りを固めている。そのねっとり固まった物を、懸命に手足をばたつかせてほぐしにかかる、泣きもせずに。しかし、この見離され絞り出されている孤独の場は馴染みの病室みたいだ。そお、孤独は、私には馴染みの領域だ。相対の場に晒されることこそ危険地帯なのだ。そこは物から物へ、ただ、彷徨っているだけの、修羅の妄執の堕地獄だし、存在の保全のために虚構に継ぐ虚構を仕掛ける世界だ。その危険地帯から逃れてもその危険を削ぐことにはならない。その危険を見据えて、それとは別に私の孤独を創るのだ。そぉ、懐かしさが込み上げる……おお、抽象の暗室よ!

 その間にも、五感は死につつあり知覚器官は囚われの恍惚のような痺れを引き起こしていたが……その中から一つの懸念が浮上し、見ている間にそれは恐怖に様変わりしていった。それは視界を遮る入道雲のように、これ見よがしに起き上がってきた。その雲に立ち向かうには余りにも自分の力の微弱なのを痛感せざるを得なかった。だが、その恐怖は最後には虎が腹に噛付くだろうという所為ではなく、虎を抱き込んでいるこの形式の所為だ。しかもこの形式が曲者で、その投げられた網に一度引っ掛かるとなかなか逃げられず、粘つく網に手足を取られ、動作が緩慢になり、ついには人生への遅い出発に成り終えてしまわないかという、悪くすれば出発さえも出来ないままに終わるかもしれないという恐怖を生み出すのだ。手の施しようのない生き方だ。……身動きの出来ないこの場を何とか力ずくで撥ね除けようと、……最後の力を振り絞り全身筋肉となって、ガバッと……、その時、目の前で風船が破裂したかのように、突然の身動きとともに放り出されてしまった。いったい何処だろう……寝たきりの闘病生活者のように強ばった軀を持ち上げて、恐る恐る辺りを見回すと……虎もいなければ、血の海もなく、散乱した家具も見当たらなかった。錯綜した論理の格子模様も消えていた。薄暗い、というより明けやらぬ不分明なものが辺りを被っていて、事物はその真の姿を眩ましたままであった。光り輝く、太陽の燃えさかる姿が棚の忘れ物のように思い出された。……どうやら深い霧のようであった。樹木らしいものの骨格だけがレントゲン写真のように見えたが、それは肉を削がれたみすぼらしい寒々とした姿であった。……得体の知れない周囲の風景を背に……そこに一人の初老の黒い制服の警察官が帽子の庇の下からジッと私を覗き込んでいた。まるで街をうろついている犬のように前屈みになって匂いでも嗅ぐみたいにして。覗き込まれていたのは、……今朝だ、よな……。そして今は……いや、もっと、ずうっと前のことかな?

