「君たちは 幸せだよ. ある意味では いい時代に めぐり合わせたのかもしれない.」
かって,東京大学の金時計組で 優秀な頭脳の持ち主である I 教授は学生を前に
そういった. どうしてですか.何もかも焼け野が原になった ばらつくの速成教室で 教授は
言った.「 知識は 頭ではわかっていても 知識と 体が一致しないんだね.たとえば
民主主義という概念はわかっても 実際 民主主義というカテゴリーの中にはいって
こういうものかということが お゛路下ながら和歌って来る.」
そうだ.いい例が親鸞聖人だ. 学僧として 幼少にして 比叡山に入り 万巻の書物和精読し
難行苦行を積んでも 学を究めることができなかった.能登同じことよ.」
「しかし,君たちは若くして その時代の中にいる. インフレの理論もデフレの理論も身を
もって体験している.ありがたいと思って この時代にいることを幸いなるかなと 思いたまえ.」
唯一焼け残った 図書館に通って 粗悪な藁半紙に鉛筆で殴り書きした アダムスミスの
「国富論」マルサスの「人口論」復員して学校にもどったのは 無性に活字に飢えていたから
だった.食べるものもなかった.きるものも乏しかった.寝る宿から探さねば成らなかった
何の因果ぞと思ったことも在った.
しかし 学究の教授の話を聴いていて ふたたび経験することがない出あろう時代を生きる
目標ができたような気がした.
あの時代に至った前夜のような現実を見て 日本の指導者は また「国威発揚の機会を
窺っているような気がする. 知らないことは罪悪か.人間の限界が見えるような気がするこのごろだ.
「