文化財保護法が昭和50年に改正され
古い町並みが残っている地区を
“重要伝統的建造物群保存地区”として
ようやく保護していくようになりました。
それまでの日本には
景観や環境や町並みを保存・整備するという考え方が
根づいていなかったのかもしれませんね。
私たちが古民家に惹かれるきっかけになったのが
東海道53次の、江戸から数えて47番目の宿場町
“関宿”です(三重県亀山市)。
“鈴鹿関”が置かれていたことから
関宿と呼ばれています。
今から7~8年くらい前に、この関宿を知り
それから四季折々、幾度大阪から通ったことでしょう・・・
知らんがな・・・(^_^;)
東海道の宿場町のほとんどが、旧態をとどめない中
唯一、東西の追分の間を、約1,8kmに渡って
江戸時代から明治時代に建てられた町家が残っています。
保存・修復につとめながら、今も人々の生活が営まれています。
東の追分には
伊勢神宮式年遷宮のたびに移設される
内宮の宇治橋の鳥居が、鎮座しています。
大きな虫籠窓と
こてで描かれた漆喰の宝珠が印象的な旅籠
玉屋が歴史資料館として公開されています。
毎年7月の末には、夏祭りが開催され
4基の山車(だし)が繰り出されます。
せまい街道を
大きな山車が挽かれていきます。
“関の山”の語源は、江戸時代から続くこのお祭りにあるそうです。
最盛期には、16基もの山車が出て競い合い
家々の軒先をかすめるように巡行したそうです。
山車が勢揃いすれば、せまい街道はそれだけでいっぱいになり
身動きもとれないほどであったことから
“精いっぱい”の意味で
“関の山”が用いられるようになったとか・・・
本当に、壮観だったんでしょうね(^^)v
夜になれば、提灯に灯がともります。
広場に4基の山車が集合し
上の台車をくるくると回して
その勢いと回す長さを競い合うのが、圧巻ですよ~
今から4年前、夏祭りで訪れた際
初めて“売り家”の看板を目にしました。
歴史ある立派な家が、売りに出されるんや・・・
譲ってもらえるんや・・・
それ以来、古民家での暮らしを夢見るようになったのです・・・
お祭りの夜、浮かれ気分で歩いていたら
冷たいお茶と冷やしたトマトを振る舞われ
「ここは街道筋やから、人の受け入れもいいよ~
引っ越しといで~」と
ニコニコ笑顔で、言われたのでありました・・・
今思えば、すごい殺し文句・・・(^_^;)
引き続き
「それだけじゃない!関宿の魅力!」をお届けしますねっ♡
はるのん2号