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はじめての哲学

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抜粋 E・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』死とその過程について 中公文庫

2017年11月10日 | 宗教

死の五段階説
 第一段階/否認と孤立
 第二段階/怒り
 第三段階/取り引き
 第四段階/抑鬱
 第五段階/受容


 もし国民全体・社会全体が死を恐れ、死を認めないならば、破壊的な自衛手段に訴えざるを得ない。戦争、暴動、増加するいっぽうの殺人、その他の犯罪は、私たちが受容と尊厳をもって死を直視することができなくなった証拠かもしれない。私たちは個々の人間に立ち返り、一から出直して、自分自身の死について考え、むやみに恐れることなく、悲しいが避けることのできないこの出来事を直視する術を学ばねばならないだろう。


 H夫人はふいに私を見ると、感情にあふれた声で、叫ぶように言った。「なんてことを……夫はだれよりも誠実で信頼のおける人でした……」


 死が患者に大きな安堵感をもたらすときがくるなんて考えてもみなかったし、患者が人生の中で大切にしてきた家族や友人から少しづつ離れていけるようにすれば、患者自身は安らかに逝けるなどとは夢にも思わなかったのだ。


 今日という日はあるけれど、明日はないかもしれないのです。(G夫人)


 わずかな希望しか残されていないとしても、事実をきちんと説明されて、告知されれば、家族の者はそれほど動揺せずにすむのではないでしょうか。事実を受け入れると思います。


 より多くの人が、死とその過程を人生の本質的な過程のひとつと考え、妊娠・出産について話すのと同様に何のためらいもなく語り合うことができればいいのかもしれない。


 C夫人がおそらくいちばん言いたいのは、人の気持ちに敏感な、思いやりのある人が必要だということと、それらの人びとが患者の大きな支えとなるということであろう。


 患者 そうしたいと思っています。だれかの役にたてるなら、たとえ出歩いたり、たいしたことができなくても、喜んでそうします。あの……私は長生きするつもりですから、あと二、三回は面談を受けるでしょうね。(笑い)


 すると、その老人は怒りと嫌悪に満ちた目付きで私をにらんだ。医者ってもんは、病人が元気なうちは面倒見てくれるが、いざ死にそうになると逃げちまう。あんたもそうだろうが、と言った。


 自己防衛のために自分のまわりに張り巡らした高い柵を、だれかに破って欲しかったのだ。


 臨死患者のセラピストになることを経験すると、人類という大きな海の中でも一人ひとりが唯一無二の存在であることがわかる。そしてその存在は有限であること、つまり寿命には限りがあることを改めて認識させられるのだ。七十歳を過ぎるまで生きられる人は多くないが、ほとんどの人はその短い時間の中でかけがえのない人生を送り、人類の歴史という織物に自分の人生を織り込んでいくのである。





*平成二十九年十一月九日抜粋終了。
*医師の無神経な言動は情けないというばかり。
*日本ではこの臨死はどうなっているのだろうか、まつたく別の仕組みがあるのだろうか。仏さまのところへ喜々として旅立っているのだろうか。または生まれ変わりに託するのか。
*父の死に際の言葉「よっちゃん、こえぇよう!」というのが忘れられない。方言「こえぇ」というのは疲労と恐怖との二重の意味を持つが、生活に追われて父に何もしてあげれなかったのがずっと悔やまれている。



抜粋 松長有慶『理趣経』 中公文庫

2017年10月27日 | 宗教


第一章 理理趣経とはどんなお教か


 古くから理趣経が秘伝として、その内容を一般に公開しなかったのは、そのような表面的な理解で早合点してしまわれるかたがいるのを恐れてのことなのです。


 日本の密教は教相と事相の二つに分かれています。教相とは教義的、思想的なものであり、事相とは実践的、行動的なものであります。密教というのは、この二つがそろわないと十分とはいえません。


 秘密には二種類あって、「如来の秘密」と「衆生の自秘」だと、「弁顕密二教論」(空海)には書いてあります。


 相手がそこまで程度が進んでいないから、教えるとかえって相手のためにならないから秘密にしておくということ。これが秘密の一つの意味です。(「如来の秘密」)


 もう一つの「衆生の自秘」とは何かというと、すべてはオープンになっているのですが、受け取るほうの目がかすんで見えない、という意味です。


 本書では、かくすことはかくさなければいけないが、理解することは理解していただくという方向で、書き進めていきたいと思います。もちろん、実践に関する面は、ここで問題にすべきことではありません。


 だから「般若の知恵」のあちらの岸に到りついた、悟りに至る状態、悟りの状態、般若波羅蜜多というのはそういう悟りの状態を表します。般若理趣経というのは、般若波羅蜜、そういう悟りに達する方法を書いたお経となります。


 ところが、仏教でいう大楽という言葉は、裏に苦をもたない楽だということです。……。小さなものに対する大きなものではなくて、かけがえのないという意味なのです。


 三昧耶経―悟りの境地


 般若経(大乗仏教の代表的な経)の突然変異が般若理趣経。


 般若経→一切空を説く。「色即是空、空即是色」


 空とは何かというと、分別ということを否定することなのです。


 分別というのは、分ち別つことです。だから、自分と他人を分ち別つ、自分と外界のものをすべて区別してしまう。仏教では、これはいけないのです。本来、みな一つなのです。


 大乗仏教というのは、やはり否定面より肯定面に特徴があります。


 龍樹→空を主題とした「中観哲学」についての権威者。「中論頌」「十二門論」「大智度論」(大般若経に対する注釈書)


 形より心だとなつてくるのが大乗仏教だとお考え下さい。


 維摩経(維摩居士)
在家の維摩居士は大乗仏教の理想像のようなものです。


 阿羅漢(小乗仏教)というのは、自分だけが修行してその結果を手に入れる。小乗というのは一人用の乗り物です。大乗仏教というのはそうではない。みんなでいく。


 一番わかりやすいのですが、これは一歩誤ると大層危険です。わかりやすいといえば、これほどわかりやすいことはない。こういう非常に危険な要素が、密教経典、特に理趣経の中には、ふんだんに説かれているため、ある程度の段階にまで達していない人には説いてはいけない、秘密だということになっています。相手の目がかなりの程度育っていないとセックスのことしか書いていない経典だと、好奇心で見られることになります。本来のものをつかまずに、表面的にそれを理解してしまう。そういう例が多いのです。




第二章 理趣経ができあがるまで


 密教をどのようにとらえるかによって密教の起源の問題もだいぶ違ってきます。


 密教というのは、多くの材料からすぐれたものを選別したり、一つの原理が中心になって他の原理とか材料を切り捨てていくのではなく、一切の物をほとんど無差別的に抱き込み、そのあと
何らかのシステムを作り上げるタイプです。ほとんどの東洋思想は、どちらかといえばこういった傾向をもっています。それは、異質なものを切り捨て、純粋なものだけを残して、それを育て上げていく西洋思想のようなタイプではありません。


 密教というのは、現実に存在するすべてのものを何もかも包みこんで、、それらを一定の原理によって、全体的にシステム化していく。こういったところに特色があります。ですから密教の起源といっても、材料があちらこちらに転がっていますので、どこからはじめていいのかわからないわけです。


 紀元前二千年ごろに興ったインド・アーリア文化以前のインダス文明にヨーガのきざはしあり。(密教起源?)


 洋の東西を問わず古代民族にとって、呪術は科学だったのです。……。古代人にとっては、同じ方法をくり返すことで同じ結果が出てくるという科学のやり方と、呪術のやりかたはまったく一緒なのです。


 真言密教の祖師の一人 一行禅師(天文学者でもあった)


 大日経と金剛頂経は、弘法大師が日本に密教をもたらし真言密教の教学と実践法を樹立する基礎になった、重要な経典となりました。


 初期の密教経典は仏説といって歴史的人物である釈尊の説いたものとなつていますが、大日経や金剛頂経になると、教主が実在性のない教理的な性格をもつ大日如来に変わります。


 ……といった三密の融合した修法の体系が中期密教経典に現われてきます。


 般若経の空の思想を、密教の代表的な経典である金剛頂経の積極的な現実肯定の思想でもって、再構成した経典が理趣経であるといってよいでしょう。


 不空の「大楽金剛不空真実三昧耶経」つまり「般若理趣経」は七六三年から七七一年の間に訳されたもので、、現在、真言宗の常用経典となっています。


 「般若理趣釈」(不空訳)は弘法大師と伝教大師の対立の因となった。




第三章 理趣経の構成


 ふつう仏教の経典は呉音で読みます。呉は揚子江流域。七世紀以降日本に唐文化の進入(洛陽長安)で漢音がはいってきました。……。それまで呉音で伝わっていた仏典の読み方を、漢音で統一しようということで理趣経などは漢音で読むわけです。