 沢山貰った手紙。その度に違う封筒、カレンダーや雑誌の写真で作った楽しい手製の封筒。ああ、これは何にあったのだろう。蕪が一つ描いてあるだけの絵で、写真? 誰が描いたのだろう、神泉……誰だろう、下が切れてしまって読めない。蕪が一つ描いてあるだけ。だけどなんだか重力の法則を無視したみたい、というよりそんなこと一切無視して、と言うよりそれら全てを足蹴にして、唯、在る。それしか言いようのないみたい。饒舌なものがない。饒舌……お喋り、独り言ののめり事、そう、「雑感雑記」は確か四十五冊目だったろう。そう、誕生日が初めの日だったのだから、三年くらい前か、大室山に行った時だから……そうだろう。どうしてこんなに続いてしまうのだろう。何字書いたことになるのかなぁ……一行に三十字として、ページ当たり二十五行で、一ページ七百五十字。一冊は……二十五枚位だろう、すると幾つだろう。二万字位かな……それが四十五冊だと、……九十万字近いのか、凄い数字になるんだなぁ。こんなの、さあ書け! と、言われても書けるものじゃないよ、冗談じゃない。死んじゃうよ。なんだってこんなに書いたのだろう、何がこんなに書かせるのだろう……取り留めもなく、際限もなく。さっさと切り上げにしなくちゃあ、生きる間がなくなっちゃうぞ。……前か、「雑感雑記」の。ああ、あの黄金の日記帳があるなあ。あれは何処へ遣ったのだろう。田舎に置きっぱなしか、いや、確か上京した時持ってきたはずだ。そう、まだイガグリ頭だった上京したての頃、たびたび見ていたのだから……同級生達の卒業式の日の寄せ書きを。中学生の頃は生真面目な努力家だったのだろう……みんながそのようなことを書いてくれていたから。生真面目な努力家なんて商標は、しかし奇妙なものだ。書きようがなかったのだろうし、私の仕掛けが功を奏していたのかもしれない。でも、その商標が尚更現実を遠のけたのだろう。そう、この商標を掲げている限り、現実は来ないだろうと気付いて、ことさらに商標を打ち壊しにかかったのはいつ頃だったろう……。心の構えを取っ払い始めたのは……。所与を整えようとせずに、うん、そう、所与の服装を事前に点検すると言うより、どんな服がいいか所与自身に考えさせるためにスタイルブックを渡して置くなんていう所与の加工を意図するようなことは止めにして、自然なままの所与がやって来られるようにこちらの心の構えを取っ払ったのだ。と言うのも、私の場合、現実の長い手でピシャリと頬をやられなければ目が開かないのだ。誰だったか、「俺には惨劇が必要なのだ」って言っていたように。ピシャリというあの音は動きを止められる作用があるのだろう、というのも猪突猛進している時も、低迷徘徊している時にも、待ったをかけられるっていうのは視線の変更を強要されることなのだろう。別の光が呼び込まれ別のものが一瞬提示されるのだ。一種のショック療法だろう。高圧電流が必要なのだ。でも、この療法が功を奏すには事前に許容量以上のものが詰め込まれていないと何も生じないのだ。徒労と思われるような営々とした作業が必要なのだ。しかし、その力学はどっちかというと逆方向に生ずるのだ。雅文調の哲学風論文から混沌たる週刊誌風雑文に文体の切り替えが行われるのだ。一瞬のうちに違った文体に様変わりするのだから……そういえば、「雑感雑記」の文体はあの黄金の日記帳とは全然違うじゃないか。なんて言うのだろう、文章が長くなったし、展開が生じ、断言が無くなったなぁ……。そう、「。」が打てないのだ。「、」から「、」へ、くねくねと蛇のよう。のめり込みだから、主題を忘却して、と言っても躊躇しがちになんだが、躓くような手探りするような具合ななんだろう……アメーバ状の動きみたいなものかもしれない。イメージが形にならない。肖像を結ぼうとすると、結び目が解けてしまうのだから。今少しで完結しそうな文章が新しく展開し始めた副文章のために何処かへ連行されてしまうのだ。