昭二の瞼の痙攣は、相変わらず眼瞼がパチクリと続いていた。なんとも奇怪な表情である。
豪胆な健太も、昭ちゃんの一生を左右する重大な場面で、彼の眼瞼が連続してピクピクする異様な様子を見ているうちに、彼が気の毒になり、このまま痙攣が続いたらどうしようと流石に心配になってしまった。
大助は、彼等のそんな騒ぎにも無感心に刺身定食を旨そうに食べていたが、珠子が余り心配するので横目で顔をチラット覗いたら幾分青ざめていたので、姉を連れ出す約束は果たしたが、このまま知らぬ振りをしているのもどうかと思い、昭ちゃんに対し
「僕、前に本で読んだことがあるが、逆立ちして血流を良くすれば治ると書いてあったが・・」
「ハタシテ ドウカナア~」
と、確信なんて全くないが、咄嗟の思いつきで喋ったところ、健ちゃんも
「そうかも知れんなぁ~」
と自信なさそうに呟いて同調したので、大助の助言だけに珠子も怪訝な顔をしていたが、昭ちゃんは、この際、何でもしてやろうと考え、必死の形相で、いきなり立ち上がると上着を脱ぎネクタイをはずし靴を脱ぐと、壁に向かい逆立ちをはじめた。
昭二は、運動神経が抜群に優れているだけに、両足を揃え背骨がまっすぐピーンと反り返り、見事な釣り合いを保っていた。 しかも、息が長く乱れず、まるで逆さに生まれた人間の様にその姿勢は微動だにしなかった。
奇妙な光景を見た食堂の中の客達が、彼の見事な逆立ちを余興と勘違いしたのか拍手をまじえて微笑を浮かべ、昭ちゃんの逆立ちを眺めていたが、健ちゃんはその素晴らしい筋肉の躍動を見て安心したのか、調子に乗り
「昭ちゃん、うまいぞ!」 「そのままテーブルの廻りを歩け!」「治るかも知れんぞ」
と気合を入れると、彼を見ていたピアノの演奏者も調子に乗って軽快なマーチを演奏し、昭ちゃんは顔面を紅潮させながら演奏のリズムに合わせて、自分達のテーブルの周囲を一周して席に戻り、荒い息をつきながら椅子に腰を降ろした。
昭ちゃんの痙攣は、一向に治まる気配はなかったが、彼の逆立ちが芸人のアトラクションと思ったのか、外人の御婦人がウエイターに千円紙幣を3枚チップとして渡し、昭ちゃんに届けたほどだった。
昭二はウエイターが持ってきた紙幣を見て「バカニスンナ!」と怒り、床に投げ捨てると、健ちゃんが
「オイッ! そんなに短気をおこすな。落ち着け」
と言って紙幣を拾い上げると、彼は
「健ちゃん!お前が約束通りサインを守らないからだ」「お前のコーチも当てにならないんだなぁ~」
とボヤクと、健ちゃんは
「まだ、折角の食事が終わらないうちに、早くサインをだすからだよ」
と苦し紛れの返事をしていたが、これを聞いた珠子が呑気に構えていた大助に
「大ちゃん、なんか変な空気ネ」「昭ちゃんの、あのウインクのサインはなんなの?」
「一体、本当はどうゆうことだったの?」
と、少し睨めつける様に話したので、大助は
「知らん、シラン!、僕に聞いても判らんよ」
と、努めて平静を装って答えたが、内心ではとんだハプニングがおこって困ったことになってしまったと思い、二人の掛け合い漫才みたいな出来事にチョッピリ不安がよぎり、後で真相がばれて、そのとばっちりで、珠子に叱られなければよいがと心が動揺した。
珠子は、大助の今日の案内に不信感を抱き、少し険しい顔つきで、健ちゃんに対し
「健ちゃん。わたし、折角の御招待ですが、一寸、あなた方の態度はおかしいゎ」
「昭二さんの、あのウインクの意味はなんですの?」
と聞いたので、健ちゃんは平常心を失い
「いや~ あれは、僕と大ちゃんに消えてなくなれとゆう、事前に打ち合わせておいたサインですが・・」
と、バカ正直に裏話をしどろもどろに答え、更に
「あいつ、自殺しなければ良いが・・」
と付け足すと、彼女は
「あなた達、テーブルの下で盛んに足を動かして蹴りあっていたでしょう」
と追求するので、彼は
「そんなところまで判っていたのですか」
「僕と大助が、なかなか退席しないので、昭ちゃんは業を煮やして、とうとう筋肉痙攣を起こしてしまったんですよ」
と、大助にしてみれば案外たやすく白状してしまう健ちゃんに呆れてしまったが、彼女が
「やっぱり、あなた達には、友情が不足しているみたいだゎ」
と告げて溜め息をもらした。 昭ちゃんは
「済みません、気分を悪くしないで下さい」
と頭を何度も下げて謝っていた。
珠子は、おぼろげながらも、彼らの心意を理解して
「私達、時々、お店で顔を合わせることですので、これからも仲良くしてゆきましょうョ」
と言ってニコット笑った。
これを機に、その場が再び和やかな雰囲気になったので、二人よりも大助はホット安心して
「健ちゃん、帰ろう~」と言って促すと、健ちゃんも、今が潮時と思い素直に「そうだなぁ~」と力なく返事をして、大助と二人して食堂を出た。
危うく昭ちゃんに焼き鳥にされるのを免れた、入り口の鸚鵡が羽を広げて元気良く「コンニチハ・・オハヨウ・・」と鳴いていた。
ホテルの食堂を出ると、健ちゃんが
「いやぁ~、また、お前に借りを作ってしまったなぁ~」 「それにしても、珠子さんは、頭が良すぎるわ」
「お前も、毎日、あの調子でやられては大変だなぁ~」
と、大助に同情しながら、彼の行きつけの駅前の居酒屋風の食堂の前に差し掛かると、健ちゃんは
「大助!今度は俺が奢るよ」「娘の奈緒と遠慮なく喋ればいいさ・・」
と言って、店の暖簾を威勢よく払いのけて入り、カウンターに二人してならんだ。
彼らの姿を見つけるやママさんが
「アラ~ッ いらっしゃい。健ちゃん、昼間から少しアルコールが入っているみたいだわネ」
と愛想よく迎えてくれたが、大助の額の絆創膏を見て
「アラ アラ いい男が台無しネ」
と話し始めたところに、大助と同級生の娘の奈緒が暖簾の隙間から顔を覗かせて、母親に
「大助君は体操の選手よ」「クラスの人気者で、わたしなんか近くにも寄せてもらえなのョ」
と、大袈裟に話すと、母親のママさんも
「フ~ン 奈緒ッ、お前と大助は赤ちゃんの時から、大助君の父親に一緒に抱かれて、まるで双子の様に育ったとゆうのに、中学生にもなると、そんなもんかねェ~」
と呆れたように言って二人の顔を見ていた。