 理趣経の構成→灌頂・合殺(かつさつ)・廻向が平安末成立。


 理趣経というのは前と後に付加句、おまけがついたことになる。本文は今の「如是我聞」のところから「皆大歓喜信受行」のところまでだと、考えていただいていいわけです。


 仏教の経典は通常三つに分けられます。序文、正宗分(本文)、流通分(功徳)、の三つに分けるのがふつうのやりかたです。


 大日経や金剛頂経のうち初会にあたる真実小摂経に経典を読誦する功徳についてはまったく触れられておらず、理趣経にはそれが書かれているためだと思います。読んで功徳があると書いてあるお経がはじめて常用経典になる資格があるのです。


 これら両経(大日経・真実摂経)は読誦する経典ではなくて、修法するための経典だからです。密教経典というのは、本来、修法の手引きであって、それを読んで功徳にあずかるという性質はもっておりません。


 でも大日如来は釈尊のように、人間としてこの世に生まれてきた歴史上の人物ではありません。仏教の教理の上から生まれてきた仏さまです。
 だから、釈尊の悟られた真理そのものを仏さまと考えた、それが大日如来ということです。


 法身・応身・報身


 「法身は説法せず」というのが仏教界の常識だったわけです。
 こういう説に対して弘法大師は「法身は説法する」と大胆にいってのけたのです。これが弘法大師の教えの中では、仏教の他の宗派と大きく違う点です。


 法身はいつも説法しているのだけれど、我われは、それを受け取る力がないだけの話だと。


 自分のほうの能力さえ整えられれば、法身の説法を受け取ることができる。


 自性法身・受用法身・変化法身


 大日如来があまりに完全で、とらえるのに何か手がかりがいる。ですから、完全無欠の大日
如来の性格を四つに分けて「阿閦・宝生・無量光(阿弥陀)・不空成就」の四仏にしたわけです。


 理法身(客体的な存在・ノエシス)は何かというと、大日経の世界、胎蔵マンダラです。
 智法身(主体的な存在・ノエマ)は、金剛頂経の世界、金剛界マンダラです。


*理趣経の論理展開は直線的ではなく、複層的というか重層的。



第四章 序分の内容


 「是の如く私が聞きました」→「如是我聞」

 釈尊が亡くなって百年ほどたつと、結集(けつじゅう)というのが行われました。結集というのは、お弟子さんたちが集まって「私はこう聞きました」ということを、それぞれの専門家が間違いのないようにまとめようじゃないかといって開かれた会議のことです。


 「薄伽梵」(ばくがぼん)→サンスクリット語バガヴァット(bhagavat)


 「大毘盧遮那如来」→非常によく輝くもの→大日如来


 大日如来の大は、、昼、夜なしに輝くという意味の大であります。


 金剛界の五仏=五智如来
 大日如来・阿閦・宝生・無量光・不空成就


 マンダラというのは、……非常に論理的になっている。


 金剛手菩薩(意志堅固)
 観自在菩薩(慈悲深い)
 虚空蔵菩薩(大きな気性)
 金剛拳菩薩(ぐらぐしない)
 文殊師利菩薩(知恵に優れる)
 纔発心転法輪菩薩(発心即説法)
 虚空蔵菩薩(幅広供養)
 摧一切摩菩薩(一切摩摧破)


 大日如来の教え→文義巧妙・純一円満・清浄潔白



第五章 理趣経の全体像


 一切法の清浄句の門を説きたもう(十七の清浄句)


 いわゆる妙適清浄の句、是れ菩薩の位なり


 仏教でいう清浄とは、意識的に自と他を区別しないことです。自分と他人との間に枠をこしらえず、自分と他人と大自然が一体であるという前提に立つことを清浄という言葉で表しているわけです。


 「十七の清浄句」に続いて、清浄句の功徳の書かれている句に移ります。密教経典の中でこのように功徳を説いている経典は、理趣経の外には非常に少ないのです。密教経典は修法する、拝むための作法が書いてある経典が主で、拝むための経典はプロの行者向けなのです。


 このように経典読誦の功徳について触れた経典が、密教経典の中では理趣経のほかにはあまり見あたらないというのはなぜかというと、理趣経のもとが般若経という大乗経典であるためです。


 「金剛手よ、もしこの清浄出生の句の般若理趣を聞くことあらば、いまし菩提道場に至るまで一切蓋障、および煩悩障、法障、業障、たとえ広く積習するも必ず地獄等の趣に堕せず。たとえ重罪を作るとも消滅せんこと難からず。もし能く受持して日々に読誦し作意思惟せば即ち現生に於て、一切法平等の金剛の三摩地を証して、一切の法に於て皆自在を得、無量の適悦歓喜を受け、十六大菩薩生を以って、如来と執金剛との位を獲得すべし」


 清浄というのは浄らかなという意味ではなく、自他、あるいは自分と宇宙との区別をつけない、一体化している、むずかしくいえばマクロ=コスモスとミクロ=コスモスが一つであることを表します。これはヨーロッパ近代の考えかたとはまっこうから対立します。


 ヨーロッパ近代社会では、我というものを確立することが大事であるとされました。ところが仏教では、我を確立すると同時にそれが全体の中の一つであること、大宇宙の中に自分が入っていく、大宇宙を自分の中に入れていく、この二つが一つであることを自覚することが悟りであると考えます。


 「出生」は仏さまが何かを生み出すのではなくて、もともと現実世界に存在しながらかくされていたものを出現させることです。


 「たとえ広く積習するも」


 我われは倫理、道徳が最上と思っていますけれど、理趣経というのはもっと高い段階なのです。自分を全体の中に融合させて、まったく自分をなくしてしまって全体の中で自分を生かし、全体を自分の中に生かす境地が最高のものである。


 「おれが、おれが」という自分へのこだわりをなくして、生きとし生けるものが全部一つだという、仏と自分が一つであるから自分自身も仏であるという自覚を持たなければいけないということです。


 仏教でいう自由は自在ということですから、自分を残していたら自由にも自在にもなれません。自分を大きな世界に同化し、飛び込んでしまい、自分の我を残さず自由自在になる。


 こういう意味で、不空訳の理趣経は、それまでの玄奘訳などからみると、非常に密教化、あるいは内面化している、仏教思想によって裏付けされているといえます。


 義平等とは宝生如来の悟りですが、義というのはサンスクリット語のアルタ(artha)という言葉を訳したものです。アルタとは、〈意味〉と〈利益〉の両方の意味をもちますので、義平等は利益を説こうという意味です。利益とは何かというと、それぞれの生きとし生けるあらゆる人のもっている、かけがえのない価値・値打を説いています。



第六章 八如来の教え


 理趣経の各段は、説き手がそれぞれ別の仏となっております。


 理趣経は本来は死んだ人に対してとなえるものではなく、生きている人に向けていかに生きていくべきかという問題提起をしているお経であります。


 第三段には釈迦如来が出てきます。釈迦如来は仏教の開祖ですが、ここではふつうのお釈迦さまというだけではなく、大日如来になって説くという形になります。聞き手は金剛手菩薩ですが、この金剛手菩薩も本来は釈迦如来であります。お釈迦さまが金剛手菩薩の形となって出てきて聞き手となり、全体をまとめるという形です。


 釈尊は仏教の開祖でありますが、密教になってくると釈尊をたてずに大日如来をたてます。


 大日如来と釈尊が同じものか、違うものか、千年もかかって議論されてきました。ところが、解答はちゃんと書かれているのです。「金剛頂経」という金剛界マンダラのもとになるお経があって、このお経の中に釈尊をいう、「一切義成就菩薩」が出てきます。


 シッダールタ→漢訳すると義成就


 五相成身観という修行を順次やることで、一切義成就菩薩は大日如来になりました。


 金剛頂経には一切義成就菩薩がいかにして大日如来になったか、そしてこのようにして大日如来になった状態が金剛界マンダラであるということが説かれています。ですから、釈尊は五相成身観を実践することで大日如来の境地に達したということです。


 あるいは釈尊より、大日如来の教えはもつと根源的なもので、釈尊は大日如来の悟りの境地を自分で身につけることによって永遠の真理を身につけたのであるということになります。


 戯論、戯れの論とは何かというと、ものを差別して対立的に見る、分別をもってものを見ることです。


 理趣経というのは非常に上級クラスの経典でありますから、初級クラス(世間的な道徳・倫理レベル)のことを求めてくるとみなここでひっかかってしまう。


 「欲をもつのだったらもっと大きなものにしていけ、次元を超えろ」ということです。


 「この理趣を聞きて受持し作意思惟することあらば、一切の自在と一切の智智と一切の事業と一切の成就を得る」


 もう隠居してもいいといわれても、「私はまだやることがあるのだ、世の中の人が苦しんでいるかぎり、隠居できない」(無住処涅槃)


 まず生きているということが前提にあって、生きているものがどうするべきかを説くのが理趣経です。


 分別というのは煩悩ですから、煩悩(執着・とらわれ)を断ち切るにはどうしたらよいかということです。


 すべての現象世界の根源、おおもとであります。この根源的真理を言葉で表現すると、何をいっても「だめだ」と否定をくりかえさなければなりません。これはいわゆる八不(はっぷ)という形で、生でも滅でもない、垢でも浄でもない、増でも減でもないというような対立する概念をどんどん切っていきます。そうしないと本来のものにいきつけないということです。


