そう、あれは昨年の夏の終わり頃。キャンパーが引き上げた後のひっそりとした大山南面の山裾のキャンプ場。大山の頂きを背にして視界の開けたなだらかな高原状のところ。白樺が四、五本、目にぶつかるだけで、低い葦が一面に見渡せた。右手の山塊の落下した辺りに米子の街が見え、美保湾が湖のように浮かんでいた。左手には中国山脈が黒々と連なっていた。当時、連想過多症が昂じて身動きできない状態にのめっていて憂鬱な気分で日々をすごしていた。いったい、どう生きていったらいいのか、皆目分からぬまま火急の問いにせっつかれて、唯、闇雲に右往左往するだけであった。踏み出す足の一歩でさえも、意識の対象となっていた。陽に焼けたトタン屋根の猫のように飛び跳ねさせられていた。世界は、全て私自身の存在を脅かすもの以外のなにものでもなかった。自己を保つために、知性は全てを対象という虚構に作り変えていた。川の辺にたたずんで、躍動する生の流れを知性に頃合いの概念にすべく流れに飛び込むことをしりぞけていた。そのため、躍動する生の流れは乾燥し凝固していたし、一方で、その概念化の試みのイロニーに取り付かれて無限拡散を続けていた。連想過多症は末期症状を呈し始め、知性の目論見が行為の停滞をもたらし、決定性を回避するために全てを曖昧にし、抽象化し、生の息吹を粉々して現実破壊は極限に来ていた。はびこる作為のぎごちなさ、人工的な関わり方が有機的関連を殺ぎ、個物同士の距離が銀河系の渦状星雲の端と端ほども離れているかのように孤独であった。何か、生活の出発になるものが無性に欲しくて、切り札である述語探しを濃厚に行っていた。渦雲状のものがいつも頭蓋の中を駆け回っていて超低空を飛来するジェット機があっちからもこっちからも四方八方から押し寄せていた。バリバリキュゥ―ン、バリバリキュゥ―ンという地の割れるような音が頭蓋の中にこだまし合い響きあっていたので、いつ破裂するのだろうという狂気への恐れがつのっていた。
とても、もう耐えられないと思って、東京を逃れだしたのは八月の中旬だったろうか。テントをリュックに入れて。大山に着いた頃には、新学期が始まる学生たちが皆引き上げたあとで、広々と萱の開けたキャンプ場には誰も居なかった。炊事場周りのゴミの量がつわもの共の夢の後だった。白樺の樹に吹いている風に早や秋がやってきていた。空は無窮に晴れ渡り、靄のような白い雲が清めの塩をサッとばら撒いたよう。東京での頭の中のジェット音を逃れてきて、ここには何の音もなかった。終日、野に寝転んで空をみていた。空と雲と風と山と樹とにわが身を投げ出し、そこにわが身を晒していた。陽が降り注ぎ、風が撫でていき、雲が無数に流れて行った。晩夏の季節の真只中にわが身を晒し、降り注ぐものを身に浴びて過ごした。そうして、十日くらい、テントを張っていたろうか。
あれは、そろそろ引き上げようかと思い始めた日で、その日は朝から小さな雨が降っていた。テントに閉じ込められた二人はほかにやることもなく、その日何度目の交わりだったろう。テントの奥の荷を取ろうと、四つん這いになった房子の尻のスラックスを下着ごとズリ落とし、むき出しになった丸まるな尻を抱きかかえて割れ目へ己れを突き立てた。残余恍惚が訪れ、ドクッドクッと発射しながら身をそり返すと、右手のはるか下の方に夜見ヶ浜から半島にかけて黒々とした景観が吹く霧に見え隠れしていた。キャンプ場左手の奥には三本の白樺の樹が並んで立っているのが見えた。雨が上がって、風がよみがえった。今しも雲間を縫って光の板が射し込み辺りが明るくなってきた。光を吸った白樺の樹肌が輝いている。小さい葉が小刻みに風に揺れている。一枚一枚がヒラヒラハタハタと静かな音を立てている。銅像の手だけが振られて、そっと合図を送っている。視界のうちを見渡せば他に動くものはない。辺りが静まり、まるで吸音マイクでノイズが吸い取られたみたい。蟻地獄に落ちた虫のあがきが途絶えた瞬間みたい。