連行された者は必ず帰ってくるとは限らない、行方不明のままになり、謎ばっかりでっかくなることだってあるだろう。「消え行く肖像」か、書いていくほどに消えていくって言うのか、書けば書くほど書いたことが失われていく。書くことが消すこと、消すために書く……文章を作ろうとするのではなく、文章を壊そうとしているのだろうか。文章のようであって、文章を構成する論理が無い、文章に成っていないのだ。むしろ断片同士が蝶番いの助詞や接続詞や副詞なんかにかろうじて寄せ集めらてるだけのものだろうし、アメーバのような原生動物のように無数の不定型な触手が空間に突き出されて膨張していくのだし、単語は次々に暗示を受けて留まることなく核分裂を続けて……何処へ行くのか。爆発することが目的であって、文章に成ることは無視されているみたい。というか、文章に成れないのだろうし、句点で落着出来ないほど突き動かすものが跋扈しているのだろう……だから、見た目には断片の羅列にしか過ぎないのだが、こういうのは文章じゃないのだろうか。そういえば、私の話し方もなんだか羅列みたいなのかもしれないなぁ。というのも、私の話を聴いている相手の顔を見ていると、意味や関連が掴めずに訝しげな顔付きをする奴がいるもの、あれは多分そういうことなのだろう。論理的な関連が断片同士の間になかなか掴めないンだろう。断片が連ならないのだろう、きっと。それも私が印象と印象の断片をぶっ付けるように素材を唯提供するだけの話し方をするからだろうし、そこに論理が感じ取れるようにだけ、唯、暗示するだけだから……注意していないと、私の意図した暗示や印象を掴み損なってしまうのだなぁ。筋の通った話し方だったら、多少前か後ろかが抜けても話しは通じるのだが……。暗示する話し方は相手の関わりが全面的で無いと意が通じないのだ。ということは、聞き手に緊張を強いてしまうのだ。腰を据えて話し合う場で無ければ距離ばっかりが拡がることになる……こんな話し方は中学生の頃は無かったと思うなぁ、あの日記のように。「今日は三時に学校から帰った。すぐ、ウサギの餌を採りに行った。夕食後ラジオを聴いた。「俺らぁ、道志の三太だ!」を聴いた。今、八時だ。寝る。」っていう調子の日記だから……。今、今はまるで違うな……「今日は……今日って何日だったかな、昨日は……三時頃だったかな、いや、もっと早かった……ようだな、帰ってきた時、まだ、陽が高かったンじゃ無いかな、陽っていえば、飛行場で見た太陽はギンギラ。ウサギの餌、草だけど、なかなかボデ一杯に成らなくて、そういえば鎌の刃が欠けてしまって、……以前、川で血を流したなぁ、鎌で足首を切ってしまって……血が川一面に拡がって行ったっけ……」と、こういう風に全て崩れていくって言うのか、言葉が独り立ち出来ないままあれもこれも呼び込んで膨張していくばっかりなのだし、断片の羅列にのめり込んでしまうのだ。こんなことになったのはやはりあれかな、判断が出来なくなったからかなぁ、いや、それは結果だろう。転々と、のめり込まざるを得ない状況があるからこそだろう……でも、あの態度はなんだろう、自分が特別な感情を持ったことや初めての経験をした時なんかに、そういう感情・経験をまるで自分がその本人じゃ無いかのように、と言うか、そういう感情・経験を本人から切り離して、それらを分析・観察して……そう、何か、物理の実験みたいにそれらをプレパラートにして覗き込むのだ。……、少年の頃、怪我なんかした時に、血がタラタラ流れているのにも注意を向けず、まるで少しも痛くないかのように、怪我に至った経緯を一生懸命細部に渡って人に説明していることがあったなぁ……周りに集まった人たちの蒼い顔を前にして、経過を説明し危険箇所を指摘し予防措置を施し、こうやったらこうなるよと、今学んだばかりの教訓を喋って結論を締めくくる。それから、初めて痛みに気が付いたかのように血を眺め、既に巻かれている包帯に触れて、痛みに疼き泣き出さんばかりの顔になるのだ。

