現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

立体的思考の可能性(アブダクション)

2009-11-10 08:35:37 | 発想法

カイロ(温、冷)   水枕    熱電素子      電気     セラミック   

磁石    イオン量    カバー  二刀流    低レベル放射能    温灸 

遠赤外線     発汗   デトックス作用     岩盤浴   水またはお湯? 

温泉療法    指圧    石    真空    断熱材   温度設定
                             (42℃~50℃)

              <u> ?、?、?</u>  

低温ヤケド    冷え性等    玉川温泉    パイプ   シート   蓄電池

凍結防止帯    珪酸成分    重量      溶岩または玄武岩    光

家庭用     珪藻土     湯たんぽ    温度センサー    薬用植物   

アロマセラピー   ブラック・シリカ    リラクゼーション    スイッチ

真ん中の?、?、のところが構想している物や商品になります。どんなものになるか想像してみてと発想法の訓練になります。外側のタームの全て要素入るということはありません。
関連情報も掲載しています。

注 この記事は楽天サイトの(私のブログ)とダブル投稿しています。


立体的思考の可能性

2009-06-01 10:35:46 | 発想法

ウーブサイトに「一括検索竹の子の機能性」というサイトがあります。seonum.com/rank/<wbr></wbr>竹の子の機能性.html -キャッシュ 大変役に立つので覗いて見ることを推薦します。このブログの中で「立体的思考の可能性」について触れている箇所がまさにそのようになっているということです。二つの写真を並べて置きましょう。Fze_075

(真珠の利用方法についてのものですが、テーマが真ん中にあってそこから立体的に配置されていますが、その全部ではありません。)

Fze_074

(一括検索のサイトの上位10番目までの写真です。写真は平面でありますが、その情報一つ一つが深みと広がりのあることを理解していただければ3次元以上になっているといえます。)

 相変わらずプリンターは壊れたままです。写真投稿にしています(この文面を持ってウーブサイトの写真の利用をお願いします。皆様のヒントになればと言う思いで掲載しています。よそしくお願いします。問題があるようでしたら削除しますのでご一報下さい。不思議な玉手箱。)

一つ一つの素材をこの様に配置してみますと新たなアイデアの種にはなるはずです。おおよそ、40年近くこのような方法を試みてきました。(継続は力なり、ライフワークということ、「面白中学の三年間とその後」照)


My I Help Youの発想

2009-05-17 18:33:15 | 発想法

 「何か手助けできることはありますか。」という態度で臨んできたと思っているがなかなか理解されないのである。自分の田んぼに水を引くことは誰でも出来る。他人の田んぼに水をかけて歩くという行為はそう簡単には出来ないのだろう。「そうか。」といって、いつまでも続けているわけには行かない。

3~4回言って聞いてもらえなければ引きさがることにしている。相手先のプライドを傷つけてまで実行すべきことではない。「水を欲しないものに水を与えることは出来ない。」ミスター・シズルこと、エルマー・ホイラーの教えである。「多くの人と歩調をあわせる。」ということであるがこれも課題が無いわけじゃない。

権利化できそうなことは誰も考えていないから新規性があると認められるのであって多くの人々が知っていることなら公知ということである。一般的な考え方の逆を行くことになる(逆転の発想)。つまりは理解されないということが起きやすい。

言われている意味が解らなければ聞けばよい。「なあ、お前、知らなくてよいことなんかない。」と若い頃忠告してくれた何人かの先輩たちの顔を思い出さずには居られない。

少なくとも自分は若い頃より「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」を肝に銘じてきた。「求めよ、さらば与えられん。」と言う聖書の精神と「解らないことをそのままにしない。」というタルムードの知恵を応用することを決意しただけのことである。

質問するという積極的な学びの姿勢のことである。この姿勢を示さなければ相手の人もどのように対処して良いのかわからなくなってしまうじゃありませんか。関心や興味があるのか、無いのかわからないことになってしまうことになる。

【参考文献、自分を売り込む方 エルマー・ホイラー著 ダイヤモンド社】

【参考文献、ユダヤの発想 イザヤペンダサン著 徳間書店】


発想の原点は身の回りにある

2009-04-02 10:45:26 | 発想法

情報管理並びに小物の収納ボード

自分のつんぼを棚に挙げ「すぐ大きな声を出して怒る。」という、「聞こえないので、何回も聞く、段々声が大きくなってしまうのだ。」と女房が言う。ある周波数の音はよく聞こえるらしく、聞こえない領域があるらしい。「補聴器を買うか。」「買わない。」「有ればみんなとよく話ができるのに」「いらない。」相当頑固な所もある。

女房と婆さんの何回となく繰り返される会話である。「耳が聞こえにくくなる人は長生きするらしいぞ。」と私が言うと、女房は困ったような顔をする。「元気で長生きする分はいいけれど、寝込まれたら大変だわ。」この国は長寿社会になったとは言うものの喜んでよいやら、悲しんでよいやら、「なんとも、たいした病気をしないで天寿を全うしてくれればと祈るばかりだ。」この国の社会保障の現状は必ずしも多くの年寄りに満足の行く状態では無さそうである。

「くっきりボード又は情報管理ボード」を作る必要があるのかも知れない。年寄りに見やすく、さまざまなものを一つのボードで管理できるアイデアであるが、良く考えてみるとパソコンのホームぺージのトップの様になっていることに気がつかされた。何よりも「夢ナビ、目標管理ノート」のトップページの様になっているということである。