 こういうふうに空・無相・無願というのは、私たちの執着を文殊菩薩の剣で否定していくやりかたです。執着を逃れ知恵を獲得するには、この三つの解脱門を通らなければなりません。……密教ではこういう否定だけではいけません(大乗仏教は否定だけ)。否定して否定しつくしたところに光明が出てきます。


 この平等は……イコールという意味の平等ではなく、自分と仏さまが別々のようにみえるけれども本質的に違わないという意味です。理趣経に出てくる平等とはそういう意味です。


 纔発心転法輪菩薩の表わしている意味は、長いこと一生懸命修行して先生になるのではなくやろうと思ったとたん、その姿を見てまわりの人が影響を受けるということです。


 第九段の本論では、行為をもってする供養を四種類に分けます。すなわち、菩提心を起こすこと、一切衆生を救済すること、妙典を受持すること、般若波羅蜜多を受持し、読誦し、自ら書き、他に教えて書かせ、思惟し、修習することなどです。


 理趣経の精神をしっかり受持して世の中に処していくことが仏さまを供養することになります。


 ここに説かれている(金剛舞菩薩の悟りの境地)ことは、自分を捨てて他人のために体を動かしてつとめることが供養になる、般若の教えを日常生活の中で実践していく、般若の教えを自分の中にしっかり身につけていくこと、こういったことが本来の供養だということです。


 忿怒大笑の心、忿怒の境地をとことんまでおしつめていけば、結局、大きく笑うということになります。


 ですから小さなものをつぶしてしまうのではなく、見かたを変えて小さなものを大きなものからもう一度見直してみようではないかということを理趣経は説いています。


 理趣経は四を基本にして四の倍数で構成されてきました。……。理趣経は「金剛頂経」の系統ですが、金剛頂経ではなんでも四でまとめて考えますので、理趣経もこのような構成になっています。


 「薄伽梵の一切平等を建立する如来」


 加持というのは……もともとは力を加える、プラスして何かを加えていくということです。


 「お加持を受ける」というのは向こうにまかせっ放しでやってもらう、力が加わってくるということです。ところが弘法大師はそれではいけないとおっしゃった。仏さまが影を私たちの心に映すことが加であり、それに対して私たちの心が仏さまの影を映して感じとることが持ということなのです。ですから加持というのはこの二つの力が一つになってはじめて成り立つのであって、まかせっぱなしではだめなのです。向うから伝わってくる力を感じて受け取ってはじめて感応が成り立つのです。


 生きているものが有情です。ところが日本語になると、情というのは情緒と同じになってしまいます。漢語ではもともと「生きているもの」という意味なのです。


 「大日如来が一切の生きとし生けるものに加持をなす般若の教えをお説きになった」


 加持するというのはどういうことかというと、生きとし生けるもの・有情が「自分はだめなやつだ、ぼんくらでロクなことをしないとみな思っている」と悩んでいると、これに仏さまが力を加えて「本当の自分の姿はこうである」ということに気づかせてくれることです。


 大自然の中に自分が包まれていると同時に、大自然を自分の中に持っているのです。これが如来蔵、仏性ということです。


 自分に仏性があるから、一切有情が仏さまになれるのです。ただ気付かないだけのことです。これが普賢菩薩の一切の我です。


 「灌頂を受ける」というのは結局、価値に目覚めるということになります。


 「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦し其の義を思惟すること有らば彼れは仏菩薩の行に於いて皆究竟することを得ん」としめくくられます。ここの部分も玄奘訳の古い理趣経(「般若理趣分」)では、「悟りを得る」などの言葉が使われています。ところが不空訳の「般若理趣経」では、肝心なところになると「悟りを得る」ということも捨てておいて、とにかく「究竟に到達するのだ」と説きます。窮極に到達すれば、悟りを得ることは二のつぎ、三のつぎになってしまいます。窮極が最終目的で、その中には人びとを救うということまですべて含めているのです。


 自分が全体となり、全体が自分であるということです。これが平等であり、般若の教えということになります。


 理趣経は理屈で理解するのではなく、マンダラそのものを観想して自分と一つになるのが最終目標です。


 「真言行者が」ということは、いいかえれば「私たちが」ということですから、「私たちがどうあるべきか」ということをここに教えていると考えてください。


 結局、人間の生、生きているということの根源に立ちかえってもう一度考え直してみようではないか、というお経なのです。


 「彼岸にいってはいけない」→大乗仏教の菩薩道


 百字の偈→理趣経の精神を端的に言い表している。
 理趣経の最高の理想が最後に百字の偈という形でしめくくられているのです。


 お経はここで終わりますが、この後に付加分があります。この部分は後で日本でつけ加わったもので合殺(かつさつ)といいます。「毘盧遮那仏」と八回くり返されます。


 理趣経というのは頭で理解するものではないということです。分別して「これがわかった」という受け取りかたをしてもらったのでは十分ではありません。理趣経がわかるというのはその精神がわかるということです。理趣経の精神を理解するためには、真言行を実践しながら、その神髄をつかみとることが必要になってまいります。


 理趣経の各段の中にはそれぞれマンダラがありますが、瞑想の中でこれらのマンダラを観想していかなければなりません。それらのマンダラを観ずることによって、理趣経の各段が、頭ではなく、体でわかっていくという理解のしかたが大切なのです。





*平成二十九年十月二十六日抜粋終了。
*本読みの必読書です。
*字句のひっくり返りがありました。




抜粋 一条真也 『墓じまい・墓じたくの作法』 青春出版社

2017年01月07日 | 宗教


 本書では、お墓に向かうときの「こころ」を、作法という「かたち」で表現してみました。ぜひ、「こころ」と「かたち」の大切さを忘れずに、お墓について考えていただきたいと思います。


 お墓には「尊厳性」「永続性」「固定制」の三つの役割があるとされています。


*家長制がなくなり、核家族化が進み、都市へ移動が増えて、田舎の墓は誰も見る人がいなくなった。


 そもそも〈つながり〉や〈縁〉というものは、互いに迷惑をかけ合い、それを許し合うものだったはずです。
「迷惑をかけたくない」という言葉に象徴される希薄な〈つながり〉。
 日本社会では〈ひとりぼっち〉で生きる人間が増え続けていることも事実です。


「子どもたちや孫たちに、自分がどこからこの世に生まれてきたのか、決して一人だけでこの世にいるのではない、先祖があってこそなのだ、また自分もやがてはあの世に行って、そんな先祖の一人になるかもしれない、ということを学ぶ良い機会となり、貴重な体験ともなるに違いない」
       お墓参りについて 新谷尚紀『先祖供養のしきたり』(ベスト新書)


 雨の日に玄関に打ち水をしていたとき、それを見た外国の賓客が「雨の日に水をまく必要はないのに、なぜ」と質問したそうです。それに応えて、「これはお浄めです」と玄関で打ち水をしていた人がいわれたそうです。まさにこれこそが日本人です。


 面白かったのは、日本人に心理カウンセラーが普及しない理由として、お仏壇を例に挙げていたことです。カトリックは心理カウンセラーの役割を神父に懺悔することで果たしていたが、その習慣がないプロテスタントが多いアメリカでは心理カウンセラーが必要になったというのです。


 墓の無縁化→家族の意識が先祖や過去より子孫や自分の死後など未来に向けていること


 そういったお墓信仰と遺骨信仰は仏教とはたしかに無縁です。しかし、「招魂再生」を掲げる儒教の影響を強く受けています。儒教はこれまで宗教ではなく、単なる道徳としてとらえられてきました。
 しかし、それは完全な誤解であり、儒教ほど宗教らしい宗教はありません。儒教が宗教であることの最大の証明とは、ずばり葬儀を行うことです。


*葬式仏教→葬式仏教とは、葬式と法事だけを表面的にとりおこなう、現代の仏教界を批判して使われる言葉です。 本来の仏教は、葬礼を重視するような教えはなく、救済や真理を追究する宗教であったはずが、現代の日本においては、”葬儀のために寺があり僧侶がいる” といった状態になってしまっていることを、揶揄して使う表現でもあります。(ウィキペディア)


*日本仏教が葬式仏教へと向かう大きな転機は、江戸幕府が定めた檀家制度である。(ウィキペディア)


*アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。— 大般涅槃経


 孔子は、人間にとって最も親しい人間とは、その字のとおり「親」であると述べました。そして、その最も親しい親の葬儀をきちんと挙げることこそ、「人の道」の基本であるという価値観を打ち出しました。


 南都六宗の寺(法隆寺、東大寺、興福寺、薬師寺など)には、実は墓地はありません。当然、お墓もありません。


「日本の仏教が葬式仏教への道を歩むうえで決定的な要因となったのが、一つは浄土教信仰の浸透であり、もう一つが禅宗による葬儀の開拓である」
                           島田裕巳『0葬』(集英社)


 (禅宗の)僧侶たちが修行に集中するためには経済的な基盤がほしい。そこで思いついたのが、修行途中で亡くなった雲水の葬儀の方法を俗人の葬儀に応用する道だったのです。ここに日本独特な仏教式の葬儀が確立されました。この禅宗の仏教式葬儀が、臨済宗だけではなく、天台宗、真言宗、さらには浄土宗にも広がっていきます。


