歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

「鎌倉殿の13人」・北条義時の「復権」はありえるか。

2022-01-03 | 鎌倉殿の13人
北条義時、「鎌倉殿の13人」の主人公。鎌倉幕府の二代目執権で「北条執権」制を主導した人です。北条政子は姉です。源頼朝の「側近筆頭」で、どうやら「江間」という姓だったようです。承久の乱では「後鳥羽上皇」と戦い勝利します。そして上皇を3人も島流しにしています。上皇が3人もいたのです。

「やってることは織田信長より凄い」のですが、「知名度は低く」、人気もありません。江戸期から不人気でした。「源氏の将軍を断絶させた悪いやつ」(徳川は最初は藤原氏だったが、最終的には源氏)、源氏将軍を圧迫したということで評判が悪かった。当然「物語」も作られないし、登場しても悪役です。明治期以後も「天皇家を圧迫した」ということで「悪人扱い」です。後醍醐天皇を圧迫した足利尊氏は「極悪人扱い」でしたが、「極悪人」だと知名度だけは高くなります。北条義時は「悪人」だったので、知名度も上がりません。一方織田信長はあまり朝廷を相手にせず(朝廷は弱かったので)、京都御所の修理などをしたので、戦前は尊王の人として評判は悪くありませんでした。徳川家康の協力者だったから、江戸時代も悪くなかったと思います。

皇国史観から見て「極悪人」の足利尊氏や「悪人」の北条義時は物語の主人公になりません。すると国民は彼らの物語に接する機会がなくなります。この状態は皇国史観が否定された「今も続いて」います。

「物語の集積」がないので読者に予備知識がなく、さらに義時に至っては知名度も低いから、皇国史観の悪弊がなくなった(正確には薄れた)戦後になっても「小説」になりにくいわけです。司馬遼太郎さんも小説化していません。「義経」には登場しますが、わきです。そもそも源頼朝は「悪人側」です。

ただ永井路子さんが姉の北条政子を熱心に小説化したので、その小説には登場します。大河では永井路子さん原作の「草燃える」(北条政子主人公)に登場します。北条義時が「主人公格」で登場したのは「草燃える」だけです。それが43年も前のこと。

三谷幸喜さんは「新選組」や「真田信繁」と言った知名度も高く、人気がある素材を使って大河を二作書いてきました。今度は「成功者だけど不人気、知名度が低い」人物が主人公です。そして「源頼朝」「源義経」といった知名度の高い人は、物語の前半で亡くなり、「北条政子」だけが残ります。

私は北条義時が好きです。「草燃える」の義時は、最後は本当に悪いやつになりますが、「悪には悪の魅力がある」のです。悪漢小説というジャンルすらあるほどです。

でも「鎌倉殿の13人」では悪に徹するということはないようです。さて北条義時の復権はあるのでしょうか。興味を持って見ていきたいと思っています。

「鎌倉殿の13人」・北条義時は過去に一度だけ主人公並みになっている。

2022-01-03 | 鎌倉殿の13人
1979年(43年前)の大河「草燃える」の主人公は、源頼朝と北条政子です。頼朝は途中で亡くなるので、後半は政子が主人公なのですが、この政子、さほど政治的ではありません。色々な歴史的事件(頼家殺害、実朝暗殺)については「政子は知らなかった」とされます。となると政子の名で幕府を動かしていた北条義時が「実質上の主人公」になっていきます。松平健さんが演じました。

1979年、私はまだ子供で、見てはいましたし、非常に強い関心を持ったのも覚えているのですが、内容をはっきりと理解したわけではなかったと思います。その後総集編がDVDになって、「なるほどこういう作品だったのか」と気が付きました。一言でいうと、単純ですが「素晴らしい作品」です。大河の中でも筆頭格の作品だと個人的には思います。

言葉遣いがとても平易です。現代語に近い。当時はそれで多少批判されたようです。でも「分かりやすい」わけです。さらに現代語を話すことによって、感情が豊かに表現できているとも感じます。最後の最後に北条政子はこう思います。「一生懸命やってきて、幕府も安定したけれど、気が付くと、夫もいない、子供も死んだ。孫もみんな死んだ。私は一人だ」(正確ではありません)。そして政子の「むなしげな顔のアップ」で「完」となります。平曲が流れています。「諸行無常」を平家だけでなく、頂点を極めた北条政子にも当てはめているのです。

ただなんといっても絶妙なのは「北条義時の変化」です。登場時はまさに「好青年の典型」なのです。虫も殺せないような男です。優しいし、賢くもある。松坂慶子さん演じる「初恋の人」をひたすら慕う純粋な男でもあります。それが最後は権力の権化となります。そしてこういう認識を語ります。

「おれは今になって、俺の兄貴が考えていたことが分かってきた。源氏の旗揚げ、あれは源氏の旗揚げではなかった。俺たち坂東武者の旗揚げだったのだ。あくまで源氏は借り物。となれば、俺たち坂東の武者の中で、一番強い者が権力を握る。それは当然のことなのだ。俺はよくやっている。十郎、誉めてくれないか」

この「十郎」というのは源氏に恨みをもつ伊東家の侍で、第四の主人公と言える人物です。若い頃は荒んでいて、平氏について敗れ、とうとう強盗でも殺人でも強姦でもなんでもありの悪となります。が、北条義時の変化とクロスするように更生していき、最後は平曲を語る琵琶法師となります。

話を戻すと、子供の私が一番衝撃を受けたのが「源氏の旗揚げではない」というセリフでした。「鎌倉幕府を作ったのは源氏でも、源頼朝でもなく、坂東の武者たちである」、こう考えると、源氏将軍がすぐに死に絶えても、鎌倉幕府が存続した理由が、合理的に説明できるような気がしました。「歴史の解釈」というものに生まれて初めて興味をもったわけです。

現在、歴史家の中には「歴史は解釈不要であり、偶然の集積である」という人もいます。でもそれじゃあ「つまらないし、学ぶ気にもなれないな」というのが素人である私の感想です。「歴史の解釈」は面白いし、必要だと私は思います。同時に「私の解釈は絶対的に正しい」と思わないことも、また必要だと思います。