知らないことと、人に言われたことの裏を取ってみるという行為はインターネットで検索できる時代になった。実は振り込め詐欺の被害者に欠落しているのはこのことである。情報の裏を取るという方法さえ身につけておけば被害にあわなくて済むのである。
簡単な方法に家族間で共通認識できる情報(忍者が良くしている山といえば川と答えるようなことや家族で無ければ到底分からない情報をぶつけてみること。)をかませておけば一発で解決がつく。どんなに上手に演じきってもその情報が解らなければ怪しいと判断できる。
刑事物のドラマの中でその事件に関われるか、関われないのかを確認するアリバイということである。夫婦においてすら話をしたりしなければ今何を考えているかなんていうことはわからないではないか。
インターネットでは、時々「一致する情報はございません。」と表示されるがかまったことはない。後は、誰がその情報を持っているのかということさえわかっていれば、そんなにだまされることもないが、表に出てこない情報はどうしようもない。
企業などの情報には企業秘密と言うバリアーがある。それはそれでよい。時間をかけて自分で追跡していけばよかろう。最近では己の馬鹿さ加減を恥じることもなくなった。産学官の共同研究にも参加している(信州大学繊維学部浅間テクノポリス【エレック】、メーカーを通じて大学医学部に企画書二枚(真珠、ATP)提出してあるが関心を持っていただけるかは疑問である。)。大学の教授とのやり取りでさえ臆することはなくなった。
少々馬鹿げたことをいっても体外は生活の中で経験済みになっていることか、書籍か、新聞、ネット、特許電子図書館等で検索してあるということである。
そして、出所が確実に違うと判断できる三人以上の情報で補完されたようにしたものしかしゃべっていない。何より生活の中で課題としてきた確かな学びの方法である。そのいくつかを「ついで学」と命名している。家族の病気や、仕事のサービスの「ついでに学ぶという方法」をとってきた。課題やテーマが先に目の前にあるということである。
ちょっとかけ離れてはいるが、サリバン先生の手法と似ているところがあると思っている。極端に難しいテクニカルターム(専門用語)をそれほど必要としない生活者の学問である。何も飾る必要のない実学の精神である。
知らないことは知らないと堂々と言えるということになる。「分からないので教えてください。」ということである。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」の格言を日々実行している。中にはそれ相応の対価を払ったり、時間をかけたり、努力しなければ手に入れることのできないものもある。
【参考文献、面白中学の三年間とその後、】
【アリババの窮地を救う召使 機転と知恵と複製の術】【歌創造学より】
注 サリバン先生の手法 言葉や概念が先に来るということはない。感じたところから入っていこうとする方法であるが、言葉(概念)のあることを知ってからはこの順序が逆であってもかまわないことになる。サリバン先生はヘレン・ケラーの家庭教師で日本では(奇跡の人)というとヘレン・ケラーということになっているが、外国ではサリバン先生のことを指している。
注 グリーニングオブアメリカ本の写真はこの記事の中に転写してあるが、操作が適切であるか不明である。犬の写真の中に重複して掲載しています。
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