 結論だけを言おう。⑴儒教文化圏(日本・朝鮮半島・中国など)では、土葬が正統である。それは儒教的死生観に基づいている。⑵火葬はインド宗教(インド仏教も含む)の死生観に基づいて行われ、火で遺体を焼却した後、その遺骨を例えばガンジス川に捨てる。日本で最近唱えている散骨とやらは、その猿まねである。⑶日本の法律でいう「火葬」は遺体処理の方法を意味するだけ。すなわち遺体を焼却せよという意味。
              加地伸行「土葬をめぐる意外な議論」産経新聞


 東北の方々よ、遺体土葬は決して非常手段ではない。いや、それどころか、むしろ伝統的であり死者のための最高の葬法なのである。


「喪は其の易まらんよりは寧ろ戚めよ」(論語)
 葬儀のときは、行き届きすぎるよりも、哀しみで段取りがずれるほうがいいのだ」


 檀家制度は、もとを正せば一六一二年にキリスト教禁止令を出した江戸幕府の宗教統制政策がはじまりです。


*妻の先祖代々の墓(綾野姓)に「慶応」(1865~1867)という年号有り。


 カロート(お墓で、遺骨を納める納骨室部分のこと)


 仏教の影響で火葬が始まると、九世紀に淳和天皇などは遺体を火葬にし、お墓を造らず、遺灰は林野にまいてほしいと遺言しました。


 中世では浄土真宗の祖、親鸞がお墓を造らず、「賀茂川の魚に与えよ」と遺言しました。
 また中世まで、庶民は遺体を林野などに放棄するのが慣例で、お墓を造るようになったのは檀家制度が普及した江戸中期からのことに過ぎません。


 明治前期までは、一体ごとに埋葬する土葬が多かったせいか、個人の戒名を刻む個人墓が主でした。しかし、明治三十年の伝染予防法によって火葬が広まり、一つのお墓に何人も家族の骨を納める家族墓が一般化したのです。


 海洋葬→十二カイリの外


 「死んだら木になってもりをつくろう」というエコロジカルなイギリスの葬法は一九九四年に登場しましたが、これと同じ発想から生まれたのが一関(岩手県祥雲寺)の「樹木葬」です。


 山口県萩の曹洞宗宝宗寺は、「樹木葬」のメッカとして有名です。現在までに二八世四〇〇年ほどの歴史があります。


 衛星ロケットに故人の遺骨を乗せて、地球軌道上に打ち上げるというメモリアル・サービスが「天空葬」と言われるものです。
 二〇一四年にはエリジウムスベース(本社サンフランシスコ)が日本での営業を開始しました。費用は一九九〇ドル、約二十万円です。


*「天空葬」のヒント提供者が一条真也氏の由。


 「お墓をゴミにしない努力」もまた、子孫にとって、お墓の継承という義務です。


 親の葬儀を出すのは子供の務めです。(子は)決して迷惑などと思っていません。


 わたしには、埋葬とは「文化」のシンボルであり、お墓とは「文明」のシンボルであるように思えます。


 民族学者のファン・ヘネップは、葬儀が死者を生者の世界から分離し、新しい世界に再生させるための通過儀礼であることを指摘しています。


 葬儀とは霊魂のコントロール技術なのです。


 「来年も来るからね」





*印は抜粋者のコメントです。
*平成二十九年一月六日抜粋終了


抜粋 『禅家語録集』別冊 対談 西谷啓治・唐木順三 筑摩書房 日本の思想一〇

2017年01月06日 | 宗教


西谷 禅が日本に入ってきて、中国で発展したものと違った展開をみせているという気がするんだけども、……、専門的な禅者というだけのものにとどまらないで、いろいろな文化の面に結びついて、そして文化の基本的な精神みたいなものになってはたらいてきた。……、だいたい中国の禅は、全般的に士大夫というか知識人に最初結びついていたと思う。


士大夫(したいふ)は、中国の北宋以降で、科挙官僚・地主・文人の三者を兼ね備えた者である。(ウィキペディア)


*中国禅は知識人なのに日本禅は民衆に拡散。


 臨在の「破夏(はけ)の因縁」


唐木 拠るべとするテキストはないけれども、テキストをものにしている師家に会って、問法する。そうしなければ悟りが開けない。


 愚堂東寔(ぐどうとうしょく)=答えたらいけない


 禅の立場を説法のような形で、ちょうど経文になるような形で、理論として相手に向かって提出したら、もう嘘になる。嘘かといえば、一方にある人が聞いたときにぱっと悟るという何かがある。そういうところが禅の立場にはある。





*平成二十九年一月五日抜粋終了。

抜粋 『禅家語録集』 「遠羅天釜(抄)」 訳・注古賀英彦 筑摩書房 日本の思想一〇

2017年01月04日 | 宗教
 

 白隠(1686~1769) 駿河の浮島原宿の生れ 正受老人より法嗣 近代日本禅の開創者 隻手の音声 『遠羅天釜』(おらてがま)


 思うに、『魔訶止観』の中に、仮縁止・諦真止ということが書いてあります。目下申し述べている内観の法というのは、その仮縁止のおおよそのところであります。


 であるから、大慧禅師も、動的な場での修業は、静的な場でのそれにくらべて無限に勝ると言われているのであります。また博山禅師も、動的な生活の場での修業の困難なことは、あたかも百貫もある重い荷を担いで、けわしい山道を登るようなものであるといわれている。


 ……男児たるものの一たん思い立ったことをしとげずにおいてよいものか、やりとげずにおくものか、と決然と烈しい勇猛の意志をつらぬいて、絶え間なく進んでいかれると、常識的な心の動きがなくなり、胸のうちが法外にすずしく、法外にきよらかになること、ヒマラヤの雪嶺を望むようであり、……


 ところで人には気海丹田がある。気海は元気を守り育てる大切な所、丹田は不老不死の秘薬を精製し、寿命を保護する都府である。


 めざめた意識でのこの真実の修行、不断の座禅という正しい路を指示するのである。


 そのめざめた意識をいまは失っているか、いまは失っていないか、と絶えず点検する。


 「道というものはそれから瞬時も離れることのできないものである。離れることのできるものは道ではない。」(子思)


 もし人が確実に見性しているならば、これらの言葉は、自分の手の平を見るようにすぐわかるであろう。


 めざめた意識で修行にはげむためには、武士の身分ほど適当なものはあり得ない。





*平成二十九年一月三日抜粋終了。

抜粋 『禅家語録集』 「盤珪禅師語録(抄)」 訳・注古賀英彦 筑摩書房 日本の思想一〇

2016年12月31日 | 宗教


盤珪(1622~1693) 播州揖西群浜田村に生まれる 浄土教・密教・禅宗 弟子四百 
「不生でおれとすすめて、不生になれとは言わず」 一切の工夫を排して本来の仏心にめざめることだけを強調


 私のところでは、そんな時代ものの書き付けなどの詮議はいたさぬ。


 これまでに見たり聞いたりした経験に刺激されて、その経験が霊明な仏心に映っている状態、それが念というものでございます。


 女性といいますものは、特になにかにつけて、つまらないことに腹を立て、不生の仏心を修羅につくりかえ、愚痴の畜生につくりかえ、欲の餓鬼につくりかえまして、種種様々に流転して迷うわけでございます。


 私の言いますのは、この仏心を三毒につくりかえないということは、大変重要なことであるから、ここをよく聞いておいて、不生の仏心をほかのものにつくりかえないように、よほど気をおつけなさい。


 「大疑団」 全身がある問題意識そのものとなった状態。(『無門関』第一)


 この人間の世界に生まれたのは何のためかと考えますと、仏になるべきために、心と体を得たのです。


 遠慮せずに、自由に、平生の言葉で問答して、らちを明けなさい。らちさえあけば、使いやすい平生のことばほど便利なものはないではないですか。





*平成二十八年十二月三十一日抜粋終了。

抜粋 『禅家語録集』 「驢鞍橋(抄)」 訳・注古賀英彦 筑摩書房 日本の思想一〇

2016年12月30日 | 宗教
 

 驢鞍橋は〈馬の鞍のはしくれ〉の意で、中国に、愚男がこれを亡父の遺骨に間違えた故事があり、誤見・謬見の戒めであり、その意のもとに発言されている。(weblio)


驢鞍橋(ろあんきょう)
江戸時代初期の禅僧鈴木正三の法語類を弟子の恵中が編録したもの。3巻。慶安1 (1648) 年成稿,万治3 (60) 年刊。三河藩の武士として戦場を駆け回った経験から,正三が死によって生きる真実を体得し,煩悩破砕の勇猛心を死の心法に見出し,仁王の機を修すべきはただ死ぬことを仕習うべきであるとし,みずからの仏法を死習い仏法,果報仏法と呼び,坐禅と念仏をも強調している。(コトバンク)


