現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

三方一両損(得)の発想

2009-03-12 18:18:12 | 発想法

三方一両損(得)の発想

 ある時のことである。知り合いが新聞販売店を始めた。地元紙ではなかったためにお得意さんを確保するのに苦労したのだろう。「2~3軒紹介して欲しい。」と言ってきた。私は付き合いでとっている。私の兄弟の一人と仕事他で出入りの喫茶店には私がお金を払うことにしてスポーツ新聞を入れることで解決した。喫茶店にすれば経費をかけずにスポーツ紙がお客さんに提供できる。新聞店にすれば新たなお得意さんができたことになる。

私にすれば費用負担しているもののお得意さんの確保が旨くいく。実際、喫茶店の紹介で何人かのお客さんは出来た。もちろん、新聞販売店も喫茶店も私の漢方薬他を利用していただいていた。三方一両損の具体的な事例である。

一休さんや大岡越前のストーリーの中にあることなのだが、このように、応用することは出来る。クライスラーの会長アイアコッカ氏は会社の危機的状態をこの方法で解決して見せたことは記憶に新しい(この前の自動車危機のときである。)。彼がどこで知りえた情報か知りたかったが外国の人がこの事実を知っていたことになる。政治、経済、社会の中でこの方式を使わなければならない事例がかなりある。この考え方の逆、三方一両得の発想(主に、プロジェクトを組むときに必要。)とともに乗り越えなければならない重要な課題があるといえる。


心のフロンティア理論

2009-03-07 14:25:02 | 発想法

心のフロンティア理論

 科学上の「フロンテア理論」は福井健一さんがノーベル賞をいただいているので

さんがご存知の事柄であると思われる。簡単に言ってしまえば【外郭電子の数が物質

の性格を決める。例えば、炭素は4個。この性格は半導体として利用されている。そ

してカーボン系列に属する元素はどれもその性格がある。】というものである。

興味のある人は研究してみていただきたい。アイデアや発明などにもこの理論が当

てはまるような気がしている。

歴史的に見てもルネサンスは十字軍の遠征の後、花開いていると言える。異種の文

化に触れたことが実り豊かな成果になった。わが国においても、江戸の後期から明

治の初めにこの国の指導的立場の人たちが生まれてきた背景に文化などの境界線上

にいるような気がしている。

科学的な物質の持つ電子的な手のつながり方に似ているような気がしてならないのである。ジョハリの四つの窓の図式が人々の間には存在しているのだろう。聞いてみる、話をしてみることでアイデアや発明のセルモーターが回り始めるといえる。何らかの刺激が必要になるのだろう。出会いが触媒反応を促進したり、相乗効果を挙げたりするのかも知れない。(その際たるものが、益川、小林両教授の成果だと思われる。)

四国で「彩りビジネス」を展開している横石さんも「地元で生産できるものを利用するという発想」(地域資本という発想であるがお金だけに限らない。)はあったが、それが「何である」のかわからずにいた。

あるとき、都会のすし屋さんで出されていた「紅葉したもみじ葉のつま」を持って帰ろうとする女性グループとの出会いがなければ生まれてこなかったものである。実は着想やひらめきとは意外な場所から突然やってくるという性格がある。

着想の気まぐれさには、たびたび驚かされてきた。それらが同時にやってくるということはまずない。どこまで進めばその回答に突き当たるのかという保証もない。研ぎ澄された感性が要求されることになる。

そして商品にする過程でさまざまなノウハウ【知識+経験、彩りビジネスの場合は、その多くは年配者たちが持ち合わせていた。】と仕組を作る知恵、【対応を早くする(防災無線やファックス、パソコンを使う。それもメガネを掛けなくても読み取れるくらいの大きさにして、)使う人(葉物)のニーズ(季節を先取りしたタイミング。)に合わせるための工夫】をしてきている。そのためには四国という環境が良かったのかもしれない。

発想やアイデアの性格とそれが訪れる必要十分条件があるといえる。「ジョハリの四つ

の窓の図式を念頭に置きながらそのような環境の中に自分の身(横石さんも自腹を切っ

て料亭などに足を運んでいる。使用している状況を把握する。(現場学))をおいてみるこ

とだろう。

   


歌の文句じゃ無いけれど

2009-02-09 11:26:39 | 発想法

 どんな題名の歌かも知らない。誰が作詞して誰が作曲したのかも知らない。実にいい加減である。若いころより手抜きできるところは徹底的に手抜きしてきた性格は墓場まで持っていくしかないだろう。

 ここでは趣旨が伝わればよいと思っている。「妻を娶らば、才長けて見目麗しく情けあり。友を選ばば、書を読みて、~、四分の熱」という件のある歌のあることは皆さん知っての通りである。

若いころよりこの歌詞の教訓を生かしてきた。妻がそれほどきれいだということは無いが、知恵や情けはあるほうだと思っている。どちらかといえば、友を選ばば~の件の方に意味がある。

実際、若いころより求めて彼らを友人としてきた。発想や着想の訪れる必要十分な条件がある。その一つが人と人の出会いであり物事に取り組む姿勢である。ところがいったん社会に出てしまうと同じ会社や地域・趣味に属する人との付き合いだけで交際範囲が極端に狭くなってしまうことに気がついていただきたい。(商工会や会議所で異業種間交流を主催しているのはこの種の弊害をなくそうと言う目的があるのだろう。)

もちろん、本など読まなくても自分の経験を自分の言葉でしっかり伝えることの出来る人なら良いと思っていた。そして、何と言っても四分の熱(情熱、エンスージアズム。)が物事を遂行する上でなくてはならないものであるが、さまざまな人と付き合ってみると持っていない人がかなりいることに気がつかされた。

