自治会町内会、その他昭和思考の愚考

タイトル通り昭和時代の時代遅れ思考を考え結果として現代社会生活にどの様に悪影響を及ぼしているかを書き留めたいと思います。

○○界本日モ反省ナシ

2011-05-06 12:44:58 | 日記

20数年前、指揮者の故ダン池田さんがタイトルの○○の部分に”芸能”の2文字が入った暴露本を出版し話題になった。当時はインターネットなどの情報網が無い為、暴露本は週刊誌以上のセンセーショナルさであり内容も赤裸々で普段テレビで観ているアイドル歌手やタレントを違う目で見てしまう程だった。
3・11を過ぎても体たらくなお役所の仕事内容の出版活動をするなら「オ役所本日モ反省ナシ」で良いだろう。
こんな体たらくな自治体からのダウンサイジングでは当然自治会も体たらくになる。当たり前の事。

「○○自治会、本日モ改革ナシ」
こう思っている人がどれほどいる事か・・・・

3.11以降も変わらない『お役所仕事』に腹が立つやら情けないやら。/中村 修治(INSIGHT NOW!) - goo ニュース
2011年5月6日(金)10:40

良い組織には、独自の言葉が生まれて流通する。ステキな会社には、楽しい言葉が溢れている。「言葉」とは、組織運営のための血液のようなものだと思う。

下記は、最近、福岡市内の某バス停のベンチに貼られた「警告文」である。

『このベンチは安定が悪く危険なので、設置者は平成23年5月12日までに撤去してください。期日までに撤去しない場合は、本市において、ごみとして撤去しますので、念のため申し添えます』。


私がこの街に引っ越してきた5年あまり、ずっと、このベンチはバス停にあった。高齢者の方々が、このベンチに座ってバスを待つ姿を何度も見た。このベンチには、広告もなにもない。誰かが、我欲のために置いたベンチではないことは、その佇まいを見たらわかる。きっと、善意の誰かが、街のみんなのためにと置いたであろうベンチである。

そのベンチに、行政は、この貼り紙をする。それも、ガムテープで手荒く・・・。この貼り紙の中では、街の善意の誰かは、ごみを置いた犯人=設置者扱いである。「念のため申し添えます」という文章の執拗な締め方には、悪意さえ感じる。

みんなが使うバス停である。朝早く働きに行く者は、この貼り紙を見て出勤するのである。昨日までバスを待つ人達に尽力してくれたベンチが、貼り紙一枚で、犯人扱いである。このデリカシーのなさには、ガッカリどころか、腹が立つ。

確かに、風雪にさらされたベンチは老朽化が激しい。危険なので撤去した方が良いかも知れない。しかし、「善意」とわかっているものを「悪意」にすり替えてしまうお役所の言葉遣いに熟慮はない。これじゃ「街のための善意」の芽は、根こそぎ摘み取られてしまう。

このベンチは、行政にとっては、ごみなのである。ごみとして扱った場合の処理を前例通りに進めると、きっとこうなるのだと思う。しかし、悪意はないと信じても・・・想像力がなさすぎる。「こんなベンチを置いて・・・余計なことしやがって」という潜在意識が、この言葉からは、透けて見えてしまう。

貼り紙が貼られたのは、4月28日である。東日本大震災から、約50日。あの瓦礫の山をごみとして扱うのかどうかに苦慮をする人達の報道に心を痛めている傍らで・・・被災を免れた地域では、こんなデリカシーのない言葉が、善意のベンチに貼りだされる。悲しいお役所仕事である。どうにかならないものなのか・・・。

3.11以降、どの地域の住民も、最後は、国や地方行政の力が重要だということに気づいた。お役所とどう寄り添うべきかを市民側が考える契機となった。「お役所」を見る視点=期待は、大きく変わっているのに・・・。

こんな貼り紙を見て腹立たしい1日を過ごして帰ると、テレビでは、お国のリーダー達が「命がけで」「一生懸命」・・・そんな言葉が嘘くさい言葉を未だに発信し続けている。

「一生懸命」の元々は、「一所懸命」だったのを、行政のリーダー達は、ご存知なのだろうか?鎌倉時代、“武士が賜った一カ所の領地を命がけで守り、それを生活の便りとして生きたこと”に由来している。字のごとく “一つの所”に命を懸けることだったのだ。 これが、貨幣経済の時代に移り変わっていくうちに、領地がそれほど切実なものとは感じられなくなり、「所」ではなく「生」となり、「一生懸命」と表記されだしたという。

命がけでやります。一生懸命やります。そんなことを軽々しく言う人ほど、仕事への期待は薄い。一生懸命やるのを見たことない。それは何故か?そういう人達に限って「一所懸命」が見つかってないからだ。仕事でも良い、家族でも良い、“一つの所”に懸けることが見つかっていない者は、「一生懸命」になれるわけがないのである。

前述のバス停のベンチが「ごみなのか、ごみではないのか」、そんなもの「一所懸命」働いていたら一目瞭然である。「このひとつの街のために働いている」という一所懸命さえあれば、結果的には、同じ処理をするにしろ、もっと心遣いの見える貼り紙となるはずである。

お役所には、前例という「答え」ばかりがある。
その「答え」には、特例も、臨機応変もない。
いつも同じ言葉=「答え」ばかりである。
同じ「答え」を見つける仕事など一所懸命にできるわけがない。

3.11以降、お役所に求められているのは、いつもの「答え」ではない。「問われている」ことへの特例であり、臨機応変である。「ごみではないごみを処理する」こともあるという発見である。その発見から生まれてくる聞いたことないステキな言葉である。


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