鈴木正三(しょうさん) (1579~1655) 三河武士の出身 六十一歳で無師独悟


驢鞍橋 上


 「仏道修行は仏像を手本にしてするがよい。仏像と言っても、初心のものは、如来蔵に狙いをつけても、如来座禅はできまい。如来や不動明王に狙いをつけて、仁王座禅をするがよい。まず仁王は仏法の入り口、不動は仏の始めと考える。


 自分は殊勝くさいことも悟りくさいことも知らぬ。二十四時間心で万事に勝つことばかりを考えておる。諸君も、仁王・不動の堅固の気合を受けとめ、それを鍛えて、それを使って悪業、煩悩をほろぼすことだ。


 そこで師は眼をすえ、拳をにぎり、歯ぎしりをする形をして、「キッと張りつめて自分を守るときは、ちょっかいを出すもの何もない。結局、この勇猛の気合一つで修行はなるものだ。別にいるものはない。どんな修行もぬけがらになってやっては役に立たぬ。はりきって禅定の気合いを鍛え出すがよい」と言われた。


 この気合で心身を攻めほろぼす以外、自分は別に仏法を知らぬ。


 一切の煩悩は機の抜けたる処より起こるなり。


 強く眼を著け、幕妄想の一句を轡づらと成して、急度(きっと)引詰めて守るべし。刹那も
機を抜かすべからず、となり。


 修行と云ふは機を養ひ立つる事なり。


 慙愧懺悔の法と云ふは、我が悪しき処をぶつ曝す事なり。


 「あんたの胸の中の知識や妄想をすべて打ち捨て、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ととなえることによって道理を尽くし、我を棄て切って虚空とぴったり一つになるのを、馬鹿になって成仏する修行というのである。」


 また謡曲などうたうにも、『これは諸国一見の僧にて候』と言えば、ぴたりとそれになりきる気合いである。自分も、舞い扇の使い方は知らないが、曲にまかせてそれに打ち乗り、自由に舞うことはできる。ものに応じて形をとるというのも、無念無心のところをいうのである。


 修行と云ふは勇猛の機一つなり。


 「命を捨てて死んでいくものは、多く有るとは思えぬ。みな命を惜しみつつ死んでいくものだ。ここは大事なところである。お坊様がた、常に命を捨てていつづけられることだ。」


 しかし上手芸を初心のものに教えても無駄だ。初心のものにはまず仁王座禅が格好だ。


 次第に鍛えて熟練してくると、謡や拍子などにも合い、万事に調和して、一切の働きが整う。このようにするのが仏教である。


驢鞍橋 下


 いざという場合に臨む心である。また殺気をおびてじりじりとつめよるときの心である。この気合がなくては、万事に役に立たぬ。仏道修行というものは、初めから終わりまで、ただこの気合一つで生死を離れることだ。生死をさえ離れれば成仏だ。であるから、この気合一つによって成仏することだ。ほかに必要なものはない。


 ただ歯を喰いしばって、死ぬこと一つをきわめるのだ。実際、若い時から八十歳の今まで、このように心得て来ているのみだ。全然仏教ではない。


 ……、恥知らずの正三であるからこそ命を保ち、今日に生きながらえて、修行もおおかた仕上げたのである。


 「およそ修行者たるもの煙草をのんでもよろしくない。」


 ある日の食事のおり愕然として言われた。


 ある日のこと愕然として言われた。


 若者たちに茶のたてかたを教えようと、自ら茶をたてる格好をして言われた。「幕妄想幕妄想とたつべし」となり。


 いったい仏道修行の本意は、形や名前のとらわれを離れて自由になるということ一つにある。


 ある日の食事のおり、愕然として言われた。「なんともはやしようのないことだ。毎日毎日喰っているのはいったいなんのためだ。食っては娑婆を楽しみ、楽しみしておる。ああ、たわけたことだ。


 昔もほんとうに自由を得たのは釈尊お一人だけだろう。そのほかの祖師がた、ことに我が日本の伝教大師、弘法大師など、まだ仏の境界には遙かであろう。


 安然として遷化し給ふなり。





*平成二十八年十二月二十九日抜粋終了。

抜粋 『禅家語録集』 「夢中問答集(抄)」 訳・注古賀英彦 筑摩書房 日本の思想一〇

2016年12月28日 | 宗教


 無窓国師(1275~1351) 伊勢の源氏の出身 真言密教から宋禅宗


夢中問答集 上


 小乗 自分だけが救われることを求めてする修行の有り方を、利他主義に立つ大乗の側から、くさして呼んだ呼びかた。


 しかし、いまだこの真理(密教)を洞察できない人を導くために、現世利益を言うのである。このような手立てを一般仏教にゆだねるゆえに、禅ではひたすらに本分のみを示すのである。



夢中問答集 中


 ただかやうなる一切の解会を放下して、放下の処について二六時中猛烈に参究せば、次節到来して本分の大智に契当すべし。


 ただこのような一切の考えを放り出して、放り出したところについて、四六時中猛烈に参究するならば、時いたって本当の智慧につき当たるであろう。


 最高の修行者は、分割された修行の段階を経ることなく、一挙に基本的な智慧を体得する。古人が「ひととびしていっぺんに如来の領域に入る」と言っているのはこの意味である。『華厳経』にも「初めて発心した時すでに悟っている、など」と言っているのである。


 六ハラミツやいろいろな修行の仕方を説き、いろいろな修行の段階を立てるのはすべて中以下の修行者のためにするに過ぎない。


 昔、無業国師という人は、一生の間、仏教を学ぶ者の問に答えるについて、ただ「莫妄想」――ぼんやりするな――の一句をもってした。もしこの一句がものにできれば、基本的な智慧の働きが、たちどころに現前するであろう。


莫妄想


――仏教における修行者の程度の中に上中下の三種がある。


 初心の行者、若しかやうの心のおこらんときは、我いまだ無上道に相応せざる故に、此の妄想は起れりとしりて、一切放下して直下に参究せば、かならず相応の時節あるべし。


 自他の区別を見ないから、是非を言わないのである。


 はしりさわいで


 問ふ、万事の中に工夫をなす人あり、工夫の中に万事をなす人ありと申すは、何とかはれることやらん。
 答ふ、工夫と申すことは唐土の世俗のことばなり。日本にいとまといへる語に同じ。


 いとま=【暇】休みの時の意。「いとまなく海士(あま)のいざりはともしあへり見ゆ」<万3672> 出所:岩波古語辞典


 修行の工夫の外に世事はない。



夢中問答集 下


 瑞巌和尚は毎日自分で「主人公」と呼びかけては自分で「はい」と返事をし、「めざめていろよ」「はい」「いつなんどきでもだまくらかされてはならんぞ」「はいはい」と、会話をしていた。
                        『無門関』


 「真実は完璧であって、概念の及ばないものである。もともと世界や衆生は存在しない」
                              『首楞巌経』巻七


 日ごろの迷いが忽然として消え失せて、一挙に肝心のところを悟るのを見性成仏というのである。


 禅宗においては、ずばり本当のところと合致するのを悟りというのである。仏祖の教えを理解することを悟りというのではない。だから人に示す言葉も、理解されることを目的とするものではない。禅を学ぶものをしてただちに悟らせようとする手段である。


*小玉(下女)を呼んで、あれこれさせるのは若い男に自分を気が付かせるための間接的な方法


――ブッダが一生のあいだに説法された時も、このような手段を用いられた事があるのであろうか。
――禅の眼によって見ると、ブッダが一生のあいだに説かれたことは、すべて小玉を呼ぶ手段である。


一代の所説も、皆な是小玉を呼ぶ手段なり。





*平成二十八年十二月二十八日抜粋終了。




抜粋 『禅家語録集』 「大燈国師語録(抄)」 訳・注柳田聖山・古賀 英彦 筑摩書房 日本の思想一〇

2016年12月27日 | 宗教
 

 大燈国師(1283~1338) 播州揖西群生れ 日本の禅宗が台密の影響を脱して、宋朝禅独自の開花を示すのは、じつに大燈においてである。


 竜宝山大徳寺語録(抄)


 「千里に連なる峰の雪は白く、万派に分れる谷川より吹きよせる風は寒い。」


   明星を一見して雪重ねて白く、
   眼裏の瞳人、毛骨寒むし。
   大地もし此の節を知ること無くんば、
   釈迦老子も出頭し難からん。
                  大燈国師


 「如来とは即ち諸法が如なる義なればなり」(『金剛般若経』)



 頌古(抄)


 一喝に耳聾して、天地黒し、
 機に当たって舌を吐いて、荊棘を生ず。
 虚を承け響を接して、意は論じ難く、
 両両三三、動著するに好し。




*平成二十八年十二月二十七日抜粋終了


抜粋 『禅家語録集』 「解説 禅と歴史」 唐木順三 筑摩書房  日本の思想10

2016年12月23日 | 宗教


 「山僧、二十年後、自己が自己を管帯し、三十年後、自己が自己を忘却し、四十年後、自己只これ自己」(無学祖元)


 時間が空間化されて、一瞬の今に凝縮される。


 一休の母は死に臨んで、「釈迦、達磨をも奴となしたまふ程の人になり給へ。」


 理性をもって、対象を思惟する能力とすれば、理性が迷いのもとである。自己或いは人間の計らい、或いは尺度で、自己或いは人間に都合のよい世間を区切り、埒を設けること、そしてその埒内にあって、対象を実験し証明し、利用するという、自己或いは人間中心主義、ヒューマニズムは迷いである。