 いろどられ想像されるそういう対象を使って、どうして筋道立てられよう……一足す二が三になり得ないのだ、と言うか、そういう取り決めや仮定や習慣は歯が立たないし、そういうものじゃ絡み取れない構造を持っているのだ……が、か、と言って、ではその論理構造はどういうものか……と聞かれても……多分、それは、渦中にある者は渦中に在るを知らず、で今は今が分からずと応えるしかないのじゃないかな。筋道が辿れない……筋道立てられない、むしろ、筋にならないのだ。筋を拒むのだ。そこから、むしろ、筋にしないのだ、と、方法論めいたものが……出てきやしないか。……か、と言って、これが現実に対して有効であるかと言うことはどうしてもあやふやだ。むしろ、これは考えてみれば端緒がないのだから、仮定がないんだから虚構の物語りにすら成り得ないのだ、唯、闇雲に事象・物象の沸いては消え、消えては沸き起こるその荒々しい波飛沫に煽られ飲み込まれ巨岩に打ち付けられして、もみくちゃにされ続けるしかないだろう……そして漂う木の葉はそのひたすらな受け入れ、所与の乱入にいつしか摩耗し、繊維質は解けばらばらになり、人の住まぬ深き海底の墓場に堆積するより他にその運命はないだろう。凪の時に、飛翔の夢はよし訪れても、それは彼の運命をあざ笑うかのようなきちがいの高笑いのようだろう。人はその金属性の笑いによく耐えられるだろうか。遺棄によって、拒否によって、反古によって、そして習慣によって、きちがい扱いによって、無感覚によってないがしろするだろう。さっさと己の住み慣れた穴倉へ駆け込むだろう、二度と出てこないだろう、この嵐が去るまでは……あるいは出てきたにしても、既にその時は全身を疑惑の鎧で被っていることだろう。例え又、この嵐がどんなに高まっても特殊加工をした黄金のマントは羽ばたきもしないだろう……黄金のマントならぬ、真紅のマントをたなびかせていた繭子は……何をしているのだろう、今。……侵入拒否、空騒ぎ、シッテンバッテン……みんな締め出しを喰った規律違反者の泣き言……なのか? 私のぶつぶつは、のめり込みは……ああ、いったいどうするのだ、すぐに名古屋だろう、どうするのだ、いったい。行かないなら下車して東京へ引っ返さなきゃあ……火急の問いなのだ、こうなると秒刻みだ。行為を前にして、ああじゃない、こうじゃない、している場合じゃないのだ、という要請は強まる一方なんだが……こう思えばああ思い、思いと思いの間をあっちへ行ったりこっちへ来たり、何処と定まる所がなく、彼でもなく私でもなく、一切合切宙ぶらりんのユウラユウラで、この当惑の霧を吹き払おうと躍起になればなるほど、いよいよ霧は立ちこめて、右も左も、海も陸も見失い、身の危険を感じて動くに動けなくなり、身は冷凍のタコのよう、投げつければ金属音で跳ね返るし、細く長い足はもろくも清音を発して折れてしまう……こうしてじっと座っていると、まさに冷凍庫の棚の魚に思えてくる。何がなにやら五里霧中、苦し紛れのガマの脂汗、ターラリ・タラリ。時々雷光のように背中を走る冷や汗は冷気を呼ぶ、というより死の気配を漂わす。ああ、それにしてもなんという相違だろう、幼児の気の動きの素早いこと。右手に持っているのを忘れて、左手に触れたものに気を取られ、それをも忘れ大小便を合わせて行い……。こうならなきゃあならないのだが、こんなことしていたら今の世じゃきちがいとしか言われまい、でも、この私ののめり込んでいる所じゃ、そうでもしない限り出口は見つからないのだろう。あっちに手を出し、あるいはあっちを許し、こっちを許し、ああでもありこうでもあり、あの話しこの話しに移り、一貫した筋、というか論理、と言っても皮相な論理であっても、それが無いようなものは全てきちがいと断定されて振り捨てられる訳だ。定型的な論理のスタイルブックがあって、そこには唯、矢印が一本通っているだけなのだ。……そうは言っても、これは火急の問いだ。答えが大至急必要なのだ。待ってはいられない。待ってもくれない。待ちたくもない……まごまごしていたら京都まで行っちゃうし、今度という今度は……というつもりがあっても、そう簡単に断を下ろせるものでもない。京都に着いたらプラットホームを踏む足が確信のあるものに、あるいは確信でなくてもいい、前後も見ずに真っ直ぐ歩き始めるようにしなけりゃならない、今、この車中で。ここで決しなければ何年経っても同じだろう……今まで散々こんなことをやってきたのだからなぁ……しかし、事柄の……性質上……いや、そんなことを言っていられないのだ。どうにでも押さえ付けなけりゃ、いつまでも押さえ付けられたままじゃ、生も死もないじゃないか、死んでいるも同じなのだから。……虎なのか、押さえ込んでいるのは。

