Chage and Askaが好きだ。
一番最初、好きになったのは、1994年のAsian Tourのライブ映像を見たとき。
お母さんが好きで、ビデオ(しかもVHSじゃない、bataだし)を持っていた。
偶然見た。
SAY YESとYAH YAH YAHしか知らなかった。
でも、そこの映像が本当に好きで、ビデオを何回も何回も巻き戻してみた、そしてうたった。
そのうち、巻き戻しだ早送りがめんどくさくなり、最初から最後まで、見るようになった。
そこで、もう完全にはまった。日本人じゃない観客をStangingさせちゃって、うっとりとさせているのは、
本当に興奮した。
1994年。私は13歳。中学2年生。本当にはまった。
歌詞の意味も少しは意味が分かるようになる頃。比喩や揶揄が多いASKAの言葉もなんとなくわかるようになった。
途中で入っている英語の意味も、辞書(そんときゃインターネットなかったからね)引いて、理解しようと
努力した。
Guys
On your mark
男と女
Red hill
ロマンシングヤード
Mr.Asia
Pride
太陽と埃の中で
BIG TREE
…もう数えきれない。
いっぱい、いっぱい、聞いた。本当に満足するまで、何回も何回も聞いた覚えた。
でもそのうち、なんとなく、カラオケできればうれしいなと思った。
Chage&Aska。2人組。でも私は1人。C&Aの曲は、1人2役は無理なものが多い。
その上、お互い完全に覚えていないとまず満足はできない。
私の年齢で、完全に歌える人と出会えるなんて、まず無理なんだろうだろうなと、高校の時には諦めていた。
でも、本当に「シャウトする」「シャウトできたら気持ちがいいだろうな」と思っていた。
でも高校に入り、大学に入り、その気持ちは忘れてった。
時は過ぎ、大学4年、22歳。
就職先が決まり、卒業が近づいていた。2年強続けていたバイトも、最終日が近付いてきた。
そんとき、ひょんなことから、飲み会に誘われた。
私のバイトは塾の講師。社会を主に担当していた。福島中通りと言えば!!という塾。
教科が違うと、休み時間が合わない限り、話もしないし、顔も合わせることはない。
もっぱら、担当教科が同じでも難しい(今の主人は同じ教科。だから呑みに連れ出さないと
なかなか話はできなかった)。
私を誘ってくれたのは、メインが国語、時たまヘルプで社会を担当している先輩だった。
年は4つ上。教員になるために留年するのが当たり前の教育学部、中学校の先生を目指している人だった。
本当に面白いんだよこの人。羽生善治みたいな整った顔なのに、本当口から出ることが毒ばっか 笑
あんたに洗脳されたら間違いなく厨二病だよという爆弾だった。
そんなに話したことないのに、「呑み行こう」と言われて、3人で飲みにいった。
しこたま飲んだ。本当に楽しかった。酒飲んで笑いすぎると過呼吸寸前までいくと初めて知った。
そのあと、「じゃあストレス解消に」とカラオケ行った。
一応初めてカラオケする人だから、「笑いが取れる曲」「知っている曲」にしようと思っていたんだけど。
その人が「正直に、好きなアーチストを」と言われたので、いくつか挙げた。
そうしたら。
「俺もChage&Aska好きだ」という話になり。
「ChageもAskaもどっちもいける」と発言したため。
ごめん、もう我慢できない。
「んじゃあすみません!!私の長年の思いをかなえてください!!」といいました。
ええ、告白に近かったのではないかと思います。
モーニングムーン、恋人はワイン色、天気予報の恋人、なぜに君は帰らない、
Love Song、BIG Tree…
…chageさんパートを心まで歌いました。
本当に気持ちよかった。気持ち良すぎて意識が遠のいたのを覚えている。
でもその中で、歌い終えた後、本当にうれしくて、死んでもいいと思った曲が、
唯一、Askaさんパートを歌ったのが。
「no no darlin'」でございます。
1番、2番を終わった後の間奏のところをね、掛け合いで歌えたのは本当に、
後にも先にも、本当に一番幸せだった。カラオケで1,2のどっちかだ。
(ちなみに迷うのは、後輩と歌った、初めて歌詞を覚えて臨んだTo tha all dreamers)
すっごい気持ちいい気持ちで、家に帰った22歳の冬。雪がテンコモリ降ってた。
やっぱりねえ、いいよ、Chage&Aska。
本当に、良かった。思い出した。
やっぱり、素敵なデュオだって。
ちょっとね、思い出したので、書きました。
久しぶりに、思い出しました。
鹿目T元気してるのかなー
あーカラオケ行きたい。