時間が掻き消え、空間が膨張する。白樺の白が異様に白い。原始の白って言うのか、白そのものって言うのか。今までの白にない透明度がある。そぉ、いつも、いつもガラス越しに見ていたものが、突然、汚れガラスを取り去って見たような直接性がある。ああ、揺れる、揺れている、揺れる千手観音の小さな手のような無数の手のひらが揺れている。まるで、何かの秘密でも暗示するかのようにひたすらかすかにヒラヒラハタハタしている。嗚呼、数え切れないほどの遍路が山の肩を下っていく。瓦礫のけわしい道に白い衣が風にはためく。一様に手のひらを打ち振って。耐えられないほどのとてもつらく悲しい、そしてさみしい道行きのようだ。消え入るように下っていく、白い衣のハタハタの集団が。嗚呼、なんだか今まで人と人とのつながりと思っていたものがみんな嘘で、実は人と人とは無限に離れているのだと言っているみたい。事実が透けてくる。虚構が暴かれる。「主語+述語」ではとても捕らえきれないかもしれない。言葉が届かないぞ。対象ではないのだろう。仕組みが発かれる、見えてしまう。なんだろう、自分が居ないみたい。俺は白樺か、白樺が俺か。白樺だと今まで思っていたのは嘘なのだ、こりゃあ。思い込まされていただけだぞ。あるいは取り違えたか。痛恨の失敗だ。おお、なんたることだ。とんでもないものが現実なのだ。今まで、現実だとばかり思っていたのは、実はそれは虚構なのだ。つくられたものなのだ。変わるものだ。おお、それなのに絶対と思い込み、そればっかりを相手に七転八倒していたのだ、何たる様よ。目のうろこが落ちたよう、視界が開けたというより透視度が増したというのか。あるいは見ようとしなかったのか。怖いために、いや、習慣で。引き連れてきた相手はいつでも俺の前に立っていた。俺の方へ近寄っても来ず、俺も行かない。相手といっても、相手そのものが問題じゃなく、相手との間、それも俺の方からの関わり具合が問題って言うわけだ。いつも、いつでも俺が、俺が、だ。関心の中心は俺であって俺以外のものに興味を示さないし、示せない。俺が世界を主宰する。嗚呼、そお、俺なのだ! いつでも、どこでも俺なのだ。俺しかない。俺だ! その「俺」が虚構された「俺」だ。「私とは何か?」と述語探しに明け暮れた者の、これが結果だ。連想過多症にのめり込んで渦雲状の対象が飛散する猛烈なスピードに頭蓋の眩暈を起こしつつある者の姿だ。調書を取られ、繭子を盗られ、生きる空間を没収されて、光り輝く生の流れはどんどん目の前を下っていく。待っていてくれぇ! という俺の願いは届きもしない。ひからびるばかりだ。ポキポキになってしまう。バサバサしている。その歩みは抽象建築のように大地から遊離する。その眼差しは伽藍のように仰々しい。嗚呼、それなのにどうだ、この風景の明晰さは。どこにも複雑なレトリックはなく、単純明解なありようじゃないか。「俺」なんか、どうでもいいのだ。そこへほったらかしたまま遊びに出かけてしまえばいいのだ。あの白樺へ、雲へ、光の板のさしている辺りに。男と女と別々に在るのではなく、一つの肉塊、団子状のありようだ。白樺があって、俺が見ているのではなく、白樺も俺もいない。彼方には垂直に起立する巨大な積乱雲の群れが見下ろしている。手前の低い雨雲の間をぬって何本もの分厚い光の板が投光器の光のように高原に降り注いでいる。光を受けた白樺の樹肌が白く輝いている。銅像の手のような白樺の無数の葉が、いま沸き立った風にハタハタと揺れている。高原に冷気を含んだ風が吹き始めた。キャンプ場にこの夏最後のテントが一つ張ってあり、その中でいましもひとつがいがまぐわっている。……ひとつの風景の中に供されている「俺」。そお、余りにも、今まで自分の方へ引き寄せすぎていたのだ。