 「巳共が所で其のやうな、古ほうぐ(古反古、この場合は、百丈野狐の公案を指す)のせんぎはいたさぬ。そなたはいまだ不生にして、霊明なる仏心じやといふ事をしらぬ程に、いふて聞かしませう。それで埒の明く事じや程に、身どもがいふをとっくりと、能きかしやれい、と有って、常のごとく不生の示しをしたまふなり」(盤珪『御示聞書』)


「埒が明く」「埒を明ける」→埒もない


禅の系譜
 釈迦牟尼→迦葉→二十八祖菩提達磨→中国禅→日本禅


 師資嫡々相承、面々授受は禅家の特に重んずるところである。それが正法の正伝の仕方、正法眼蔵涅槃妙心の歴史的な伝わり方である。


 蒙古民族の圧迫のもとにあった南宋の朝廷には、自国を維持するために国家民族意識を高揚する必要があり、禅僧たちもまたそのために動員され、興禅が直ちに護国と結びつかざるをえなかったという事情があった。


 柳田聖山氏はその「中国禅宗史」の中で、宋朝の滅亡によって、中国の禅宗の「海外亡命」が始まり、鎌倉時代以降の日本の禅宗の成立は、この亡命禅によるところ大きいといっている。


 正三の『驢鞍橋』を読んで気づくことは、しきりに次のようないいまわしが出てくることである。「ひしと諸行無常の意移りたり。」「家屋、金銀、万事目の前にぎらりとあることなれば。」「きっと守り終わるべし。」「この糞袋(わが身)をかたきにして、ひた責めに責むべし。」「心、はつしと用ゐて。」「機をきつとして。」「じりじりと睨みつけ。」「必ず死をはつしと守るべし。」


 詩興のない(正三)のは窮屈である。


 「ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていふことなかれ。ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころもつひやさずして、生死をはなれ仏となる。たれの人か、こころにとどこほるべき。」(道元『正法眼蔵』)


 私は鎌倉時代の親鸞、道元によって、仏教が日本で初めて、自己実存の生死にかかわるものになつたと思う。


 山門をまたげば、そこは俗塵を洗った深山幽谷、そこに住むのは求道、学道の衆僧、即ち叢林ということになる。


 禅師(盤珪)は実に日本の生んだ禅匠中の最も偉大なる一人と謂はなくてはならぬ。(大拙)





*平成二十八年十二月二十三日抜粋終了


抜粋 無門慧開『無門関』 西村恵信訳注 岩波文庫

2016年12月15日 | 宗教
 
大道無門、千差路有り。
此の関を透得せば、乾坤に独歩せん。


 しかし、もし少しでもこの門に入ることを躊躇するならば、まるで窓越しに走馬を見るように、瞬きのあいだに真実はすれ違い去ってしまうであろう。


 無門曰く、「参禅は須らく祖師の関を透るべし。」


 平生の気力を尽くして箇の無の字を挙せよ。


 趙州が狗の仏性に対して有と無を同等に示したことが、宋代の看話禅によって、有無の二元を超えた「無」とされ、学人を論理以前の体験の世界に導くために有効な公案となったもの。


 無門は言う、「禅に参じようと思うなら、何としても禅を伝えた祖師たちが設けた関門を透過しなければなるまい。素晴らしい悟りは、一度徹底的に意識を無くすることが必要である。」


 ここに提示された一箇の「無」の字こそ、まさに宗門に於いて最も大切な関門の一つにほかならない。そこでズバリこれを禅宗無門関と名付けるのである。


驀然打発、驚天動地。


驀然(まくねん)として打発(だはつ)せば、天を驚かし地を動ぜん。


驀の意味 のりこ(える)・の(る)・まっしぐら



禅の世界には、驀然打発(まくねんたはつ)といって、突如として爆発し突き抜けることを意味する言葉があります。


 ひとたびそういう状態が驀然として打ち破られると、驚天動地のハタラキが現われ、……


例えば、次のような問答となります。

(隠山派の場合)
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「その「無」の証拠をここに出してみよ」
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「お前はどうやって仏になるか?」
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「趙州は別の機会には「ある」と答えた。これをどう思うか?」
答:「たとえ趙州があると言ったとしても、私はただ、「無ー!」と叫ぶのみです」
問:「「無」の本質(体)とはどのようなものか?」
答:何も言わず、両手を胸に当てて(叉手当胸)立ち上がる。
問:「「無」の働き(用)とはどのようなものか?」
答:立ち上がり両腕を前後に振りながら、5、6歩歩き「行くべき時には行きます」。もう一度座って「座るべき時には座ります」
問:「無字の根源、それはどのようであるか?」
答:「広大な大地で極小の砂粒を動かす風がそよとこ吹かないところから、空や地や山や川、すべてが現れます」


(卓洲派の場合)
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と言わないとすれば何と言うか?」
答:「有(ウ)ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と「有」を区別してみよ」
答:「無ー!」「有ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と「有」はどれくらい離れているか?」
答:部屋の敷居や戸などを指差して「ここから敷居まではこれこれの距離、あそこの戸まではこれこれの距離です」
問:「「無」を私に手渡してみよ」
答:何でもよいから自分の手にあるものを師に手渡す」
問:「「無」を手軽に使っているところを見せてみよ」
答:「ジャン・ケン・ポン」と言いながらジャンケンをする
問:「「無」の根源はどうだ?」
答:「馬鹿なことを! そんなものがあってたまるものか。顔でも洗ってこい! アッカンベー」と言って立ち去り、ふすまを閉める。

出所: http://morfov.blog79.fc2.com/blog-date-201108.html


 鬼眼=人が大事を前にして光らせる凄まじい眼ともいう。


 もしこういう場面に直面してたじろがず、きちんとした対応ができたならば、


 無門曰く、「若し也た直下に明らめ得ば、眼、流星に似、機、掣電の如くならん」


趙州「如何なるか是れ道」
南泉「平常心是れ道」
趙州「還って趣向すべきや」
南泉「向かわんと擬すれば即ち乖く」
趙州「擬せずんば、爭でか是れ道なることを知らん」
南泉「道は知にも属せず、不知にも属せず。知は是れ妄覚、不知は是れ無記。若し真に不議の
道に達せば、猶お太虚の廓燃として洞豁なるが如し。豈に強いて是非す可けんや」
趙州、言下に頓悟す。


 無門は言う、「南泉和尚は趙州に問い詰められて、ガラガラ音を立てて崩れたな。もう何の言い訳も出来ないだろう。趙州の方だって、たとえここで悟ったといっても、本当にそれが身に付くためには、まだあと三十年は参禅しなくてはなるまい」。


 聞名不如見面 見面不如聞名  (百聞よりは一見だ、一見よりは百聞よ。)


百聞は一見に如かず

 言、事を展ぶること無く、語、機に投ぜず。
 言を承くるものは喪し、句に滞るものは迷う。


 『法華経』に、「止めよ、止めよ、説いてはならぬ。我が法は微妙であって思惟を超えている」


解説

『無門関』中国宋代禅宗の公案集 南宋の無門慧開(1183~1260)
日本にもたらしたのは法灯円名国師 心地房無本覚心(1207~1298)


「青天白日一声の雷。大地郡生、眼、豁開。万象森羅、斉しく稽首す。須弥ぼつ跳して三台に舞う」 無門慧開



*平成二十八年十二月十五日抜粋終了。




抜粋 『臨済録』入矢義高訳注 岩波文庫

2016年11月22日 | 宗教
 
 両堂の首座が同時に大喝したとたん、その主客の別を明白に見て取ったが、そのように智慧と行動とは間髪を容れずに発出して、もともと先後を分かつことはなかった。


 僧はここでもたついた。すかさず師は一喝し、追い打ちの一棒をくらわして言った、「虚空に釘を打つような真似はするな。」


 お前たち自身の信念不足のために、こうして無用な論議に落ちこむのだ。


 「さあ言え! さあ言え!」その僧はもたついた。


 僧疑義す。師便ち打つ。


 師がまた払子を立てると、僧は一喝した。師もまた一喝すると、僧はもたついた。師はすぐに僧を打った。


 それはちょうど柔らかな蓬の枝で撫でられたようであった。


 いかなる時も、無暗にああこう分別するな。


 さまざまな方便の顕現は、実は真実そのもののはたらき出た姿にほかならない。(訳注)


 また師は言った、「一句の語には三玄門が具わっていなくてはならず、一玄門には三要が具わっていなければならない、そうあってこそ方便もあり、はたらきもある。さて皆の衆、ここをどう会得するか。」こう言って座を下りた。


