司馬遼太郎文学碑
「高野山管見」(歴史の舞台文明のさまざまから)
高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。
山上は、不思議なほどに平坦である。
そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀を連ねている。
枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧非俗の人たちが集団で住んでいた幽邃な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。
さらには林間にこけむした中世以降の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥の院に、僧空海がいまもいける人として四時勤仕されている。
その大道の出発点は、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。
大門の向こうは、天である。
山並みがひくくたたなずき、四季四時の虚空がひどく大きい。
大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市が実は現実の者ではなく、空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。
まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで唯一ともいえる異域ではないか。
高野山開創1200年記念大法会に向けた事業の一つとして、この文学碑が建てられ、
2008年9月24日に除幕式がありました。
(*・ε・*)ムー
これはよく考えたら、墓ではなかったw