現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

井の中蛙大海を知らず

2009-03-21 12:50:26 | 発想法

 井の中の蛙大海を知らず、されど、井の深さを知る。大海の蛙井の狭さ(深さ、専門という意味)を知らず、されど、途方もない広がりを知る。

 前半はことわざそのものである。後半は私が自分勝手に付け加えている。二律背反的なことになるけれど上手に華昇しなければならないだろう。何をいいのかといえば、「ひところ逆Tの字型の人間が必要だ。」とビジネス専門誌で企画されたことがある。かなり前のことである。「一つの専門知識のほかに広がりのある知識が必要だ。」と言いたいのだ。本当は専門の周辺はもう少し高さが必要だろう。凸型人間の方が理想的である。

一人でこの作業するのは容易なことではない。それでも長い間、一人でこの作業をして来た。「一人ブレーンストーミングとか、玉を拾う屑篭とその手法」のことである。勘の良い人はすでに感じ取っていただいているはずである。この手法はある種の専門的なことと、その周りの広がりが自然な形で出来上がってくることになるけれど時間がかかってしまうということは否定できない。(継続は力なり、参照)

言葉を変えれば、雑学的な方法(この部分が、大海の蛙の広がりを知るにかかわる。)になるだろうが、ちょっと、雰囲気が違ってくる。単なる通り一片の雑学よりも深みを持ったものになる。

そんなこともあるのだろう。いろいろな組織ではプロジェクトやペアのシステムを組んで事に当たっている。私たちの研究会でも、発明やアイデアの研究会においても個人がバラバラに取り組む時代はとっくに終わっているのだが、・・・・。

自分がその課題とどのようにかかわればよいのかということは誰も教えてはくれない。さまざまな体験を通して体得するしかないのだろう。

歴史上でも、ヨーロッパの業績は優秀な個人とその活動をバックアップしてきた多くの人々の成果である。アメリカの業績は専門家たちをシステム化したことによるものだろう。ロスアラモス(この部分に関して評価の分かれるところであるけれど、・・・・。)やアポロ計画がその際たるものだったのかもしれない。

さて、日本においては、会社、研究所、大学などで少数のグループによるところが大きかったのではないかと思われる。かなり前に記載している不思議な会社【名南製作所】や相互学習の可能性【ラバウル実験学校をもっと高度化したもの】様なシステムになっていたのだろう。

最近、各大学が産学官の取り組みをしている。そして、いくつかの成果は報告されてくるようにはなった。このような時代に要求されることは、おのおののグループ間の調整役としてのコーディネーターと言われている人たちの役割である。

注 華昇とは科学用語の昇華の字を入れ替えて使用している私の造語です。

  哲学のアウフヘーベン、揚棄の意味である。


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