日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

河のほとりで (8)

2024年10月09日 03時05分17秒 | Weblog

 理恵子は、上京してから早くも1ヶ月を過ぎ、美容学校の授業や下宿先の城家の生活にも慣れて来た。 
 或る晴れた日の夕方。 2階の窓から茜色に彩られた夕焼け空やビルの街並みを眺めていると、やはり母親の節子の言う通りに、自宅から通学できる新潟の学校に進むべきであったかと、ホームシックにかられて考えることがある。
 一緒に上京した奈津子や江梨子に電話すると、皆が着々と自分の考えていた道を確実に進んでいることを知るにつけ、彼女等のたくましさがすごく羨ましく思えた。
 それに反し、自分は一人ぼっちで、寂しさから思わず涙をこぼすこともあり、上京すれば高校時代の先輩で恋心を抱く織田君にも時々逢えると、勝手に思っていたことが甘い考えであったと悔やまれた。

 今日も学校から帰り、二階の自室で沈んだ気分でぼんやりと街並みを見ていたとき、孝子小母さんが、お茶とお菓子を持つて来て
 「理恵ちゃん。貴女、最近、食も細く、元気がないみたいだわネ」
と声を掛けてくれたので、彼女は元気のない声で「小母さん御心配掛けてすみません」と、返事をしたが、次に続く言葉を思いあぐねていたところ、孝子小母さんはベテラン看護師で、女手一人で、珠子や大助を育てている気丈なところから、彼女が恋人に満足に会えないこともあり、軽いホームシックにかかっていることを、日常の生活を通じて見抜いていた。
 孝子は、彼女が訪れる前に、現在の生活を導いてくれた尊敬する先輩の節子さんから、彼女の性格や生い立ち、それに恋人のことなどを一通り聞いており、彼女を引き受けた手前、我が子同様に明るく育ててあげたいと念願していたので、節子さんから聞いたことはおくびにも出さず、彼女に対し、今、自分は何を為すべきかを自分や節子さんの昔話を交えて話して聞かせた。
 孝子にしてみれば、彼女に日常生活における目標をきちんと立てて、精神的にも強い一人前の美容師になって欲しいと思う一念から、何時かはその機会を見つけて話しておこうと心がけていた。

 孝子は、そんな思いから彼女に対し、普断、病院での若い看護師達に教える様な柔和な語り口で、彼女の表情を見ながら語りかけたことは

 貴女の母親は、自分と同郷で高校2年先輩であり、高校卒業後、苦い思い出を振り切る覚悟で秋田を出て、単身上京して看護師になったのよ。
 丁度、貴女と同じ歳頃で、見ず知らずの人達との寮生活で、それは寂しくて何度も泣いたこともあったらしいわ。 然し、それは皆同じことで、それぞれに努力をしたものです。
 節子さんが高校卒業するころ、当時、節子さんの家に下宿をしていて、私達の通う高校の教師をしていた御主人の健太郎さんが、当時、節子さんに男の兄弟がいないないこともあり、彼女の父親に非常に可愛がられ、休みの日には田畑やリンゴの剪定など農作業を手伝ったりして、まるで実の親子の様に和気合いあいと日々を過ごしていて、教師と教え子の関係で農村特有の難しい問題を承知の上で、早く一緒になってくれればと、彼女の母親共々切ないほど父親はそれを願っていたのよ。
 ところが彼女が若いこともあり、健太郎さんに対して、起居を共にした生活の中で自然に芽生えた淡い恋心を胸に抱きながらもその思いを口に出せないうちに、健太郎さんは転勤になり、その後は離れ離れとなり卒業後、そんな心の傷を癒すこともあり、懐かしい故郷の景色を見るのも辛くて悲しく、彼女なりに意を決して上京して看護師になり、勉強と仕事に打ち込んでいるうちに10数年の日が過ぎてしまったのよ。
 勿論、その間に病院関係者との結婚話もあったが、彼女の健太郎さんに対する一途な思いや複雑な病院内部の人間関係から、それも纏まらずに日々を過ごしていたところ、たまたま帰郷した際、節子さんや私の高校の先輩であった貴女の母親の亡き秋子さんが、そんな事情を知っていた事から、健太郎さんが奥さんを亡くして一人で暮らしていたのを見かねて、熱心に仲を取り持ち、その結果、それこそ偶然にも縁が巡り来たとゆうのでしょうかね、ご主人と結ばれたのですよ。
 やはり若い時の赤い糸が切れることもなく結びあっていたのですネ。 
 全く人生なんて、よく言われる様に小説より奇で、何時何が起こるのか不思議と思いますわ。
 それなればこそ、絶えず自分を大切にするように心掛けねばならないと、主人を病で亡くした私も常々考えておりますのよ。
 それ以後のことは、貴女もお判りの通りです。
 今、貴女のご両親が願うことは、貴女が実母である亡き秋子さんの意思を継いで、亡母が経営していた美容院を立派に経営することですよ。
 それが貴女に与えられた最大の目標であり、また、貴女に負わされた責任と思いますわ。 
 私も節子さん同様にその日が訪れることを本当に楽しみしているんですよ。

