僧肇(そうじょう)が……「老荘思想」を通して「仏教思想」を理解しようとしている点について主に焦点を当ててみたい。
ここでは、『肇論』の中に収められている「涅槃無名論」を中心としつつ
「ニルヴァーナ」という言葉の本来の意味は「吹き消すこと」、「吹き消された状態」をいう。
「涅槃は無名である」(僧肇)
寂寥虚曠 (僧肇)
人間の言葉を通した概念的思考の範囲内において、「涅槃」というあらゆる概念的規定を超えて存在する境地を論ずることは出来ないと僧肇は主張する。
その世界は人間の相対差別の境地を超越している。それを仮りに「道」というのである。
言知を越えた世界
真実在の世界(道)においては、人間の心知(分別知)により生じたあらゆる差別と対立は完全になくなる。
「真に在るもの」(実)は形象概念として捉えられたもの(名)を超えているのである。それは通常の人間の感覚、知覚をもってしては把握できない。従ってそれは「名づけられない」「無名」なるものである。
僧肇はこの「斉観」の論と「即物」の思想によって、物我二空の道理を体得することが「涅槃」の境地入ることだという。
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