6時間前に、「町のお医者さんの言葉」を書いて、自分のために書いて、ただただ自然呼吸しようと試みた。自然呼吸なはずなのに、私はさっきまでこの自然呼吸ができなくて、アップアップしてものすごい苦しかった。その苦しさは半端なかった(苦笑)
私は、6月はこの1か月「実家処分の話」「父の介護の話」に振り回され続けた。兄と父と家族の話し合いが全くない状態で、兄の意見で実家処分の話が一方的に決まってしまったのである。
私は、AC育ちで、機能不全家族でとてもコミュニケーションが取れないままで、今まで過ごしてきた。今までも、いまだ持って家族で話し合うことがなく来たことにとても残念でショックを隠せない。
そのことで落ち込んでいる自分はダメだとか、早く立ち直らなくてはと、なかった振りしようと感情を感じない振りしようとして、ものすごい苦しかった。
でも、「落ち込んでもしょうがないんだ」とか、」「そりゃあ落ち込むよね」「落ち込んでもいいんだ。私は落ち込んでいる。」と認めたら呼吸がふっと楽になってきて、目の前の視界も明るくなってきた。
「どうして?なんで?」と理由や出来事を考えていた時は、自然呼吸できなかった。自然呼吸が苦しいものだと思わなかった。
でも、半日かけて今ここの呼吸に意識を向けて、どのような呼吸であってもただただ見つめていた。ある意味ありのままの自分を受け入れて、特定の相手のことは、しょうがないとあきらめも入ってきた。
問題を相手が主体に考えてきたが、問題はやはり相手ではなく自分にあるようにも思った。その助けに「呼吸」が大事だと思った。
私は、「呼吸法」「瞑想」なども、体験したり、瞑想会参加したり、学んでいる最中で、まだまだ分かっていないが、その大事さは感じている。
自分の内側深くの静けさを感じたり、入っていきたいと思うこの頃である。