と、簡潔に話して聞かせたが、理恵子も中学生のころから母親の秋子に連れられて一緒に養父である健太郎の家には何度も訪ねていたので、そのときの様々な出来事と想い重ねて、孝子小母さんの話も素直に耳に入り、自分を取り巻く周囲の人達が自分に期待していることが身にしみて良く理解でき「小母さん ありがとう」と返事をして、やっと笑みを浮かべた。

 孝子は、一通り話し終えると
 「理恵子ちゃん、街には街なりに良い人も多勢おり、部屋にばかり閉じ篭もっていないで、なるべく暇なときは外に出なさいよ」
と言うや、階下に向かって大きい声で
 「大助! 理恵子姉さんと、お使いに行って来てくれない」
と声をかけると、大助姉弟も二階の様子を気に掛けていたとみえ、大助は
 「ヨッシャ~、すぐ行くよ!」
と威勢よく返事したが、傍らから勤めている母親に代わり家事を手伝っている高校生の姉である珠子が
 「私が一緒に行ってくるわぁ~」
と言うや、大助は
 「駄目 ダメッ!、僕が先に言はれたのだよ。姉ちゃん、僕の仕事を横取りしないでくれよ」
と文句を言いあっていたが、そつのない大助は、さっさと母親からメモとお金を貰うと、理恵子さん!早く行こう。と催促して、二人で夕暮れの商店街に出かけて行った。

 大助にしてみれば、理恵子姉さんと二人で商店街を案内して歩くのはかねてからの夢で、楽しそうに理恵子の手を引きながら買い物でにぎあう人混みを縫う様にして歩き、最初に行き着けの肉屋に入った。
 理恵子さんが、牛肉を買い代金を払うと、街の野球部の先輩である肉屋の健ちゃんが
  「おい 大助!お使いなんて珍しいこともあるんだなぁ~」  「勉強はどうした。また、サボりか?」
  「丁度、揚げたばかりの特製のコロッケがあるから、サービスするから持って行けよ」
と、包みを出してくれたので、それを遠慮なく受け取ると、大助が 
  「健ちゃん 大事な商品の都合をつけて、まさか、これではないだろうナ」
と、右手の人差し指を折り曲げて差出しニヤット笑うと、健ちゃんは
  「オィオィ、変なな真似はするなよ! 一緒にいる初顔の綺麗なお姉さんへ敬意を表してのサービスだ。俺の給料から払うので余計な心配はするな!」
 「但し、数がないので、お前の分は入れてないからな」 
 「野球でエラーばかりしている罰として、俺はサービスしないことにしているんだ」
 「今度、あげるからナァ~、今日はコロッケを見て拝んでおけよ」
と返事をしながら、理恵子の方を見て軽く会釈をして笑っていた。 

 二人は店を出ると、大助は理恵子に悪戯っぽく右目でピクピクとウインクして
 「健ちゃんは、スタイルの美しい理恵姉さんを見て、気の毒にも瞬間的に脳をわずらってしまったんだよ」
 「僕の思った通りでアタリだよ」
と自慢しながら、大助特有のユーモアで、健ちゃんの仕草を冷やかしていたので、理恵子にもその光景が微笑ましく映り、なるほどなぁ~と、健ちゃんの明るさと、中学2年生に似合わない大助の如才ない友達付き合いに感心して思わずクスッと笑ってしまった。
 大助は、次によった八百屋さんで、また・・・   


 

 

 

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