 臨在の四料揀
 師、晩参、衆に示して云く、有る時は奪人不奪境、、有る時は奪境不奪人、有る時は人境倶奪、有る時は人境倶不奪。


 更に遅疑すること莫れ。


 もし自らを信じきれぬと、あたふたとあらゆる現象についてまわり、すべての外的条件に翻弄されて自由になれない。


 約山僧見處、興釈迦不別。
 山僧が見処に約せば、釈迦と別ならず。
 わしの見地からすれば、この自己は釈迦と別ではない。


 古人云く、身は義に依って立て、士は体に依って論ずと。


 法身仏・報身仏・化身仏


 君たちは祖仏と同じで、朝から晩までとぎれることなく、見るものすべてがビタリと決まる。ただ想念が起こると智慧は遠ざかり、思念が変移すれば本体は様がわりするから、迷いの世界に輪廻して、さまざまの苦を受けることになる。


 羅漢=小乗における最高の悟りに達した人


 その一心が無であると徹底したならば、いかなる境界にあっても、そのまま解脱だ。


 臨済の四照用


 「照」は相手の内実を見て取る力のはたらき。「用」は相手に仕向ける行動的なはたらき。


 心法無形、通貫十方、目前現用。
 心法は形無くして、十方に通貫し、目前に現用す。


 無事是貴人


 名には一切とらわれぬ。これが奥義というものだ。


 すべてのものは仮の姿で、実体はないのだと見極めた。ほかでもない〔今そこで〕この説法を聴いている無依独立の君たち道人こそが諸仏の母なのだ。だから仏はその無依から生まれる。もしこの無依に達したならば、仏そのものも無存在なのである。こう会得したならば、それが正しい見地というものである。


 例の経典というものも看板の文句にすぎぬ。


 ずるずると五欲の楽しみを追っていてはならぬ。光陰は過ぎ易い。一念一念の間も死への一寸刻みだ。


 諸君、即今ただいま、これら四種の変化が相(かたち)なき世界であると見て取って、外境に振りまわされぬようにせねばならぬ。


 なぜそうなるかといえば、四大は夢や幻のように無実体だと体得しているからだ。


 ここが会得できれば、はじめて経典を読んでよろしい。


 物がやって来たら、こちらの光を当てよ。


 菩薩を求むるも亦た是れ造業、看経看教も亦た是れ造業。


 若し他をして荘厳せしむれば、一切の物を即ち荘厳し得ん。


 一切の仏典はすべて不浄を払う反古紙だ。


 君たちが何か求めるものがあれば苦しみになるばかりだ。あるがままに何もしないでいるのが最もよい。


 有身は覚体に非ず、無相乃ち真形、と。


 わしから見ると、すべての存在は空相であって、外的な条件次第で有となり、その条件がなければ無となる。三界はただ心の生成であり、一切はただ識の現成であるからだ。


 これは母から生まれたままで会得したのではない。体究練磨を重ねた末に、はたと悟ったのだ。


 「ただ直下に自己の本来仏なることを頓了すれば(瞬間的に悟れば)、一法の得べきなく、一行の修すべきなし」(『伝心法要』)


 「我が語を取るなかれ」 「我が語を記(おぼ)ゆるなかれ」


 すでに起こった念慮は継続させぬこと、まだ起らぬ念慮は起こさせぬことだ。


 死活循然たり。


 「臨在の四賓主」


 お前たちはこれを信じきることができず、徒らに観念の上で理解しようとして、年が五十近くなっても、ひたすらその屍骸を脇みちへかつぎ、その荷物を背にして天下を走り回っている。


 皆の衆、動と浮動とは両面の姿に過ぎぬ。


 だから祖師も言った、『こらっ! 立派な男が何をうろたえて、頭があるのにさらに頭を探しまわるのだ』と。この一言に、君たちが自らの光を内に差し向けて、もう外に求めることをせず、自己の身心はそのまま祖仏と同じであると知って、即座に無事大安楽になることができたら、それが法を得たというものだ。


 心生ずれば種種の法生じ、心滅すれば種種の法滅す。


 『心が生じなかったら、一切は天下御免』


 維摩もいう、「一切の言説は幻化の相を離れず。」


 道流、文字の中に向いて求めること莫れ。


 看よ、世界は過ぎ易く、善智識には逢い難し。優曇華の時に一たび現ずるが如くなるのみ。


 日上に雲無ければ、天に麗(かがや)いて普く照す。
 日上無雲、麗天普照。


 説似一物即不中(南嶽懐譲)
 「それと言挙げすれば、とたんに的はずれになる」


 定上座が参見にやってきて問うた、「仏法の根本義を伺いたい。」師は座禅の椅子から下り、胸倉をつかんで平手打ちを食らわせてから突き放した。定上座が呆然と立っていると、そばの僧が言った。「定上座、なぜ礼拝なさらぬ。」そう言われて定上座は礼拝したとたん、はたと悟った。


 「臨在の四喝」
 師、僧に問う、有る時の一喝は、金剛王宝剣の如く、有る時の一喝は、踞地金毛の獅子の如く、有る時の一喝は、探竿影草の如く、有る時の一喝は、一括の用を作(な)さず。


 「教外別伝・単伝心印の法を金剛王宝剣と呼び、また正位という」(『華厳録』)


 祇(た)だ空中に鈴の響きの陰陰として去るを聞くのみ。


 見識が師以上であってこそ、法を伝授される資格がある。


 但有(あらゆ)る言説は、都(すべ)て、実義無し。(潙山)


 かくて臨済は、その激発をいざなうための手段として頻りに「喝」を利用する。


徳山禅師の棒と並べて「臨済の喝」と称せられた。


 それは「カーッ」と発声することではない。大声で怒鳴ることなのであるが、その大喝が威力と効果を発揮するのは、相手の機を見て取って刹那に噴出できるパワーを具えた人に限る。





*2016年11月20日抜粋終了。


抜粋 『抜粋ラーマクリシュナの福音』日本ヴェーダーンタ協会

2016年11月05日 | 宗教


 
「福音の記録者マヘンドラナート・グプタ」



 彼は突然、栄光のヴィジョンを見て意識を失った。人々は発作による気絶だと言った。しかしそれは実は、神のヴィジョンによって起ったあの静寂なムード、サマーディと呼ばれる超越意識の状態だったのである。


 「この若者の狂気は普通の狂気ではない。彼は主を求めて狂っているのですよ!」と言った。……、シュリ・ラーマクリシュナは「偉大な思い」――神の思いに満たされているのだと知った。チャイタニヤのように、彼は常に、宗教意識の三つの状態のどれかを経験していた。純粋に内観的な、すなわち外界をまったく意識しない超越意識の状態、外界の知覚が完全に失われていない半意識の状態、および、主の聖き御名をとなえることのできるような意識の状態である。常に「母よ、おお! 母よ!」と言いながら、彼は絶え間なく母なる神に話しかけていた。


 突然、自分の前にあるこれらのさまざまの草花は、絶対者の外に現われた姿を荘厳する数多の花束――大宇宙を飾る装飾以外の何ものでもない、という思いが彼の魂にひらめいた。シュリ・ラーマクリシュナは魂の底で、神の礼拝はこのようにして日夜絶え間なくおこなわれているのだ、ということを認識なさったのである。


 師がいつかナレンドラ(ヴィヴェーカーナンダ)の姿を見ただけでサマーディの状態にお入りになったのも、やはりここ(ドクシネシュワル・カーリ寺院のベランダ)だった。


 そうなるまでは、お前たちに勤行(カルマ)をやめる権利はない。そうなれば実に、勤行の方が自然に脱落する。魂がこのような境地に達したら、信者はただ、主の御名、(ラーマ、ハリ、または単に象徴・オーム)をくり返せばよい。それで十分だ。他のお勤めはいらない」


 師「お前は神を、『形のないもの』として瞑想するのが好きか、それとも『形あるもの』として瞑想するのが好きか」


 M(グプタ)「師よ、どのようにしたら、心を神に集中することができるのでございましょうか」
 師「そのためには、ひとは、絶えず神の御名と彼の偉大な属性をとなえなければならない。……。たしかに、世間の苦労や心配の中で心を神に集中するのは難しいことだ。それだから、人は時おり、彼を瞑想するために人気を離れた場所に行かなければいけない。霊の生活の最初の段階では、人は独居しないとやっては行けない。」


 「心、人目につかぬ片隅、および森は、瞑想(ディヤーナ)のための三つの場所である。人はまた、実在と非実在(現象世界)との識別(ヴィチャーラ)を実践しなければならない。このようにすれば、人は富、名声、力および感覚の楽しみというこの世の事物への執着をふるい落とすことができるだろう」


 これを始終となえていれば神を愛するようになる。ついには神を見るであろう。


*右が積習の効用というものであろう。


 人々は、四つのクラスに分けることができるだろう。一、世俗的な人々(この世のかせにしばられている人々)(バッダ) 二、解脱を求めている人々(ムムタシュ) 三、解脱をとげた人々(ムクタ) および四、永遠に自由な人々(ニティヤ・ムクタ)である。


 絶対なる、無制約なる者を、相対的な、制約を受けている世界の言葉で述べることはできません。


真の知識すなわち悟りのしるしは疑惑の停止、したがっていっさいの哲学的論議の停止なのです。


 マーヤは非実在である、ということが悟られると、個別化されたエゴ(アハム)は、完全に、言わばふり払われます。または拭い去られます。エゴはあとかたもなくなります。それが、完全なサマーディです。


 一方、サマーディから私の母のおぼしめしによって、もっと低い霊的境地に戻ってくる聖者は、浄化されてはいるが個別化された、希薄になったエゴをとり戻しています。
 このエゴを取り戻して、その聖者はもう一度相対世界にほうり込まれるのです。彼にとって彼のエゴが実在(相対的に)である間はこの世界もやはり実在であって、絶対者は非実在(相対的に)なのです!


