日本は 戦争できない 国である.70年まえ わたしたちは はらわたにしみる
ほど 知ったはずである. 一世紀と言えば むかしはとてつもない 宇宙時間
であると思われていた.しかし現在は 一世紀などと言うものは ごく一般的な
時間の経過となった.だから戦争論も 遠い昔の 話しではない.つい 昨日
のことである.
「戦後レジームからの脱却」そんなものは 問題にならない.
日本は 経済的大国である. あれそうなの.とわたしは想う.確かに技術の進
歩は目覚しい.しかし,それに対応している社会組織や人心はいっこうに変わ
っていないのである.
わたしは 人がなんと言うおうが 小沢一郎氏の「日本構造改革に」出てくる国
家の経綸感覚に敬意を表している.
「戦後の日本は ふたたび他国とことを構えてはいけない.あらゆる国と国交を
交え経済.文化 人の交流こそ日本の生きていく道である.』だからわたしはそ
の思いの中でいきてきて やがて一世紀生きながらえることも 可能な年齢ま
で来た. わたしは 生きていく中で 庶民感覚というか 市民の持つ常識論を
もっとも大事にしている. 安全保障論について 政府は学識経験者や 軍事
の専門家会議を開き 練りに練った安全保障法を今国会に提案するという.
そんな矢先 ドロン事件が起きた.総理官邸の屋上にセシュウムがロボットへりに
よっててパラまかれた.想定外だったって言うことなかれ.おそらく 小学生に聞
いたら 噴出してしまうだろう.全くの失態である.学識経験者の頭脳には
そんな即物的観念はないのである.福地の列車事故 きっいカーブのレールがし
かれたとき 誰も脱線事故を考えなかったと言う.裁判でも無罪である.
これとても市民常識論では 急カーブを作ったら 大丈夫かなと想う.
技術論的にも組織論でも また人間の本質から察するに 自然劣化は
必須である.進歩が人のおごりによって 神の領域を逸脱するとき 想定できな
い問題が起こってくる.我々はそれを想定外としている.それでいいのか.
集団的自衛権から派生したものが 日本に大きなリスクを齎せても想定外という
のか.テロで原発が破壊されても想定外というのか.