 渦中にある者は渦中に在るを知らず、と言うが、投ぜずば生ぜずだ。あるいは、ここに突破口があるのかもしれないぞ……渦中が恋しいのはそのせいだろう。川辺に立っているのにはきらめきがないのだ。ノッカーの前、バックネットの前には充満したきらめきがある。山歩きの単独行にしてもそうだな……ともかく、この渦中たらしめなけりゃあならない、全てを。そこに存らしめなけりゃあならないのだ、一歩下がってはならない、佇んではならない。



出所―昭和五十六年 小説「述語は永遠に・・・・・・」四百字詰め原稿用紙六三六枚脱稿



「天空に舞う」三 掩体壕

2017年09月28日 | 説話


 汽車で通うこと自体がその当時の私にとっては心弾むことだった。又、それが隣町までの一駅間であっても。又、それが算盤を習いにやらされるという商人見習いのためであっても。当時、私は十歳を過ぎたばかり、昭和の二十六、七年のことだろう。その頃、父も他の親たち同様に喰うために悪戦苦闘していて、その貧乏生活は酷いものだった。弁当は梅干しが鎮座しているだけであったり、米が無くて芋であったり、麦だけだったり……時には弁当にするものが何も無い時もあった。そんな日に昼飯の触れの音が鳴った時、私は便所へでも行くような風を装って級友達の目から逃れ、暫く校舎の陰に隠れて級友達の昼食時間をやり過ごし、みんなが食べ終わって校庭へ出た頃を見計らった上で執拗に口を拭いながら遊びの仲間に入るのだった。私は今でも校舎北側の陽の当たったことのない裏庭の苔のことを憶えている。その裏庭で、私は昼食を、級友を、空腹を、貧乏を、自尊心を文字通り抱え込んで、物陰に潜み、じっと一面に拡がる苔を見詰めていたのだ。苔の生える辺り一帯には人声も届かず、ひんやりとした空間までも湿気を帯び苔に侵され始めていた。明治の初めに立てられたこの校舎の陰になって、砂はすっかりそのまま動けもせず苔に被われたままであった。砂は俺には生の印であったのだが……太陽の熱によって湿気は追い払われ、原生植物は淘汰し、全ての動植物は追放され、そこに大地が残され、砂と変わり、生の息吹に狂乱の舞いを始めるのだ。空一面に砂を舞いあげ、虚無の蒼空を、木々を、家々を、満面の笑みを持って黄金色一色に塗りつぶしてしまうのだ。ざらざらの手触りはシャツの中にも、廊下にも、畳にも、茶碗にも侵入してくる。毎年春先の風の強い日に発生するこの現象は黄砂というらしい。一説では、中国から降ってくるとも言うが……しかし、この校舎の苔の一体には過去の栄光の残影がこだましているだけで、それさえ湿気を帯びている……私はこの湿気の中にいて弁当の無いことをまるで道を踏み外しているかのように恐れた。と言うのも貧乏は死を意味していたからであり、死は世間にとって被われているべきものであったから。そのためにこそ世間は金へ突進するのだと思われたから。それが幸福に至る橋であるとされていたし、それが世間の正道だったし、正義だった。弁当の無いのは、彼らにすれば背信の行為であったのだ。露と消えるのをいちばん恐れるのだから……。父が息子に、商人の基本を学ばせようと酷い貧乏の中から汽車賃まで出して算盤を習いにやらせていたについては、私の方では何の考えもなかった。私にとっては、唯、汽車に乗れるだけで十分であった。塾へ入る街角に小さな駄菓子屋があり、その店内の一角に炉があり、その上に鉄板を乗せて「どんどん焼き」を食べさせていた。小麦粉を水に溶かして、鉄板の上へ拡げ、その上に青海苔だけは見事に振り掛けたこのどんどん焼きは塾生中に人気があり、この店へみんな屯して時間を潰すのが常であった。……ある日、ここの親父が鉄板の前に集まった少年達を捕まえて「手相を見てやっぺぇ!」と、どんどん焼きが焼き上がる間に発育途中の手を拡げさせて、少年達の未来を宣告し始めた……薄汚れた古いガタガタの建物、鉄板周りの不潔さ、薄暗い店内、小麦粉の撥ね、汚れの染みついた前掛けをした親父の小麦粉だらけの手、少年達の手も白くなった。その白さの所為だろうか、なにやら儀式染みてその親父の宣告も何か動かしがたい重みを持っていた。でも、少年達は一様に不満げに口を閉じていた。それはまるで奔放な血が出口を見いだせずに、そう、鬱々としている青年の生理の反応みたい。私の手を白くしながら、慎重に見ていた親父は唯一言、「お前は博士になるなぁ!」と、言った。奇妙な宣告だ。当時、私は野球選手になりたいという夢を持っていたのだが、博士なんていうのは何が何だか分からないものだった。そんな文化的環境は一切無かったので。後年、東方の三博士というのを知って慰みとしたが、この時は抽象的過ぎて、思い当たるものがなくて戸惑うばかりであった。父や母の、そして当時の日本で親が子に託したのは総理大臣。今でこそ、この株も下落したが、当時としては錦の御旗として流星を極めていた。そんな所に、突然の「博士」は海に芋を掘るようなもの。だからだろう、海のような記憶の中で、その奇妙さが忘却から救っていたのだろう……

 夕方、父は私を後ろ手に縛って、その綱を、山羊をつないでおく金棒に結んでから、その金棒を鞭にして尻を叩いて追い立てる。前の川の橋を渡って、中の川の土管を伝ってなおも行くと、前方に周囲一里くらいの今では飛来出来ない香取飛行場が開ける。目に耳にカラスが五月蠅いほどやってきてねぐらに帰って行く。農夫も既に牛に引かした荷車で引き上げた後で、飛来出来ない草茫々の飛行場には人子一人見えない。電灯ははるか遠くに微かに瞬いている。陽は既に丘の向こうに行ってしまい、今さっきまでのどぎつい夕焼けがどす黒くなっている。すぐ真っ暗闇になるだろう……。大きな蛤を被せたような飛行機の格納庫、掩体壕の姿が不気味だ。その黒々とした小山が飛行場一帯に散在している。物音がこだまするので振り仰げば天上は十メータ位あろうか……戦闘機は写真と記憶だけになっていて、米軍上陸に怯えた戦争末期の兵士や農夫のざわざわと喋るのが聞こえてきそうだ。竹槍の触れたような籠もる音がひときわ不安をかき立てる。父は私の我が儘の仕置きに、掩体壕の中程へ金棒を深く打ち込み、さっさと帰ってしまう。許しを請うても無駄だ。早、父の姿は闇に没した。少年は、忘れられて野原にほおって置かれている。小山羊のように情けなく幾ら哀れげに鳴いても迎えはやってこない。見離され、しかもそこへ繋ぎ止められたままだ。ここに。一晩は一生ほど長い。母の救いの手は父に禁じられている。まして弟たちには期待出来ない。隣人は尚更だ……救いは無いのだ。元々あり得ないのだ。それがいかにもあり得るかのように思うのは人々の悪しき企てだ、はかりごとだ。生命体故の幻影だ、本能だ。放り出されてあるままなのだ、裸で。……今しも闇は厚さを持ち始め、光はもう何処にも無い。すっかり闇は私の周りで固まり、なにやらプヨプヨした、そう、巨大な黒いゼリーの塊の中に居るようだ。押せども引けども力は断ち消えになってしまう。ゼリーの外に人々が居るだろうことは推察出来ても、人々は私の処まではやって来ないだろう。道は迷路だし、力を受け付けない壁が聳え立っているのだから。後ろ手にがんじがらめに縛られて、金棒は抜けやしない。掩体壕に、私の身動きの発するガサゴソという音がこだまするだけだ。見離され、放り出されてしまった。父達はもう寝ただろうから、これは覆せないだろう。幾ら泣きわめいたって、引き上げた父に聞こえる距離じゃない。封印されているのだ。それとも何か動かしようがあるのだろうか……泣き続けるしかないのだろう、夜は一生ほど長い。

