美代子は、全身に喜びを漲らせて甲斐甲斐しく朝食を用意したあと、食事をしながら、お爺さんに何時も以上に明るい声で
「今日は、大ちゃんが思う存分勉強し易いように、お部屋を整理するので、学校はお休みするゎ」
「勿論、大助君も一緒よ」
と言うと、お爺さんはキャサリンが留守でも大助がいるだけで、こうも変わるものかと思うと、二人の自主性を尊重して
「今日一日で何もかもいっぺんに終わらせることもなく、ゆっくりと時間をとり、よく相談してやるが良いさ」
と頷いていた。
二人は、お爺さんの機嫌のよい返事に勇気をえて、早速二階に上がって行った。
彼女は自分の部屋に入る前に、廊下で立ち止まり
「大ちゃん。 わたしマリア様に、君と一緒に過ごせる様になったお礼と、今後、健康で和やかに暮らせるように、お祈りして行くので、君も一緒にお祈りしてね」
と言って、無理矢理、祭壇のある部屋に導き、髪を白布で覆って聖書の一節を独唱して胸前で十字を切り恭しく頭を垂れた。
大助は、そんな彼女の後ろ姿を見ていて、自己の目的を遂げようする強い意思、それを実行する逞しい行動力、それでいて、心に秘めた敬虔な信仰心の厚い女性であると改めて思った。
礼拝を終えると、彼女は予め考えていたのか、彼の同意を探るように遠慮気味に
「大ちゃんは、私の部屋をつかいなさいよ」
「机やスタンドそれに書棚もそっくり使ってね。 勉強で疲れたら出窓のガラス戸をを開けて空気をいれかえ、飯豊山や麓の原野を眺めたり、ベットで横になるのもいいゎ」
「わたしも、頭が疲れたときや無性に寂しいときなど、今頃、君がなにをしているのかなぁ。と、君のことを想い巡らせながら、そんなふうにして過ごしていたのよ」
と言うや、彼の返事を待たずに、さっさと自分の図書や衣装棚それに化粧用具と鏡台等の整理をはじめ、小物を隣の部屋に手際よく運び出したので、彼が
「アレッ! 隣の部屋に運んでいる様だが?」
「お爺さんが言っていたが、お母さんと一緒の部屋でないのかい?」
と聞くと、彼女は
「なぁ~に、つまらないこと言っているのよ。わたし達のプライバシーを守るためにも、隣のお部屋よ。当たり前でしょう」
「隣のお部屋は、わたし達の居間兼寝室にして、TVやパソコンの配線をしてもらい、お茶道具も揃えて、私達がくつろげるお部屋にするゎ」
と言って、考え通りに部屋の模様替えの話をしたあと、早速、満足感を漂わせた表情を浮かべて図書の整理を始めた。
彼女は、小物や図書の整理しながら大助に聞こえよがしに、独り言を呟くように、小声で
「昨晩、お爺ちゃんと大ちゃんのことを話あっているとき、お爺さんが冗談とも本気ともつかない表情でブツブツと、わたしにあてこするように、<美代子の望む通りにしてやったので、今度はワシにたいする恩返しで、ワシが元気なうちに早よう男の子を生めっ>だって・・。(フフッ) <お前を育ててみて女の子は小学生までは可愛く面倒みるのも楽しかったが、中学生頃になると、なにやかにやと文句ばかりを言い、面倒みるのにつかれたわ。 それにワシにとって話相手にもならず張り合いも薄れて、もう沢山だわ>なんてことを愚痴ぽく話していたわ。幸いママが留守だからよかったが・・」
「ママがそばにいたら、お爺さんの話を本気にして、慌てて、式もあげないうちにとんでもないわ。と、怒っていたでしょうね」
「わたし、そんな話を聞いていて、フッと思ったんだけれども、もしもよ、将来、今いくら考えても想像も出来ない理由や事情で、大ちゃんと一緒になれないことが起きたとしたら、わたし本気で大ちゃんの赤ちゃんを生む覚悟だわ」
とボソボソと言っていたので、彼は話を小耳にするや
「オイ オイッ!冗談もいい加減にしてくれよ。そんなことを本気で考えているなら、僕、ここから逃げ出すよ」
と言うと、彼女はフフッと笑って
「アラッ 聞こえていたの。もしものときの仮定の話なので気にしないでよ」