*右の聖者を『大乗起信論』では菩薩と位置付けている。


 彼は、宇宙の現象を、絶対者の感覚に対する現われ、と見るのです。


 どのような類推も、超人格神と人格神との関係を十分に説明することはできません。これは悟られるより他に致し方ないものです。


 わが母人格神は、無我のサマーディの中で個我を消し去るのがおすきです。その結果は、サマーディの中での超人格神の自覚、と言うものです。


 サマーディに入っている聖者は、絶対者に関して何も言うことができません。大海に入った塩人形のように、彼は失われてしまっているのです! また彼はサマーディから下りてきても、絶対者については何も言うことができません。ひとたび個別化されたら、分化されていない存在に関しては沈黙してしまいます。ひとたび相対世界に戻ってきたら、絶対者、無条件なる者に関しては彼の口は開かないのです。


 われわれの弱い推理や識別の力では到底、絶対者に到達することはできません。ですから、推理ではなくて啓示! 理論ではなくて霊感です!


 ここに、哲学による悟り(ギャーナ)と愛によるそれ(バクティ)との間の、和解があります。


 サマーディから感覚意識の世界に下りてきた人だけが、希薄な自己(長さだけで幅のない線のような)、霊的視力を保持するに足るだけの個人性、を持つことを許されます。


 母なる神がサマーディの中であなたのエゴ(個人性)を拭い去るときには、ブラフマンが悟られ、いっさいの言葉やみ、在るものだけが、そこにあります。まことに、海の深さを測ろうと海中に歩み入った塩人形は、無限の大海と一つになってまったく語らないのです!


 われわれにくっついて離れない「私は肉体である」という確信をふり落とすことは、実に非常に難しいのですから。


 だいたい、決して欠かすことのできないものは準備段階の訓練です。それなしには、人はバクティ(神への愛)を得ることはできません。この訓練を抜きにしては、絶対知識など思いもよらぬことです。


 最後に、彼はしばしばサマーディの中で感覚意識を失い、ジャダ(知覚のない、動かない無生物)のように見えます。


 ちょうどチャコラ鳥が月の姿を見て、喜びに酔い、大空を踊りまわるように!


 師(つづけて)「識別がターメリックである。それが人に、神が唯一の実在、他はすべて非実在であることを悟らせるのだ。


 このような推理の結果として心が欲望によって動かされなくなるとき、実に、限定された心が消滅するとき、人が真の知識(ブラフマ・ギャーナ)を得るのはそのときである。


 神は一つ、名前が異なるだけだ。(アラー・ゴッド・ブラフマン・カーリ・ラーマ・ハリ・イエス・ブッダ)


 いつまでも『私は罪びとです。私は罪びとです。』と言い続ける哀れな奴は、罪びとになってしまうのだよ、本当に!


 「あこがれは、悟り――見神――の直前の段階だ」


 人は、この世界という仕組みの中の唯一の行為者は神である、自分たちは彼の御手の中の道具にすぎない、ということを悟ったときにはじめて、この世界に生きながら真の自由を楽しむことができるのだ。


 『あなたが』と『あなたの』が真の知識(ギャーナ)であり、『私が』と『私の』が無知である。


 ――世間に住みながら世間のものになるな――


 愛と信仰と自己放棄(お任せ)による神との交流だ。


 お前が『オーム、ラーマー』と言うやぃなやお前の目に涙が浮かぶようになったら、行をする時期は終わったものと思ってよろしい。


 この世のむなしさの感覚をまつたく持たない学識の人は、何の値打ちもない。


 ついに、実在なる神と非実在なるものとの識別がやむ一点に到達する。そして、サマーディの中で絶対者が悟られるのである。


 霊性のめざめは、大いに時のかかわる問題である。教師は、ただたすけをあたえるにすぎない。


 バーヴァというのは、至高実在(絶対の実在・知識・至福としか形容しようのないもの)の思いに打たれて言葉を失った状態だ。バーヴァが、普通の人間が到達できる最高境地である。
 神への忘我の愛(ブレマ)はごくわずかの人しか得ることはできない。そのような人たちは並外れた本源力を持ち、神の委託を受けている人だ。神の力と栄光の世つぎとして、彼らは彼らだけのクラスを形成している。


 バーヴァは未熟なマンゴーのようもの、ブレマは熟したマンゴーのようなものだ。


 非実在のもの(すなわち現象宇宙)からの実在(神)の識別、および世間に対する離欲は、二つの浄化剤である。これをおこなえば、世俗的な人も俗心をはなれ、純粋になるのだ。


 「知識は、突然に伝達できるものではない。その達成は、時の問題である。」


 『なぜあなた方は私を溺れさせようとなさるのですか。ひとたび結婚したら、私の一切はおしまいです!』


 師(励ますように)「自分の心から世間をはなつことができればそれで十分だよ」


 同様に、聖典はただ、われわれに神に至る道を、つまり神を悟る方法を教えるものだ。ひとたび道がわかったら、次の仕事はその道を目標に向かって歩き出すことだ。悟りがその目標である。


 師「たしかにそうだ。有限の心ではだめだ。しかし、教育と修行によって感覚的な性質から解放された、清らかな心は、彼を悟ることができる。そのときにはまさにこの心が、純粋な理性、つまり無条件の限定のない心の働きと同じ物である。このようにして、古代の賢者たちは純粋な、限定のない魂をさとったのである。


 「心も決定する能力も絶対の中に融合してしまう境地がある――部分から成り立っているとは考えることのできない絶対者の中に、である。ナレンドラを見ると、私の心は絶対者の中に没入してしまう。――お前、これを何と思うかね」


 「お前たちの言う『相対界』は、もとをたどれば、お前たちの絶対者が依って立つところの存在以外の何ものでもない。それだから、ラーマーヌジャの言うところにしたがえば、絶対者は有限の魂および現象の世界によって限定されるのだ。これが限定非二元論、すなわちヴィシシュタアドワイタムという教義である。


 (グプタに)おお、推理または識別による単に知的な神の理解と、独居の瞑想による現実の悟りとの間に、そしてまたこれら二つと、彼の恩寵による悟りとの間には実に大きな差異があることを、私は見たのだよ。


 師「実在と非実在について推理していると、絶対者なる神が実在であって現象の宇宙は非実在だ、という結論に達する。現象宇宙とは、名と形を持つすべてのもの――物質的なものも霊的なものも――のことだ。これが、ヴェーダーンタ哲学の結論である。この方向に推理を進めてやがてサマーディの中で悟ると、悟った人は言う、『神は人格ではない』と。なぜならそれは神を限定することになるから、何ものも、絶対者なる神を叙述することはできない。限定された自己は、サマーディの中では消えてしまっている。そういうわけで、絶対者の属性を示す個体はそこに残っていないのである。絶対者はそのときは、絶対意識として悟れるだけである。」


 「もしお前が、知識すなわち哲学の道の方が好きなら、『絶対者が唯一の実在、名と形のこの世界は非実在である』と言って推理をしてもよいのだよ。そうすれば、氷は真の知識という太陽の強力な光のもとに溶けてしまい、お前はそこに残された果てしのない、無限の大海を悟ることになるだろう!」


 多くの人たちが、知識(神の)は書物を研究しなければ得られないと思っている。だが読むよりも高尚なのは聞くこと、聞くよりも高尚なのは見ること(悟る)である。


 私は本を読んだことがない。(ラーマクリシュナ)


 神を悟った者は、絶対者なる神がわれわれの前に現象の宇宙として、つまり人や自然として現われているのだ、といことを理解する。


 子供の信仰のような信仰が、唯一の必要なものだ。


 『あのね、あなた自身が結婚なさったら何もかもわかりますよ。いまどうしてそれをあなたにわからさせて上げることができましょう』


 『それが何であるか、ということを、口で申し上げることはできません』


 世界中にまだ一人として、絶対者の性質を口から出る言葉で表現し得たものはいない。


 うぬぼれは必ず、書物に関係を持つ連中の中に多く見られるのは奇妙なことだ。


 私はかつて一度、これに似た知覚を得たことがあった。一つの実体が、すべての生き物の住む宇宙という形をとっている、と感じたのだ。


 こう言いながら、師は弱い声で、「ああ! ああ! 何というヴィジョンだろう!」とお叫びになる。
 またしても神意識の状態! 師は感覚の世界を超えて高く飛翔しておしまいになった!





*二〇一六年十一月二日抜粋終了。
*印は抜粋者のコメントです。
*この本を読んでいるとき、並行して『大乗起信論』『臨済録』井筒俊彦等を読んでいると、奇妙な事態が発生するのを経験する。