 ……遠くなった少年時代のあの砂山、……五、六メーター位の長さの地下壕をカモフラージュするために盛り上げられた砂山……、周囲一里くらいのその飛行場には十幾つかのそんな砂山があっちこっちにあり、その他にも、大きな蛤の、貝の片割れを伏せたような鉄筋で組まれコンクリートで固めた戦闘機の掩体壕が同じくらいあっただろうか…、その掩体壕にも同じように、敵機に備えて砂が被せてあったがぺんぺん草やススキや蓬が蔓延っていた。周囲は戦争に用意されたまま投げ出されっぱなしで、鍬を入れてない草茫々の野原で、戦争に備えて造られた千メーター位の五十メーター幅の滑走路が二本交差して十字に走っていた。そのコンクリートのつなぎ目にも雑草が割り込んで、一メーターほどの高さの垣根が三十坪位の無数の枡を造っている。見渡す限りそんな垣根で滑走路面は見えもしない。側溝には、紙のまま投げ出されたのだろう、降伏と共に、……固まってしまったセメントの塊が雨水の中に首を突っ込んでいる。こっちには側溝の上へ覆い被さって袋のシャツが破けて丸々とした肩を出しているのがあり、膝を屈したままススキの群れの中に立ち尽くしているのが覗ける。……まるで、思い思いの姿で爆撃地点に散在する死体のよう。あるいは又、突然の降伏にハタと戦役をほっぽり出して、急遽、その場からそれぞれの出身地へ帰還した兵の群れの、歓びの仕種の動かぬ証拠みたいに放り出されていた。後片付けもしないままほったらかしてあるからにはさぞかし無頼の輩の集団であったのだろうか……末期軍隊は。それとも徴用解除になった兵隊達の上層部に対するささやかな抵抗の名残なのか。紙が飛んでしまって、写し絵の兵番号のようなものが読めるセメント塊の、むき出しの肌が人気の去った飛行場の風雨に晒され繁茂するススキの葉に嬲られている。肌は永遠のいたぶりにあっている。……今となっては、無意味な砂山が置き忘れられたまま、そう、まるで全てが無かったことにしてあるみたいだ。全てが否定されたのだ。飛行場には、今では誰も寄りつかない、墓場だ。……その無人の飛行場の砂山で、私は一人で遊ぶ。砂山の上から渠を走らせ橋を造りトンネルを掘り、支流を出し、谷を刻み……途上のあらゆる場所を名付け、いちばん下は洋々とした海原で……。天地創造が済むと、頂上まで駆け上り、ポケット一杯のビー玉を、そう赤や緑や黄の、渦巻き状の模様の入った透明なガラス玉、夕日にかざして見ると見飽きない美しさがある、あのビー玉を渠に次々に手離してやると、……駆け下りるビー玉は様々な障害を越え、飛びはね、転げ走っていく……。夕闇迫る頃、カラスのねぐらに帰る喧噪も気付かず、夢中になって駆け下り駆け上り、ビー玉をその運命に委ね、その波風を見守り、その一喜一憂に一喜一憂し……時を忘れ、晩飯を忘れ、自分を忘れ世界を忘れ一切を忘れ、あるのは只このビー玉転がしだけ、と言うよりビー玉だけ。そのビー玉に夢を見……そこに不可能に立ち向かう者の、裸の運動を、満たされぬ者の充足を、物語を、抑圧された者の解放を、そして何よりも、そこには自由の飛翔があった。誰も咎めず、人々の目はここまではやって来ず、絡繰りの必要ない別天地だった。夢の論理のように全てが許されていた。何もこうして……と言っても、この椅子、ちょっと窮屈だなぁ……足も思うように伸ばせないのだから、短足のこの足でさえ、畜生! 何だったっけ? ……ともかくあのビー玉転がしのようなあんな没頭は……あれ以来無いのか、無いなぁ……ああ、そうだ、バックネットの前と……尾根の一人歩きか……ともかく、「渦中に在る者は渦中に在るを知らず!」で、自分が何をやっているかなんて考えず、唯、行為の次から次からの連続だけがあって、行為のアミーバー状の増殖、と言うのもアミーバーに「俺は何をしているのだ?」なんて疑問が起きたら乾燥してしまうだろうし、干からびて粉になって一吹きで消えてしまうだろう……「渦中に在る者は渦中に在るを知らず!」だ! なんか歯って言うか喉、口の中が乾いてきてガサゴソする、空調か……対象についての過度の想像は、つまり節度・中庸という現世利益な基準以上のそういうものは遂に行為の清々しさを奪い、ジッと佇ませ、モグモグ口籠もらせ、陰険な非日常性をもたらすのだ。とは言え、それに捕らわれた者、そこにこそ突破口が有るのじゃ無いのかと信じ込み始めた私にはそこへ落ち込んで自分で自分にドブドロをかけなければ他に術がないのだろう。むしろ陰険さを、非日常性を方法としている者にとって明朗さや日常性の概念に救いは、いやその可能性さえも見当たらない。……か、と言って、その世界への憧れがないというのではない。その世界にいる者の無意識で享受する安易さに比して憧れは巨大である。「バラの花に何故は無い、バラの花は咲くから咲く」、おお、窓を閉めてくれ! 余りにも外は麗しい……