ハタ、と世界が別の顔を晒すこんな瞬間はそうやたらにはないが、開墾地で杉の葉群れの揺れるのを見たときも、校庭でワイシャツのバタバタするのを見たときも、そして白樺の葉のハタハタするのを見たときにも、それぞれに共通する一様なものがあるようだ。これらの経験は、まず、外洋の、大波のうねりのような揺れ動きではなく、小刻みな揺れ方をしているようだ。そお、宇宙の奏する信号を受信する私の同調器は振幅幅の小さい杉の葉群れやワイシャツのバタバタや白樺の無数な葉のハタハタにだけ共鳴するのだ。そういうものを通じてだけ、向こう側へ行けるのだ。それにそれらを見出したときの経験状況がみんな同じだ。見出した瞬間、行為を奪われ、それに釘付けにされる。釘着けにされた私がだんだんそれらの方へ出向いていき、ついに私は居なくなって、それらだけがあるということになる。私のない時間・空間に私が居ることになる。そこに没頭し熱中する。忘我・没我だ。
そう、あのテント場に着いたのは八月も末で、キャンパーたちはみんな引き上げたあとで草原には一つもテントが無くて……二週間、あそこにテントを張ったままにして……しなけりゃならないのは食事を作る手伝いだけで、日が昇るとテントを出て薪を集めて飯盒の飯を作るだけで、食べ終わるとそのままほったらかして、ゴロッと大地に横になって……行く雲を見たり山々や木々の葉を見たり、飽きれば本をパラパラとめくり、……すべての煩いを投げ出したままにしておいて、時が軀の中をゆっくり濃密に通り過ぎていくのを物珍しく見ていたのだ。それは少年の頃、野山で遊んでいたときに感じていた充実感のある何か内から膨らんでくるような空間的な面積、いや容積を持った時であった。以来、ずぅっと忘れていた感覚であった。……人影が見えなくなってしばらくして、二、三人のハイカーがキャンプ場の端を下山していった。鳥取の医大生が一人、キャンプ場の下見に来たのに会ったなぁ……なんでも来年全国の医大生が集まってなんかやるようなこと言っていた……その彼も一泊して帰ってしまい、キャンプ場は人気の無い森閑とした草原になってしまった。いつまでも何もしないで居られないような気分になって、明日はテントをたたもうかっていう前の日の夕方……だったかなぁ、三時ごろだったかもしれない。通り雨が朝から気まぐれに何度も降って一日中テントに閉じ込められて……あの日、何度目だったろう、房子の尻をだき抱えたのは。意子のとき満たされなかったものが心行くまで堪能できて、軀の中に高圧電源を据え付けたみたいに手指の先や神経の末端が唸りを発していた。猪にでもなってしまったみたい。五感は活力がみなぎっていた。……テントの中で、奥のほうにある小さな手鏡をとろうとして四つん這いになった房子の黒いスラックスを下着ごと引きずり落とし尻をむき出した。大きな桃のようなその割れ目にズブズブと私は入り込んだ。抱えきれないほどの尻をしっかり抱え込んで、霧に煙る三保湾を見下ろしながら射精が始まった。ドクッドクッと傷口から血が吹き上がるように射精しながら、軀はビクッ、ビクッとしびれながら反り返る……どこを見ていたのだろう、何を見ていたのだろう、長いこと焦点も定まらずになにやら宇宙の裏でも見ていたのだろうか。ふと、気がつくと、山の辺にたわわな一本の白樺があり、視線はそこに集中していた。どのくらい、見ていたのだろう……射精の大波が収まっていくに従い、まるで長い旅から今帰ってきたかのように……何かを、というか、どこかをグルッと一巡りしてきたかのようにして……アア、シラカバノキジャナイカ、と、白樺を見ている私に気がついたのだ。……射精中から引き続いて魅せられたようにそこへ釘付けにされていたんだなぁ、きっと。幾秒、幾分、いや幾時間を経過したのだろう……そこには何もなかったけど、何だろう、空白……と言っても白い紙があったわけじゃぁない。何だろう……気がついたら、物音が絶えていて、白樺の樹ばっかりがあって……雨に洗われた白樺の葉の、無数の葉の群れが、雲間を切り開き光の板となって降り注ぐ初秋の陽に晒されて、雨脚の駆け抜けた高原に沸き起こった風にハタハタ、ハタハタと数限りなく鳴り渡り、光さんざめいていた。