お大師さまが弘仁10年(819年)に山麓の天野社から地主神として勧請し、高野山の鎮守とされました。
高野山開創の伝承にもあるように、高野山一帯は 元々この丹生(にう)明神の神領であったと伝わります。
お大師さまは密教を広めるにあたり、日本の地元の神々によってその教えが尊ばれ守られるとする思想を打ち出され、神仏習合思想の大きな原動力にもなりました。
高野山においても修行者らを護り導くとされる四社明神への信仰は大変大切にされています。
社殿は三つあり、一宮は丹生明神、二宮は高野明神、三宮は総社として十二王子・百二十伴神がまつられています。
丹生、高野明神社の構造形式は春日造で、総社は三間社流見世棚造(さんげんしゃながれみせだなづくり)と呼ばれ、どちらも檜皮葺の屋根で仕上げられていま す。
現在の社殿は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財に指定されています。
山王院 山王院は御社の拝殿として建立された、両側面向拝付入母屋造り(りょうがわめんこうはいつきいりもやづくり)の建物で、桁行21.3メートル、梁間7.8 メートルあります。
山王院とは地主の神を山王(さんのう)として礼拝する場所の意味であり、現在の建物は文禄3年(1594年)に再建されたものです。こ のお堂では、
毎年竪精(りっせい)論議や御最勝講(みさいしょうこう)などの重要行事や問答が行われ、高野山の鎮守たる明神(みょうじん)さまに神法楽 (じんほうらく)として捧げられます。
同様に毎月16日にも月次門徒・問講の法会が行われています。