出所―昭和五十六年 小説「述語は永遠に・・・・・・」四百字詰め原稿用紙六三六枚脱稿






「天空に舞う」二 太平洋に雪込む丘陵崩

2017年09月27日 | 説話

 



 四、五歳の頃だったろうか、疎開先の父の生まれ育った農家の村はずれ。なだらかな傾斜というより起伏のある開墾地の右端に、こんもりとした林、関東ローム層の赤土の畑、大きな三本杉の整列! すっかり忘れていた風景……しかも似たような風景に出会った時、いつも非常に引きつけられ、得心のいかないまま何処かで見たような不思議な気分にさせられ、そのまま放心が続く……。定かでない記憶の分散した一片が思い出されて、その一片を頼りに対面している風景との挨拶が始まる……いつだったか、父とその寒村に出掛けた時、寒村と言っても、それまでは地図上の一点にしか過ぎなかったという意味であるが、父にとっては生まれ育った所、父母の地であった……視界を遮る松林を抜け、牛車が火山灰の砂を吹き上げて角を曲がると、そこは三方を広々と開墾した畑であった。麦畑の中を農道が一本、丘の起伏につれて見え隠れしていた。その開墾地の真ん中辺りに三本の天をつく杉の巨木が伐採の手を拒み通して立っていた。四囲を取り囲む松の青が低く遠くに畏まっていた。二十年という歳月の重量は、その時一気呵成に解き放たれて、分散していた記憶の一片一片が磁石に吸い寄せられる砂粒のように、方向感覚の戻る時の世界の四分の一ずつが砂塵をあげて移動するように、農道が横手から空中をひとっ飛びしてどかっと据えられ、麦畑の起伏を風の一吹きが修正し、巨大な杉が三本、天空を馳せ参じ、四囲の松が無数に天より投げ落とされた。忽ちそれまで記憶の断片として各々勝手に彷徨っていた所から目の前の開墾地の符合する所へ急ぎ飛んできた。……この風景には、点景人物が居ない、見ている私だけ、その私は風景の中には居ない、風景の手前だ……この風景には風も音も匂いも無い……唯、ハタと、そうハタであってハタッではない、ハタッになると、何かそれ以前の運動、生成が付随する、というよりその時間の推移、歴史が成立してしまうが、ここではそういう史観は関係ない。それらを超越した純粋な本質だけで成り立っているような……プラトンのイデアのような抽象されたものものでもなく、更にロマン主義者の招待客「精神」のごときものでもなく、それはただそこに事実あるのだ。……それはともかく、何故この風景にこんなに惹かれるのか、単に記憶の再生に記憶の構造美に心動かされているだけのことか、それともここに何かあるのだろうか……開墾地、食糧増産の戦時号令、こんもりとした林、起伏のある麦畑、無人地帯……これが幼児期の私の内面風景か……他に記憶はないのだから……賑やかな街から疎開した者故の記憶だったのか。