それは桐の葉のように馴れ合っていっせいにざわつくのとは違って、各々の葉が孤立していて、ちょうど小判の山をばら撒いたよう。無数の葉が一枚一枚鮮明に見えて、なんだか異様に視聴覚が鋭くなったみたい。可視・可聴範囲が拡張・拡大されたみたい……なんだっていうのだろう、やけにハタハタするじゃないか……湿気がないからか、そんなはずはないけれど、清々しさが異常だ。雨上がりだからかな?、物がみんな水晶みたい、そう、紫水晶のように微かに色がただよい出ている、けがれがなく透明だ。埃なんか、どこにも無いじゃないか! 普段見慣れた樹とはどこかちがうなぁ、幹の白さだって、いつもの白さじゃないみたいだ、言ってみれば、原初の白なのかなぁ……。なんだか今まで見てきた白が白としては贋物みたいな気がする。というより、今まで目にしてきた白が何か被せられた白なのだろう、葉だってそうだ。贋物を掴ませられていたのだ、きっと。本当にこんなの見たことないなぁ……手のひらを振っているみたいじゃないか……赤ん坊のような小さな手もありゃあ、相撲取りのような手があって、招くような手があり、……二、三千人分の手が一本の樹に集まったみたい、あらゆる年齢、あらゆる階層、あらゆる人種が密集しているみたい、アア、千手観音なのか。勝手にみんながそれぞれ手を振っている……誰に振っているのだろう? ……エッ、この私に、か……私に! 今こうして、女の軀の奥深く身をねじ込んで、女の大きな尻に軀をすっかり密着しているこの私に……女も私もありゃあしない、一塊の肉のドロ団子だ。わが身をそこへ、肉のドロ団子に供えて、私は流動物になったのか。物と物との絡まり合いが角を削り落として団子にしているみたいだ、きっと溶けているのだろう、枕木のようにゴツゴツしている私が。なんだか辺りの様子が変だ、やけに透き通っている……なんだっていうのだろう、あんなに手を振って…… 「さよなら」なのか、それとも…… 「お出で、お出で」なのか。行ってきて帰ろうとしているのか、暮れなずむ浦々を潮が引き上げていくように……。それとも、越えられなかった藪を突き破って、向こう側に転げ落ちた猪なのか、今の私は。すると、私はとうとう流れの中に飛び込んだのか……な。辺りは逆巻く奔流、岩を噛む白い渦なのか……。どうなのだろう……。誰がそれを認めてくれるのか……、多分、それは誰にも分からないのだろう、ただ、自分でそれを支える以外には。それにしても、それを支え続けられるだろうか、どんな風にして支えるのだろう? そこに立ちいたれば、そんなことは問題にもならないのだろうか……でも、それは……紫水晶のように奇麗なものであっても、水の中の角砂糖みたいにもろいようだ。角砂糖を紫水晶に変えるなんてことは出来ないのか。……多分、それは存在ではなく状態としてしかありえないのだろう、永遠の。……私も白樺もなくて、私と白樺が一つになっているのか、そういうことなのだろう、これは? 白樺ばっかりで私が居ないのか、私が白樺になって私を見ているのか。それとも、唯、私の居ない風景なのか。あるいは、私も白樺もない世界か。そう、世界がドッキングして唸りをあげているのか、あらゆるものを巻き込んで、物の名を奪って。
「初めてなのだ、男にしてよ!」
密室の布団の中、女の軀に抱きついてわめいていた。まるで、川に投げ込まれた犬のように。房子はなぜか……急に泣き始めたのだ。私には何がどうなっているのか、さっぱりわからない……ミンミンゼミの鳴き始めみたいだ……
「嘘でしょ、嘘でしょ、初めてなんて……」
