野蛮への郷愁

2015-04-16 10:14:48 | 日記

只今,」かばんを放り出して門口を飛び出した.

昭平はすでに万端整えて木戸口の石に腰掛けて 唐いもを食べていた.

「お前も食うか.」「うん」と言うと ポケットから焼き芋を取り出して「速く 食ってしまえよ.」

と命令口調で言う.

今日は 近所のかわらで 鰻つりの授業を受ける約束である.

昭平は50cmくらいの肥後竹に 手具酢につないだ釣り針を引っ掛けたものを

二本.用意していた.

一本をわたしに渡した.ミミズを籠から取り出して起用に針にかける.

「チェッ 不器用なヤッだね.」わたしの手際を業笑うように見つめている.

「こいつ」と思うが 野遊びについては昭平にはかなわない.

丹念に 石垣のあいているところに 差し込んでいく.

昭平の見立てど゛おり 見る間にうなぎが喰らいつく.

日は落ちて すっかり 夕刻になっていた.

帰ってみると 父が役所から帰っていた.

「お父さん こら昭平と 鰻取ってきた.」

父の機嫌をとるように顔色窺いながら言うと ちちは「戦利品を出せ」と恐い顔で言う.

「母を呼んで 鰻の処理を任せた.

昭平も武も手足を良く洗ってこい.縁側に正座させられて 父が読み上げる論語の

素読をさせられた.あそぴ゛の開拓者昭平は小学校卒業して八幡製鉄に就職した.

風邪の便りで聞くところでは 昭平は肺ガンですでに他界していた.

 


安全神話はない.最新の技術も劣化する.

2015-04-15 21:17:05 | 日記

新聞よむなら 地方紙が面白い.

今朝の西日本新聞の「春秋」にこんな記事があった.

地裁決定は国民の不安を代表したものである.政府は真摯に

 耳を傾けるべきだ.が,菅義偉官房長官は「再稼動を粛々と

勧める.」その言葉は「上から目線」と批判され封印下のでは.やはり

懲りてないか.

ある人が言った.「どうしたら 戦争に負けないか 知ってるかい.」

 「そんな事 わかってらー.戦争しなけりゃいいんだろう.」

 そのとおり「どうしたら 福島のにのまいをして 世界に顔向けできないことを

 しない方法を知っているかいる」

「そりゃる原発を全部 廃炉にしたらよかんべー」国民の意識はそこまで

見通しているのである.

それに対して 田中委員長の発言は「司法は史実誤認をしている」と司法判断

和批判している.

日本の金言「災害は忘れたころにやってくる」最高の安全対策は ゲンパッを手放すことだ.

オムロンの行方社外重役は 蓄電池業界の画期的技術革新で 太陽発電のリスクの解決もできるし 将来は 電線のないえ寝る擬似代の到来和予測している.

 

  

 


ほんとの日本人を知る二つの一面記事

2015-04-15 06:29:52 | 日記

朝いちばん新聞とりにゆく.これがわたしの人生の 生きる証拠みたいなものである.

今朝もそれを繰り返している.決まって空を見上げる.このことも定番になっている.

「暗雲 低く たれ染めて・・・コリャ今日もあまりいい日じゃねー名な.」

今朝の新聞に一面を飾ったのは 高浜原発に司法の判断がしめされたと言う記事である.

原告市民の一人は「司法は生きていた.」と言った.またの人は与謝野晶子のせりふを

持ち出して「山は動いた・・・」とさけんだ.

人口1万人の高浜市民は原発交付金45億円を失うことである.「そりゃないよ.」

でも安倍総理にとっては司法判断難のその.ただ粛々と進めていくことだろう.

今1つの記事は 自民公明の自衛隊派遣法についてのやり取りだ.

これは 自民が平和の党(自称)のメンツを立てるためのお膳立て.

つまりは玉虫色の決着で公明の立場は羊の顔をした狼であることに変わりはない.