「わたし、君にそっくりな赤ちゃんと暮らすつもりなの」
「お爺さんの話を聞いているとき、フト本気でそんなことを思ったりもしたわ」
と言って手を休め、なおも小物の整理にあきたのか、この時とばかりに時折心を霞める霧を一挙に払拭するかのように、空想めいた話しに勢いをまして
「わたし、結婚式まえに大ちゃんの子供を身篭っても平気だわ。本気よっ」
「大体、計画出産なんてあてにならないわ。現に春先、初めて肌を許しあったときも、大ちゃんは翌朝青い顔をして妊娠するんでないかと心配していたが、な~んでも無かったじゃない」
「やはり、自然の成り行きで産むのが女にとっては最善だと思うわ」「君がよく言う自然・自然!よ」
と言いたしたので、大助は
「ヤメタ ヤメタ! そんな話に興味はないわ。今晩から僕のベットに潜りこまないでくれよ」
と半ば怒ったように返事して彼女の話を遮ると、美代子は途端に情けないような声で
「そんな意地悪なことを言わないでぇ・・。わたしも、ママに言われるまでもなく、勉強のお邪魔にならない様に、わたくしなりに気配りするので・・」
と言って話をやめてしまった。
大助は、彼女と会話を交しながらも、恵まれた環境の中で勉強するためにも、雰囲気に溺れない様に自制しなければと自分に言い聞かせた。
作業が一段落して、大助が美代子の使用していた部屋の椅子に腰を降ろして
「いやぁ~ 裏山の眺望はいいが、美代ちゃんの香りが部屋中にプンプン漂うっているわ」
と言うと、彼女は我が意を得たと言わんばかりにニコット笑って
「それだからいいのよ」
と返事しているとき、大助のポケベルが鳴って、彼が受話器を耳にし「わかったよ、いずれ話をするから」と返事をして、無愛想に切ってしまった。
美代子は「ねぇ、どなたからの電話?」と聞くと、彼は問いかけに無言で図書の整理を始めたが、彼女がしつこく聞くので、彼は「姉貴だよ」と素っ気無く答えたので、彼女は一番気にしていたことなので、なおも
「なんて言っていたの?」
と不安な表情で、彼の腕を引張って催促した。
彼は重い口調で仕方なさそうに、姉の珠子の返事をそのままに、オーム返しに
「う~ん。<大助のバカッ!。奈緒ちゃんをどうするつもりなの・・>と、怒っていたが最後はあの強気な姉貴が珍しく泣き声になってしまったよ」
「こんなこと、今迄になかっただけに、ショックだったなぁ」
と話すと、美代子は彼のシャツのボタンを弄り回しながら、うなだれて
「母さん達が、お話しても、やっぱり無理なのかしら・・」「困ったゎ。今になって、どうすれば良いのかしら・・」
「ねぇ~ わたし達のやっていることは、そんなにいけないことなのしら」
と急に寂しそうに呟いたが、彼は強い意思をこめた眼差しで、彼女の顔を見つめて、はっきりと
「僕は、自分が決断した通りに実行するよ」
「いずれ、きちんと話せば必ず判ってくれると思うよ。それにしても説得が大変だなぁ・・。それに新潟の隠れ家のこともバレテしまうし」
「姉貴も、はやトチッテ勘違いしているんだよ。別に婚約した訳でもなく、お爺さんの計らいで僕が勉強しやすい様に生活環境を整えてくれた。と、いゆうだけのことなのに・・」
と言ったあと、彼女の両肩に手をかけて笑って答えてくれた。
美代子も、珠子姉さんや彼の幼馴染の奈緒子さんの立場と心情を知りつくしているだけに、大きな衝撃をうけ即座に返答出来ず、うなだれていたが、しばらくして、大助の揺ぎ無い自信に満ちた言葉を聞いて不安感を払拭し、零れ落ちそうな涙を首に掛けていたタオルでぬぐった。
昼食後、大助は思ったより早く作業が進み、姉の電話も気になり、気晴らしに
「何もいっぺんにすることはないわ。お天気も良いし、運動不足なので裏山に行って来るかな」
と言ってトレパンに着替えたので、美代子も「わたしも行くゎ」と返事をして、白いセーターに黒のパウダージーンズを履き、長い髪を黒いターバンで束ねて外に出た。
