潔く生きたい社会

2015-04-13 04:29:11 | 日記

男らしい生き方などとは 現在では死語である.生き方に 男も女もあるものではない.

潔い生き方と言えばまた別だ. 身内のことで人様に語るようなことではないのだが.

その潔い生き方をわが父に見せてもらった. 「貧乏人の子たくさん」の例にもれず12名の子供を

作った.  そちらでも豪のものというわけではない. 正直なんだ. 「赤ひげ」田舎医者せいでも有ったろう.

若いとき鉄棒の練習中落下して大怪我した.以来ひどい障害者として苦労したようである

医者での美容人を回診しているうち の小作人の家族が 高利に攻められているのを見て

産業組合を設立した.県の検査で不適格の処置を跳ね除けて やがて医者の仕事より そちらのほうに

専念していった. 将に天職と言うべきか. 当然既得権者の激しい中傷妨害を受けた.

無罪であったが一年未決囚として交流されたりもした.家は火の車だ.

将に組合一筋の一生であった.口減らしにわたしは叔父の家に引き取られた.全く身に覚えがないから

乳離れしたころだろう.子供のない叔父はわたしを溺愛した.実の父を「村のおじさん」と詠んでいた.

今風のお父さんらしいことは ひとつもなかった.兄弟はきびしい父と言っていたが わたしには こよなく

やさしい村の叔父さんだった.父は綿を医者にしたかったらしい.「将来は医者になって 病気の人を

助けるんだぞ.」と言っていたが わたしは海軍のほうに進路を選んだ.兄たちを戦争で国にささげた

父は ひどく落胆していた.父がなくなった夜 わたしは嗚咽した.生害であんなに哀しかったことはなかった.

紫綬・黄綬褒章.従5位叙勲 春の園遊会.県民表彰 晩年の父は最高に栄誉に輝いた.

「政府はこんなに金ばら撒いて 日本の先行きは心配だね.」そういう父はさびしげだった.

彼が求めていた桃源郷は 華麗なものではなかった.静゛かな こころ穏やかな 社会ではなかったのか.