とにかく自衛隊と言う武力集団を議会の承認なしに認めるというのだから いかにも

安倍さんらしいずるさを鮮明にしている.

それがまた 頼もしく見えると言う支持者が過半数を超えると言うのであるから

やはり日本人は好戦的な国民性かもしれない.

ただし,二度目の敗戦は日本が消える火であることを承知の上でのことだろう.特に

旗振り役の 新聞テレビ ネットの力は大きい.

前大戦で なぜ新聞は戦争犯罪に問われなかったか今でも不思議手ならない.


世にもふしぎな物語

2015-04-14 21:05:55 | 日記

 世にも不思議な 物語.これはテレビの番組の中の話ではない.

わたしの体験と人から聞いた 不思議なはなしである.

そのよる マンション管理室の宿直室で わたしは テレビを見ていた.

番組は著名な奇術師 ユリ・ゲラーのしゅつえんであった・

彼は わたしに話しかけるように 語り始めた・

「いいですか.私が今から 貴方に 気を送ります.貴方はスプーンを握って私の合図で

スプーンの柄を親指でさすってください.」彼は何か一心に呪文を唱えるかのように

口ごもっていた.合図があって わたしがスプーンの柄をこすっていると みるみるうちに

スプーンの柄は直角に曲がってしまった.翌日 昨夜のことを思い出して再試行してみたが

うんともスンとも どうにもならなかった.何かがある.疑いながら20年近くなる.

 

救急隊から電話が入った.「本人年齢不詳・男性.意識なし・脈なし.今から搬送します.

」第三次救急病院 搬送拒否はできない.あたふたと処置室に搬入された.

丁度院長も受付にいたが 処置室に入っていった.交通事故である.

ドクターの必死の救命活動の結果 奇跡的に意識和取り戻した.救命室で処置和終えた

院長が受付にやってきた.お茶をおいしそうに真美ながら

「実はね.長いことこの仕事しているが 初めてだよ」院長の話によると

静止の境にあった患者に心臓マッサージを必死に続ける医師に突然 件の患者が

話しかけた.「先生 そんなに強くすると 痛いよ.も少し丁寧にして」

いや驚きましたね.確かに入ったときは意識もなし,呼吸なし,脈なし ふつう命絶えた患者が

呼びかけてのである.院長はでもうれしそうに帰宅して行った.


国民から信実を隠匿した政治勢力はやがて 戦争に向かうものらしい.

2015-04-14 04:38:59 | 日記

わたしに ひとつの 戒めがある.

「人は人也.われはわれなり.」という言葉のおもみが 理解できない人は コチコチの

「利己主義者」かと とがめだてする. 

それはそうだろう. 身内の妻や子供に至るまで いまだに理解してもらっていない.

仏語に「天上天下 唯我独尊」という言葉がある.

これこそ 人間の 生きていく 根源なのである.

そういう個人主義の到達するところは「 ゜己を愛するがごとく他をも愛せよ.」と言うことで゜ある.じンもし

そのような 考え方は,多分に西欧の中世のきびしい戒律や権力の拘束から個人の解放を求めておこった

革命の中から売れてきたものに 違いない.わたし自身も 中学生のころ めぐり合った エミール・ゾラの

「真理」という作品に縁があったことである.でもそれだけでうことがはない.

最近よく歴史教育ということが 世間で語られる.

その歴史教育では 興味あることだが 戦前の教育の中に日本史・東洋史・西洋史という時間が設けられていた.

東洋史と言えば主として中国史と称してもよいとおもう,

春秋時代から はじまって戦国18史略など 実に楽しい授業であった.「追い抜け・追い越せ」の時代である.

国家の経綸は「徳を持って行なう」と言う風潮があった.

そんな こんなを考えてみると 日本史の中のごく一時期に 日本人は来るってしまった.

それは忌まわしい 軍国主義と 国粋主義とそれを側面から支えた マスメディヤの清である.