歴史とドラマをめぐる冒険

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水戸学と「皇国史観」と「尊王攘夷」・尾藤正英「日本の国家主義」

2021-04-03 | 水戸学
数日、尾藤正英氏「日本の国家主義、国体思想の形成」という本を読んでいました。大変面白いのですが、なにしろ専門書です。しかも水戸学、国学、儒学、古学と、広範囲の内容を扱っています。「水戸学とは何かを簡単に説明している本」ではありません。内容は水戸学とか「皇国史観」とか「尊王攘夷思想」とかを「相対化=冷静に分析する」本です。批判的に分析していますが、単純な批判ではありません。

この手の本は疲れるので、そろそろ読むのをやめます。正直ちゃんとは理解していないので「身に着く」ことはありませんでしたが、「おもしろいな」と思った視点は沢山あります。

例えば原理的には「尊王」と「攘夷」は結びつかないようです。儒学が重んじるは「王道政治」です。武力による制圧は「覇道政治」として退けられます。「夷」がいても「王道の政治、つまり徳化」によって順応させるのが儒学の理想で、だから儒学においては「尊王攘夷」という言葉は原理的には存在しません。この文字は国学の影響を受けた「日本型儒学」に特徴的な言葉のようです。

なるほどなと思いました。さらに儒学は「尊王」も実はそんなに強く勧めていません。易姓革命の思想があるからです。「徳のない王、王朝は倒れて当然」という見方です。

水戸学は儒学と国学などが混交したもので、「尊王」は国学から出た考えです。具体的人物としては本居宣長の思想です。易姓革命があると考えれば、絶対的な尊王は提唱されません。「間違っていても王に忠を尽くすのが人の道」とはならないのです。

ところが日本では易姓革命の思想がありません。この本では何人かの思想家が「易姓革命は日本でもあった」という風に考えていたらしいことが書かれています。例えば新井白石です。天皇は南朝で途絶え、そこから後は武朝ができた。つまり徳川王朝です。実際白石は徳川家宣に「日本国王」を「対外的に」名乗らせます。しかしこれは反対にあって、結局はもとの「大君」(たいくん)という呼び名に戻ったようです。水戸光圀も皇統は南朝で一度途絶えたという意識をもっていたのではないか、という言及もあります。一方で水戸光圀は「我らは天皇の家臣」とも言っていたようです。時代背景を考えると、これは徳川綱吉への痛烈な批判なのではないかとも考えられます。とにかく日本には公然たる易姓革命はなかったため、儒学・国学はそれを根拠に日本的な発展を遂げました。

水戸学から国体思想が生まれ、それが昭和期に「皇国史観」を生み出します。それは過激化し穏健な「天皇に忠を尽くす」という考えから「天皇のために命を捨てるのは当然」となってしまった。だから戦後は否定されました。今でも公然と「私は皇国史観の立場だ」と言う日本史学者は「ほぼ」いません。「ほぼ」です。

皇国史観のもとになった「国体思想」というのは実にわかりにくいものです。「人によって使い方が違う」からです。日本を「体」に見立て、体に調和があるように、天皇と天皇に忠を尽くす民によって、調和がはかられる。そういってもいいし、「国体の護持」などと言う場合は「天皇制もしくは国柄」であるようです。なんとなくは分かっているのですが、厳密に定義することは実に難しいのです。

尾藤さんの考えでは「尊王」という言葉で国民の統合を図るとともに、外敵を想定した「攘夷思想」で外交面からの国内の統合をはかった。尾藤さんはそのことに肯定的評価を与えているのではなく、否定的にそれをとらえている(と思います)。

ということで「分かった点も分からなかったことある」程度で、「日本の国家主義」は読了とします。非常に参考にはなりました。図書館から借りた本ですが定価は7400円!。汚さないうちに返して、もうちょっと「お気楽な本」を読もうと思います。


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