三本の矢

2015-02-09 19:31:57 | 日記

毛利元就は子供たちをも集めて,矢を一本づつ渡して「その矢を折らせた.

一本の矢は苦もなく折れた.次に三本の矢をまとめて折るように命じた.

なかなか折れない.元就は子供たちに教えた.

一人の力では簡単に破られてしまう.しかし三人が力を合わせれば難敵にも勝つことができる.

これが,毛利元就の三本の矢の教えである.

アベノミクスもそれにあやかったのだろうか. だったら三本の矢を示さねばならなかった.

しかし,彼は一本ずつ小出しにするものだから なかなか効果が出てこない.


官主導の農協改革 瑞穂の国は消えた.

2015-02-09 18:55:35 | 日記

農民魂は日本から消えた.

父親は産業組合 創設以来 毎日帰宅するのは 深夜になってからであった.

世界恐慌の中で 農民の暮らしは最低だったころである.

朝早くから 高利貸しに 痛めつけられた 農家の人達が 相談に訪れた.

どうしても彼らを 救済しなければならない.村の医者としてを回って

彼等の暮らし向き輪見ているうちに 産業組合を創設しようと思った,

有力者をたきつけて 起動に乗るかに見えた産業組合で有ったが

県の監査に不適格の烙印を押されて,せっかくの組合設立から有力者は

手を引いてしまった.それでも父は一人で孤軍奮闘してやっと起動に乗せることができた.

元々1反百姓で潤沢な収入下はない.半農半漁の暮らしが多い.

一円運動をはじめて,資金繰りに汗水流してを説得して歩いた.

共存共栄の旗の下で 血地の組合運動は 羽ばたいていた.反面百姓から搾り取って

かせいていた人達からは敵のように思われ,刑事告発を受けて丸一年未決拘留されていた.

父の収入がなくなり,兄たちも学校を辞めて働きにでた.

無罪釈放で返されたが,戦争末期には食糧確保のために 強度の身体障害の体を引きずり

村民の食糧確保に飛び回った. だから農協というのはわたしたち家族にとっては

たんなる経営感覚では割り切れない,農民の魂経営である.

60年産業組合から農協へ60年,退職金200万円すべて組合員へ返して退職した.

わたしも 最初農協錬に入職した.

父にたづねた.「親父ね今の農協はネクタイ締めて背広北連中だよ.農民とは関係ない

人間が農民を指導するんだよ.自民党の票稼ぎに夢中になってるよ.」

「父は 送だね.お前にまで苦労させたくないから,やめてもいいよ.」

まさか 性不が権力で押さえつけようとはよそエーうもしなかった.泉下で親父泣いてるだろうな

あ.


個人主義とは

2015-02-09 05:51:50 | 日記

他人は他人也.われはわれなり.

この 思いは わたしの 生涯の 掟であると思っている.

中学校の 夏休みに 同志社を卒業した 義兄が京都を引き上げて帰郷下した.

わたしは 自分の記憶にないころから 叔父の家に預けられた.

わたしの 兄弟姉妹は 合計12名にも 及ぶ. 父は当時 村の医者と農業組合設立で

早朝から深夜まで 働き図目だし 母親は次々に 生まれて来る子供たちの育児に

追い回されている日常だった.

その様子を見かねた叔父が わたしを引き取って育てたというわけだ.

叔父には子供は義兄一人っ子で勢いわたしは叔父の実子扱いであった.

義兄が帰郷した.わたしは方々に触れ回った,

義兄の持ち帰ったものを 整理していたとき 専門書のほかに一冊の本を見つけた・

『ヘー兄貴 こんな本も詠むんだ.」同志社大学の剣道部のキャプテンで 剣道六段

教師のスポーツマンである兄の手箱から取り出した一冊の本は『ジャン・ジャック・ルソーの

真理」という本であった.いわゆる16世紀における フランス革命について触れた本だ.

夢中で呼んだ.岩波発行の冊子だから 手軽に読めた.

よんでいて不思議な感覚にとらわれた.1916,年当時のことだ.『自由・平等・博愛』

之から軍国主義時代に突入していくのには ふさわしくない思想をわたしは すっかりと

ミニ付けてしまった.勿論本だけではなかった.父が進めていた農業組合思想の

感化もあった.

゜「他人様は他人様,わたしゃ私ょ.」これは結婚した当時から妻の顰蹙を買った.

最近 和田博士が「人は人,我はわれ.』という趣旨の本を発刊されベストセラー

になった.友を得た.「個人主義の決定版」である.

しかし,日本は民主国家であるといっても 本物の『自由』国家には程遠い.

多様に生きることなんだけど.口では多様性をとくが 組織社会は個人の多様性

を認めない.それだけではない.反対に『セクト』主義に侵されている自分を救えないでいる

簡単なことだ.『敬天愛人』こそ個人主義の到達するところだ.