歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

1972年の吉田拓郎・イメージの詩

2022-12-21 | 日記
拓郎さんがアーテイストとしては引退なさるそうです。76歳。そんなに年が自分と離れているとは思ってもいませんでした。私が小学生の頃、拓郎ちゃんはまるで「ガキ大将」みたいだったからです。5つぐらい上かなと思っていた。よく考えると、10歳の5つ上では15歳です。

1,イメージの詩

これには多大な影響を受けたと思います。今私は趣味で歴史の勉強をしていて、尊大にも「どんな偉い学者の説だっておいそれとは信じない」という不遜な態度をとっています。私の中では「方法的懐疑」と呼んでいます。これを教えてくれたのが、小学校の時に聞いた「イメージの詩」

☆これこそはと信じれるものが、この世にあるだろうか。信じるものがあったとしても、信じないそぶり。

大学時代、統一教会の勧誘を断ったのも、民主青年同盟(共産党)の誘惑(これは貧乏な僕には実は魅力でした)を断ったのも、「信じないそぶり」のおかげです。まあ統一教会(原理研究会)は、高校の時から駅でたびたび勧誘されていて、完全に正体を知ってましたから、別に断るのは難しくなかった。でも民青の掲げる「平等」は魅力的だった。しかし「闘争がだめ」なんです。とにかく「信じないそぶり」が大事と思っていたおかげで「はまり」ませんでした。運動をしていた人を貶める気持ちはありません。静かに本を読んでいたい私には、とても戦う力がなかったということです。

歴史学者の意見も当然「信じないそぶり」です。魅力的な説もたまにあるのですが(笑)

2,おきざりにした悲しみは

小学校4年だったかな。「生きていくのは、ああみっともないさ。あいつが死んだ時も、オイラは飲んだくれてた」。これをみんなで歌って下校してました。友達も結構好きみたいでした。

3,初恋

歌の題ではありません。小学校高学年から中学まで「なんとなくいつもいて、楽しく話す女の子の友達」がいました。同じ部活でもありました。でも中学ではクラスは同じにならなかった。それでも一緒に拓郎を聞いて、感想を述べあったりしてました。でも中2になると、僕は陽水に走り、彼女は拓郎派で、なんとなく拓郎の話はしなくなりました。
私はブサイクですが、彼女は小学生の頃から「完成された美人」でした。彼女といるのは楽しかったけれど、なんというか眩しかった。年を経るにつれてどんどん女性として美しくなるので、眩し過ぎたのだと思います。
中二に最後だったか。彼女はこう言いました。「ねえ、拓郎が嫌いになったの。本当に嫌いになったの。嫌いなの」。それは明らかに拓郎の話ではなく、私はドキリとしました。そして、なんとなく恐ろしくなりました。彼女と「親友」であることは心地良かったし、自慢でもありました。そういう関係が別のものに変わってしまうのが、恐ろしかったのだと思います。

夏目漱石の「それから」の男女関係を「恐れる男と恐れない女」と表現することがあります。大学になってそれを聞いた時、私の心には真っ先に彼女の顔が浮かびました。
私は「いい年」ですが、「いい年」なるとかえってこういう記憶が鮮明に懐かしく思い出されます。

話は脱線しましたが、吉田拓郎。小学校の時、私のアイドルでした。ご苦労さまでした。拓郎ちゃん。


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