 千葉の栄町が米軍に空襲されたのは何時だろう……何歳だったのだろう、まもなく四歳か。二つ年下の弟を異母兄が背中におんぶして逃げたというから……。火炎が栄町一帯に拡がる前、異母兄は庭に穴を掘って本を埋めたという。「もう、止めろ、止めろ!」と、父が幾ら言っても止めなかったそうだ、全部埋めるまでは。既に火は隣近所まで延びてきていて、大急ぎで父が私を、兄が弟をそれぞれ背中に括り付け、母が手に持てるだけの、身の回りの品々を抱えて、家を捨てて戦火の中を逃げたそうだ。どっちの方へ逃げたのか、火の勢いはどんなだったのか、空は晴れていたのか、曇っていたのか、夜だったのか、昼だったのか、逃げ惑っていたのであろう人々の姿恰好はどうであったのか、家族のその時の顔つきはどうだったのか……一切記憶にないのだ。兄が本を埋めたというのも、私の記憶ではない、父から聞いた話だ。通りで暖簾の掛かった店を見つけると、どんな暖簾でも母の袖を引いて、入ろう、入ろうとせがんだそうだ。質屋でも銭湯でもかまわずに。暖簾の掛かっている所は全部食い物屋だと思っていたらしい。三歳頃までの私は。……母がそう話してくれたことがあった。



出所―昭和五十六年 小説「述語は永遠に・・・・・・」四百字詰め原稿用紙六三六枚脱稿




「天空に舞う」一 白いワイシャツ

2017年09月26日 | 説話

或る事件が十三才の時、校庭で起きた。

秋始めのある晴れた日、私は昼食後の満腹感で校庭を歩きはじめた。他の中学生達は既に校庭で遊んでいた。すると急に、風の音と彼らの遊び声が、ボリュームを落とし、あたりが静まり、私は白いワイシャツが風に揺れているさまを見続けていた。それは風の強い日の旗のように、バタバタと音をたてていた。その衣服の白さとバタバタという音だけに、私の意識は集中した。その時、ひどい孤独と共に私は叫んだ。―ああ! 彼らも人間だ、と。
その白さ、バタバタという音は、私の意識に、他人としてそこに「ある……」という感じを、叩きつけた。

その色と音とは今も私の中にある。しかし、他人はそこに「ある」のであるが、それがどのように私に関係しているのか、どういう具合にしてそれはあるのか……等という疑問符をつけられたままの形で、存在している。
その時から、私にとって他人は一つの謎のままである。
私に立ち向かってくるもの、対象、私以外のもの、客観存在、それらが問題として誕生したのである。
しかし、この謎の発生する因となった「白いワイシャツ」の経験は二十二歳頃まで、忘れられていた。偶然目に触れた次の文章が、私に先の経験を想起させたのである。

「彼はあたりを見まわした。すると自分自身の他に何ひとつ見えなかった。そこで彼は始めて叫んだ。―私がいる! と。……それから彼は不安になった。ひとりきりでいると不安になるからだ。」
                ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド



出所―昭和四十二年 学部卒業論文「ヤスパースの暗号について」四百字詰め原稿用紙一〇〇枚






説話集 天空に舞う

2016年04月18日 | 説話


説話集
天空に舞う



                      
 たかの よしひろ




目 次

一 白いワイシャツ
二 太平洋に雪崩込む丘陵
三 掩体壕
四 黄金の稲穂の波打ち
五 大山
六 志学元年の経験
七 ロッキーズ物語
八 ブレイクスルーな事態
九 童女のようにはしゃいだギリシャ旅行記
十 ソクラテス来迎

Book Review
 著者略歴
 書誌等




一 白いワイシャツ

或る事件が十三才の時、校庭で起きた。

秋始めのある晴れた日、私は昼食後の満腹感で校庭を歩きはじめた。他の中学生達は既に校庭で遊んでいた。すると急に、風の音と彼らの遊び声が、ボリュームを落とし、あたりが静まり、私は白いワイシャツが風に揺れているさまを見続けていた。それは風の強い日の旗のように、バタバタと音をたてていた。その衣服の白さとバタバタという音だけに、私の意識は集中した。その時、ひどい孤独と共に私は叫んだ。―ああ! 彼らも人間だ、と。
その白さ、バタバタという音は、私の意識に、他人としてそこに「ある……」という感じを、叩きつけた。

その色と音とは今も私の中にある。しかし、他人はそこに「ある」のであるが、それがどのように私に関係しているのか、どういう具合にしてそれはあるのか……等という疑問符をつけられたままの形で、存在している。
その時から、私にとって他人は一つの謎のままである。
私に立ち向かってくるもの、対象、私以外のもの、客観存在、それらが問題として誕生したのである。
しかし、この謎の発生する因となった「白いワイシャツ」の経験は二十二歳頃まで、忘れられていた。偶然目に触れた次の文章が、私に先の経験を想起させたのである。

「彼はあたりを見まわした。すると自分自身の他に何ひとつ見えなかった。そこで彼は始めて叫んだ。―私がいる! と。……それから彼は不安になった。ひとりきりでいると不安になるからだ。」
                ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド



出所―昭和四十二年 学部卒業論文「ヤスパースの暗号について」四百字詰め原稿用紙一〇〇枚


(以下略)