夢ナビノートはもっと複雑になっているのだ。情報の量が多いのでリンクしている所がいくつかあるだけであるが、目標も行き先と同じことになるという発想である。このことはおぼろげながら中学校時代しばしば起してきた脱線授業の中で気が付いていたのである。【このことは近いうちにもう一つのブログを立ち上げる予定である。】情報を平面で一元的に管理する

だけではないかということである。

電話のメモをするスペース、携帯のストック、絵画又はカレンダー、家族それぞれの行動予定、旅行時の連絡先、車のキー、メガネ入れ(メガネを外してどこに置いたがわからなくなり探し回る事が良くある。)、我が家の避難場所(緊急の時に集まる場所並びに連絡先が明記してある。)、緊急時の持ち出すものなどが一枚のボードで管理できるシステムである。その一部にマジックテープ(登録商標登録済み)を使用しても良いだろう。

この国は地震大国である。その上に、老人大国である。中越や能登の地震においても、避難生活においても一番しわ寄せの来るのは年寄り達である。スペースに余裕が在れば一輪挿しの陶器を組み込むこともできるだろう。布で出来たものは現存しているが白板としての機能や、絵画やカレンダーまでは管理できない。【このボードにある物質をコーテングすれば、空気清浄機能のある白板、黒板が出来る。学校などでシックハウスの問題がおきたときにその黒板を問題の教室においておくだけでよいことになる。学校のものはもう少し大きなもので移動式か吊り下げタイプの黒板にしなければならないが、家庭用はこのサイズでよかろう。都合の良いことにこの中には既に磁石が組み込まれているので作るのにそれ程技術を必要としていないことになる。磁石がシックハウス症候群の原因物質を吸着するが、その全部ではない。その表面で光触媒することで解決が付くような構造になる(金属触媒の利用法も参照されたい。)。

予想するに、黒なりグリーンの塗剤の中に混ぜ込んだものを板の表面に吹きつけただけでも良いのかもしれない。チョークとの摩擦ではげさえしなければ良い。本当は学校を作るときからそのような黒板を設置しておくべきなのだが、そのような配慮はなされていない(この国では問題がおきなければ決断できない所に課題がありそうである。この問題だけではないのである。起こったとしてもしばらく放置されてしまうという現象が目に付く。)。

そうして置きさえすれば、インフルエンザの何割かは防げる構造に成り、学級閉鎖ということが少なくなるはずである。はずであるとは理論的にはその様になるだろうけれど、実際のデーターや試験をしてないということである。危機管理の思想がいきわたっていないのだろう。平和ボケと指摘されても仕方がない。この試作品は本格的に作っていない。お中元にいただいた素麺の化粧箱の蓋にどこに何を配置するかというデザインを紙切れに書いて貼り付けただけである。ここでもまた、手抜きをしてしまっていることになる。】


井の中蛙大海を知らず

2009-03-21 12:50:26 | 発想法

 井の中の蛙大海を知らず、されど、井の深さを知る。大海の蛙井の狭さ(深さ、専門という意味)を知らず、されど、途方もない広がりを知る。

 前半はことわざそのものである。後半は私が自分勝手に付け加えている。二律背反的なことになるけれど上手に華昇しなければならないだろう。何をいいのかといえば、「ひところ逆Tの字型の人間が必要だ。」とビジネス専門誌で企画されたことがある。かなり前のことである。「一つの専門知識のほかに広がりのある知識が必要だ。」と言いたいのだ。本当は専門の周辺はもう少し高さが必要だろう。凸型人間の方が理想的である。

一人でこの作業するのは容易なことではない。それでも長い間、一人でこの作業をして来た。「一人ブレーンストーミングとか、玉を拾う屑篭とその手法」のことである。勘の良い人はすでに感じ取っていただいているはずである。この手法はある種の専門的なことと、その周りの広がりが自然な形で出来上がってくることになるけれど時間がかかってしまうということは否定できない。(継続は力なり、参照)

言葉を変えれば、雑学的な方法(この部分が、大海の蛙の広がりを知るにかかわる。)になるだろうが、ちょっと、雰囲気が違ってくる。単なる通り一片の雑学よりも深みを持ったものになる。

そんなこともあるのだろう。いろいろな組織ではプロジェクトやペアのシステムを組んで事に当たっている。私たちの研究会でも、発明やアイデアの研究会においても個人がバラバラに取り組む時代はとっくに終わっているのだが、・・・・。

自分がその課題とどのようにかかわればよいのかということは誰も教えてはくれない。さまざまな体験を通して体得するしかないのだろう。

歴史上でも、ヨーロッパの業績は優秀な個人とその活動をバックアップしてきた多くの人々の成果である。アメリカの業績は専門家たちをシステム化したことによるものだろう。ロスアラモス(この部分に関して評価の分かれるところであるけれど、・・・・。)やアポロ計画がその際たるものだったのかもしれない。

さて、日本においては、会社、研究所、大学などで少数のグループによるところが大きかったのではないかと思われる。かなり前に記載している不思議な会社【名南製作所】や相互学習の可能性【ラバウル実験学校をもっと高度化したもの】様なシステムになっていたのだろう。

最近、各大学が産学官の取り組みをしている。そして、いくつかの成果は報告されてくるようにはなった。このような時代に要求されることは、おのおののグループ間の調整役としてのコーディネーターと言われている人たちの役割である。

注 華昇とは科学用語の昇華の字を入れ替えて使用している私の造語です。

  哲学のアウフヘーベン、揚棄の意味である。