青春のお話でした。
一番最初、好きになったのは、1994年のAsian Tourのライブ映像を見たとき。
お母さんが好きで、ビデオ(しかもVHSじゃない、bataだし)を持っていた。
偶然見た。
SAY YESとYAH YAH YAHしか知らなかった。
でも、そこの映像が本当に好きで、ビデオを何回も何回も巻き戻してみた、そしてうたった。
そのうち、巻き戻しだ早送りがめんどくさくなり、最初から最後まで、見るようになった。
そこで、もう完全にはまった。日本人じゃない観客をStangingさせちゃって、うっとりとさせているのは、
本当に興奮した。
1994年。私は13歳。中学2年生。本当にはまった。
歌詞の意味も少しは意味が分かるようになる頃。比喩や揶揄が多いASKAの言葉もなんとなくわかるようになった。
途中で入っている英語の意味も、辞書(そんときゃインターネットなかったからね)引いて、理解しようと
努力した。
Guys
On your mark
男と女
Red hill
ロマンシングヤード
Mr.Asia
Pride
太陽と埃の中で
BIG TREE
…もう数えきれない。
いっぱい、いっぱい、聞いた。本当に満足するまで、何回も何回も聞いた覚えた。
でもそのうち、なんとなく、カラオケできればうれしいなと思った。
Chage&Aska。2人組。でも私は1人。C&Aの曲は、1人2役は無理なものが多い。
その上、お互い完全に覚えていないとまず満足はできない。
私の年齢で、完全に歌える人と出会えるなんて、まず無理なんだろうだろうなと、高校の時には諦めていた。
でも、本当に「シャウトする」「シャウトできたら気持ちがいいだろうな」と思っていた。
でも高校に入り、大学に入り、その気持ちは忘れてった。
時は過ぎ、大学4年、22歳。
就職先が決まり、卒業が近づいていた。2年強続けていたバイトも、最終日が近付いてきた。
そんとき、ひょんなことから、飲み会に誘われた。
私のバイトは塾の講師。社会を主に担当していた。福島中通りと言えば!!という塾。
教科が違うと、休み時間が合わない限り、話もしないし、顔も合わせることはない。
もっぱら、担当教科が同じでも難しい(今の主人は同じ教科。だから呑みに連れ出さないと
なかなか話はできなかった)。
私を誘ってくれたのは、メインが国語、時たまヘルプで社会を担当している先輩だった。
年は4つ上。教員になるために留年するのが当たり前の教育学部、中学校の先生を目指している人だった。
本当に面白いんだよこの人。羽生善治みたいな整った顔なのに、本当口から出ることが毒ばっか 笑
あんたに洗脳されたら間違いなく厨二病だよという爆弾だった。
そんなに話したことないのに、「呑み行こう」と言われて、3人で飲みにいった。
しこたま飲んだ。本当に楽しかった。酒飲んで笑いすぎると過呼吸寸前までいくと初めて知った。
そのあと、「じゃあストレス解消に」とカラオケ行った。
一応初めてカラオケする人だから、「笑いが取れる曲」「知っている曲」にしようと思っていたんだけど。
その人が「正直に、好きなアーチストを」と言われたので、いくつか挙げた。
そうしたら。
「俺もChage&Aska好きだ」という話になり。
「ChageもAskaもどっちもいける」と発言したため。
ごめん、もう我慢できない。
「んじゃあすみません!!私の長年の思いをかなえてください!!」といいました。
ええ、告白に近かったのではないかと思います。
モーニングムーン、恋人はワイン色、天気予報の恋人、なぜに君は帰らない、
Love Song、BIG Tree…
…chageさんパートを心まで歌いました。
本当に気持ちよかった。気持ち良すぎて意識が遠のいたのを覚えている。
でもその中で、歌い終えた後、本当にうれしくて、死んでもいいと思った曲が、
唯一、Askaさんパートを歌ったのが。
「no no darlin'」でございます。
1番、2番を終わった後の間奏のところをね、掛け合いで歌えたのは本当に、
後にも先にも、本当に一番幸せだった。カラオケで1,2のどっちかだ。
(ちなみに迷うのは、後輩と歌った、初めて歌詞を覚えて臨んだTo tha all dreamers)
すっごい気持ちいい気持ちで、家に帰った22歳の冬。雪がテンコモリ降ってた。
やっぱりねえ、いいよ、Chage&Aska。
本当に、良かった。思い出した。
やっぱり、素敵なデュオだって。
ちょっとね、思い出したので、書きました。
久しぶりに、思い出しました。
鹿目T元気してるのかなー
あーカラオケ行きたい。
青春のお話でした。