どちらかと言えば、情熱を表現するといけないもののような雰囲気である。行動を起こす起爆剤の役割はこの情熱を置いて他にはない。セルモーターのような働きをすると考えられる。情熱は物事に取り組む姿勢を正してくれるだろう。その姿勢を見て人物を判断してきたところがあるがこれだけではない。姿勢が出来てくれば体外のことは解決できるはずである。どうしてもわからないことはそちらの専門の人に教えてもらえばよい。

多くの成功者たちがその著書の中で情熱との付き合い方を、それらを利用して目標を達成する方法を書き記しているので参考にしていただきたい。暴走(ガードレールの内側にあれば何も問題は無い。内燃機関はシリンダーの中で燃料を爆発させることでエネルギーにしているではないか。ボルテージがある大きさにならなければ行動はなかなか起こせないものである。「夢ナビノート」、参照。)しないように制御すれば大きな力になる。

 注 ボルテージ、電圧のボルトのことであるが、ここでは心理的高まりを電圧のボルトを計るように数値化することを言っている。

   【ボルテージ高まりすぎて歌ならずああ松島や松島や】【奥の細道秘話より】

   【参考文献、自己を動かす力 海藤守著】

   【参考文献、成功哲学 ナポレオン・ヒル著 産能大出版部】


ゴールデンルール【黄金率】

2009-01-27 08:44:52 | 発想法

78対22の法則(又はクォターの法則)

 かなり昔のことである。教育学部で数学の教師を目指していた友達が、この様なことを言っていた。その後、何回となく本の中で目にしてきた。ユダヤの法則とか、マイシの法則、パトレーの法則とか言っているらしい。宇宙の法則といっている人たちもいるらしい。それらを総合すると、数字も厳密なものではなく20から30ぐらいまでの幅があるらしい。らしい、と表現しているのはファジーな要素を含んでいるからである。

最近、ノーベル賞を4人の科学者が受賞して話題になっている。その中で理論物理学の益川、小林両教授のことが報じられた。6という数字が取りざたされている。クォークの数が6個ということである。

【あくまでも、私の見解である。次の数式から6という数字にはなるが、私は理論物理学をよく知らないし、研究者でもなんでもない。感じ取っていることを何の裏付けの無いまま表現してみようと思っている。付け加えるならペアになっているので奇数ということは起こらないはずだが、・・・・・。

2分の6×5×4×3×2・0.20~0.30=100~110+アルフーになる。2分の部分はペアになっているので割っている。表と裏があるということである。「理論物理学の世界では粒子と反粒子では光となって消えてしまう。」といわれている。0・20~0.30の部分は先の法則の部分であり、100~110+アルファーの部分は原子番号周期律表に載っている原子の数である。

この方式によれば、どうしても、6という数になりそれ以上でも、それ以下でも説明がつかなくなってしまう。当の益川教授もお風呂に入っている時、「洗面器をまたいだときひらめいた。」とエピソードを披露していたではありませんか【中日新聞、参照】ハニカム構造でも想像したのだろうか。発想は実に意外なところからやってくるものであり、すぐ立ち去ってしまうという性格がある。「女心と秋の風」なんてものではない。実に付き合いにくい性格がある。記録しておくと言うことがどうしても必要である。【立体的思考の可能性、参照】

場合によっては、120の元素があることになるのかもしれない。貧しい頭ではいかんともしょうがない事柄である。】(【・・・・・。】の部分に関して、何らかの御教示をいただきたく思います。)

自然界の多くのことが、この法則で成り立っているようだ。その友達も「地球の海の面積と陸地の面積の比率もそのようになっている。」と言っていた。この比率に何らかの意味があるのかもしれない。氷河の海面に沈んでいる部分と表に出ている部分もこの比率になるらしい。こちらは興味があったので学生時代に実験してみたことがある。

同じようなことを心理学者たちも「顕在意識と潜在意識の割合である。」といっていたような気がするし、人間が他人に関心を寄せることも少ない理由に挙げていたような気がする。

経済の分野でも、おおよそ25パーセントの人たちが75パーセントのお金を動かして儲けているようである。貯金したい人と借りて運用したい人たちの比率もおおよそそのようになっているらしい。「裕福な人たちと貧しい人たちの数もこれと同じようなことになっていて残りが中間層ということになる。」といっているグループと人たちがいた。「この比率がゴールデン・ルール(黄金律)だ。」といっている人たちもいるようである。(私はクオーター法則と勝手に命名している。振り幅があるために中間を取ってのことだ。)

長い間、営業の現場に携わってきたが、よく売れている商品の30パーセントくらいが売り上げの70パーセントを構成していることに気がついた。商品にも寄るが、問屋などを経由して小売店に供給している商品の製造原価はこの比率でなければ流通しないといえなくも無い。(近年、通信販売が増えてきているので必ずしもこの比率になっているとは限らないのかも・・・・。)

先の法則が理論物理学までは通用するものではないかもしれないが、生活の中には生きているのかもしれない。興味のある人は研究してみていただきたい。

最近の金融恐慌はこの比率を無視して、新しい証券化商品というビジネスモデルを作ってしまったことによるものだろう。人類は自らの欲望のおもむくままにパンドラの箱の蓋を開けてしまったのかもしれない。

  【参考文献、ユダヤの商法 藤田田著】

  【参考文献、イソップ物語、羊(ロバなのかも知れない。)と狼とライオンの狩の分け前の話】