初めてだったら、どうだっていうのだ。口付けをしたまま、浴衣と下着を剥ぎ取る。房子は何も逆らわず、自分から軀をずらして取りやすくする。……意子の軀を女の裸としてはじめて見たときの感激はなかったが、衣服を取った女の軀は豊満だった。肩から手に落ちる曲がり、背から腰のくびれまでの一気の線、そこから再び盛り上がるその急激な肉の塊、円を描くかと思わせる丸みも太ももから踵にかけてなだらかな大草原を下るよう。時間を忘れるほどのなだらかさ……二つの丸山は抱え切れない。かすかに笑っている顔のくぼみはすべてが許されていることを意味していた。房子の視線はついに欲望に光り輝いていた。私のほうには軀の中を突っ切ってその光の中へとぞくぞくと走っていくものがあった。私も、軀にまつわりついている余計なものを邪険にあしもとへ蹴っ飛ばした。すると、妊娠するのじゃないか、という不安がからめ手のように攻めあがってきたのだ。……脱漏した腸がペニスにからまりついて……。意子のときみたいに、又、女の中へ入っていけないで、ツンツンと突っつかれて……珊瑚色の腸がプルンプルンと慰み物にされやしないか……いやいや、ことによると、女の軀に入って力んだとたんに風船のように膨らんできたりして……二人で風船突きでもはじめるか……。結局、またまた失敗して……と、なるのかもしれない。頭の端をそんなくもの糸にからまれながら、房子の口から耳へ、あごの先から肩へ、わきの下から胸へ、無我夢中になって腹から茂みへと私の口と舌は這いずり回った。足が互いに絡まり、五体を総動員しての愛撫が続いた。房子は横にうずくまるように身を丸め、一瞬、反転し、反り返る。すると、耐え切れぬように身悶えた。耳の裏に強く吸い付くと、搾り出すような声とともに手足がうめいた。手指は鋼のように硬く、辞書の挿絵のように十指が開いていた。足の指は印字箱の「く」の欄の並びみたい。太ももが水揚げされたばかりのマグロのように、時々ばたついた。地表に出てきたたまねぎの芽のように、大空めがけて直立不動で突っ立っている乳首に吸い付くと、 「アウワアァオォウッ」と、声を荒立てる。なにやら北京原人やピテカントロプスのときの声に追い回されているような気分にさせられる。私の海綿体は痛いくらい張っていた。房子の両股を押し広げて土砂崩れのように割り込んでいったが、肝心なときに岡や茂みや沢の辺りをただうろうろ歩き回っていた。「穴がないのだ、穴がない!」と。すると、突然、私のペニスは一升瓶の口を握るようにムンズと握りこまれた。な、なんだろうと、思うまもなく、グィッと肩口を捉まえられた旅人のように、強引な客引きに案内されて……私のペニスはズブヌルッ、ズブヌルッとはまり込んでいった、というか吸い込まれていった。あたりは蜂蜜でもぶちまけたようにヌバヌバしていて……たどり着いた先は水分のない水あめの中みたいなところ。しなうような流動物の塊にすっぽり包み込まれてしまった。……不思議なことに、私のペニスは房子の中で自覚症状を失くしてしまい、房子の中に沈みこむような、消え去るようなおぼつかなさを感じ、それていてそこからむくむくとそれを歓迎する気分もわいてきた。まったく自分が滅しきっていても、なに不足ないというか、むしろそこへ速く行きたいという願望……やってくれえぇ! という絶叫があった。
「おぅ、おお!」
房子の短い髪が洞の蝙蝠のように飛び交い、額にジェット音のような溝が走り、口はのどのカーテンの震えが見えるほど大きく開けたままで……腰を上下に満遍なく動かすから摩擦熱がこうじて気化液が興奮の坩堝に満杯になった。上下運動なんか、誰に教わったのだろう? 息は急坂をのぼる蒸気機関車のように荒くなり、汗が全身に吹き上げ目がかすんできた。陰毛・恥毛の汗のすえた臭いと、椎の樹の異臭との熱風が男女一如の二人のべったりした腹と腹の間を上下運動の間隙をぬって鼻翼をばたつかせながら昇ってくる。感情は破裂しそうな高みに上り詰め……そのとき、部屋中にとどろく声がして
