「たが、自らの判断が間違っていなかったのか」とキツネの輿の前にカブトを放して試した。
そんな事例がいくつも見受けられますね。内外を問わず、・・・。
ケロッとしている所もあるようですけど、・・。あれ、・・・。
「課題の解決にはなっていないんじゃないのか」と、問われた。
「先送りしただけかもよ」と答えて置くしかないさそう。今のところは。
「その課題はいいとして、次に来るものは」
「リスクオフになるかもなぁ」「すると、・・・。」
我が家のアイデア会議は夕食の準備をしているときと、夕食を食べながら行われている。時にはマメ(柴犬)も加わることがある。皆が帰宅して一緒に食事を作るようにはしているが、仕事等の都合でいないときもある。(何年もこの方法で家族のコミニュケィーションをしてきました。)
12月はほとんど娘と私がしなければならない。ここ数年来そのようになっている。毎日開かれるわけじゃない。旅行や、テレビの話題が遡上するときもある。テレビはつけっぱなしのときときるときがある。議題の性格によって対応しています。
あるとき、女房が台所から、「お父さん、この運動を適切な音楽にあわせて取り入れればメタボ解消になる。」と言い出した。「それに器具のようなものがあれば相当効果がありそうだけど、・・・・。」
食事時になって、コンセプトだけ議論している。「マッサージや指圧効果がきたいできればさらによいものになる。」「磁石はどうだろう。」「お父さんのセラミックでも良い。」「椿の木の枝でもよさそうだ。」「小さいサイズのものも必要だろう。」等々である。
「これは休日に試作してみなくちゃならなくなってしまったようだ。」また、新たな課題が突きつけられてきたと思っていると、「ネーミングはメタボ狂想曲か狂詩曲か、メリハリ美人になるかも、・・・。」娘が言い出した。理由は「メタボなくなるからだ。」なるほどとは思うけれど「試作してみなくちゃなんともいえない。」現在、試作に取り掛かっている最中です。