「イラズ! マダ、マダ、マダナノォ、……ハヤクゥウ、ネェ、ハヤク、ハヤク、ハヤクシテェ! ハヤクシテェエ、オネガイ、ハヤクシテェエ、オネガイヨォ、ハヤクヨォ、オネガイヨォ、……オオゥ、イイワァ、イイ、イクワァ、イクワァヨ! アア、オゥオゥ、イクウゥ、イイ、いらず、イッショヨ、イッショヨ、ワタシトイッショヨ、ワタシトイッテェ……イッテェ、ヒィイ、イイゥ、ウゥムゥ、ダメ、モウダメ、マテナァイ、ダメ、イクゥ、モウイクワァァ、イク、イク、イクゥヨォ、オオオァ……」
何にも知らないうぶな私は、かぼそく
「どこへ?」
この真最中に、どこへ行こうというのだ。ただちに起き上がって、大至急服をつけてハワイ旅行にでも出かけようというのか……
「モット、ツヨクダイテェエ、……ハヤク、ハヤクヨォオ、……アア、マタキタワア、アア、ダメヨ、モウダメヨ、モウガマンデキナイワァ、ワァ、イクワァ、イク、イク、イクウゥゥ……マダ? マダナノ、ハヤクゥウ、キタ、キタワアァ、アア、オオ、モオマテナイ、イッショヨ、イッショヨ、ハヤク、ハヤ、ハヤク、イク、イイ、クウゥゥ、イク、イク、オゥオゥヒィイ、ヤッテェエ、ヤッテヨォオゥ、ヤレェッ! ブッチャラカシテェ、ゼンブ、ゼンブ、チョウダイ、ゼンブヨォォ、ウッ、ウッ、イクワァ、イク、イク、アア、アア、アオゥ、オゥ、オウ、アアアッ、オオゥエ、オオ、オウウウ、シ、シィヌゥゥ……、オオオオオッ」
「もうすこし、もうすこし、待て。まだ、まだだよぉお、おぅ、……ああ、きた、きた、きたぞぉお、行く、いく、いくぞぉお、ほら、ほらあぁああああ……」
その時には、もう房子は頂上へ達していたようだったが、うねるような恍惚境へ私も遅ればせながら溶け込んでいった。……肉の塊の中へ五体全身が出かけていき、そこへ溶解しつくした。不思議なものめずらしい歓びだった。それは物欲の満足の歓びのようなある方面だけの部分的な歓びではなく、全部の、というか、根の、というか在ることの歓びっていうのかな……すべてが存在の意味にあふれていて生々として光り輝いている。あとにしてきた事物や風景が、そこから見ると、そら恐ろしいほど色あせていた。意味のないガラクタにしか過ぎなかった。互いに関係を持たない個々の断片の間をさまよっている私の途方にくれた姿が見えた。主語+述語の形で世界を理解しようとして、述語は永遠に……と、懐疑に取り付かれたまま連想過多症特有の出口探しにやっきになっているのだった。……それなのにここでは、すべてが意味を雲間の朝日のように発散している。ということは、ただ単に、少しだけ思いが過ぎるだけなのかもしれない。髪の乱れも、額に刻まれたかすかな表皮のよじれも、肩肉のえくぼのような凹みも。……引き潮が浦々を引き上げていくように、恍惚が大小さまざまな岩の間をぬって萎んでいった。ぐったりとなって、二人はそこに二本に束ねられた丸太のように投げ出されていた。汗が全身にべったりとしていてすえた臭いが被っていた。絡まっている意味がなくなって、やがてどちらからともなく軀を離して互いの視線を求め合った。そこに今しがた恍惚を共にした女が目をキラキラ光らせていた。その光りには、「十月十日」の産みの苦しみをした母親がやんちゃに育った子供のいたずらを眺めているようなやさしさにあふれていた。そのやさしさは軟弱なものではなく、軟弱なものでは生まれてこない強さを秘めていた。子を抱いている母の、死して成った者の磐石のごとき重厚さがあった。
「これで拭いて頂戴!」
出所―昭和五十六年 小説「述語は永遠に・・・・・・」四百字詰め原稿用紙六三六枚脱稿
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お後が宜しいようで……
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目 次
一 白いワイシャツ
二 太平洋に雪崩込む丘陵
三 掩体壕
四 黄金の稲穂の波打ち
五 大山
六 志学元年の経験
七 ロッキーズ物語
八 ブレイクスルーな事態
九 童女のようにはしゃいだギリシャ旅行記
十 ソクラテス来迎