母屋から病院の入り口前に出たとき、庭先で植木の手入れをしていた老医師のお爺さんと顔を合わせ、美代子が「気分転換にお散歩に行ってくるゎ」と一言告げたら、お爺さんは彼女の顔を見て「なんだ、冴えない顔をして・・」と言って、受付にいた朋子さんに「サングラスを持ってきてくれ」と頼み、朋子さんが大急ぎで持ってきたサングラスを美代子に渡たすと、お爺さんは上機嫌で安堵の表情を浮かべて、大助と美代子にたいし、朗らかな声で
「先程、キャサリンから電話があり、節子さんの懸命な説得で、大助君の我が家への寄宿について家族の了解を得たらしいわ」
と、連絡があったことを教えてくれた。
その際、キャサリンと節子さんは、大助君の母と珠子さん達とホテルで夕食を共にし、今後のことについて色々と話しをして来るので、明日、帰りると言っていた。と、つけ加え、彼女に
「いいか、大助君のお世話はお前に任せるからな。いちいち賄いの小母さんを頼らず、自分で考えて手落ちのないようにするんだぞ」
「食事は栄養第一で、旨いまずいは未熟なお前に期待しないが、緑黄色野菜、海藻類を欠かさず肉はなるべく避け、鰯や鯖など青身の魚中心とするのだぞ」
「美味しい料理はキャサリンに時々作ってもらうことにするわ」
と言ったあと、ニヤット笑って
「たまには、ニンニクを多く入れたモツ煮やレバー焼きも晩酌のつまみにいいな」
「なぁ~大助君、君もたまには食べたいだろう」
と、傍らにいる大助を見ながら小さい声で言うと、彼女はお爺さんが細かく指示するのが面白くなく、小声で
「イヤダーッ わたし、そんな臭いにおいのする料理食べたこともなく、作れないわ」
と言うと、お爺さんは
「ホレッ もうその調子だ。ワシは胃腸の腫瘍内科の医師だ、胃腸に優しい食事は癌予防に大切なんだよ」
「作りかたが判らなかったら、居酒屋のマスターか寅太に聞け」
と、厳しい目つきで言うと、彼女はキャサリンからの電話があったことを思い浮かべ、これまでのお爺さんの心遣いを思うと、自分に任せてくれる嬉しさから満面に喜びの表情を浮かべ、お爺さんこそ我儘だゎ。と、内心では思いながら半ば呆れたような顔をして「ハイ ハイッ」と愛想よく返答し、大助がそばにいるので
「お爺さん、判っているゎ。ご心配なさらないで」
と返事をして、脇にいた大助の顔を見て嬉しそうに笑顔でうなずいていた。
その様子を見ていた朋子さんも、誰に言うともなく「よかったわ」と呟いて、大助と美代子をまぶしそうに見ていた。
校舎裏の小道の入り口に差し掛かると、見慣れた寅太の車が止めてあった。
二人は車を見つけると顔を見合わせてニコット笑い合い、手を繋いで通い慣れた細い道を、夫々に見慣れた風景に過ぎし日の想い出を重ねて懐かしみながら、語ることもなく歩んだ。
すっかり白味を増して晩秋の光に照り映える白樺の並木道を越えると、大助は「橋の所で待っているから」と言って、コスモスの咲き乱れる中を通り過ぎると、小径に覆い繁るススキを掻き分けて猛然と走り出した。
美代子は、その健康な後ろ姿を眺めていて、彼のうしろ姿から後光を放っている様に輝いて見えた。
そして、偶然の再会とわいえ、素敵な人に出会え、これから共に過ごせる嬉しさで、自分達が蒼い恋から緑の恋に順調に進んでいることを内心で確かめ、自然に込み上げる明るい希望で胸が一杯になった。
彼女は、川幅が30メートル位の小川に架かる木橋迄来て疲れたので立ち止まっていると、大助と寅太が愛犬の”コラッ”を連れて賑やかに話ながら戻って来た。
三人は、橋の上で上流から勢いよく流れる水が、大きい石にはねかえって、秋の日差しに反射して白く砕け散る様子や、流れが澱んで青く透き通った清流の中を、銀鱗を光らせて素早く泳ぐ小さい魚を興味深々と眺めていたが、寅太は「あれは、ヤマメの稚魚だよ」と教えていた。
風が冷えてきたので帰ることにし、寅太は長い鍬の柄に季節遅れのアケビを5個ぶら下げ、愛犬に1個をくわえさせて、駅舎が見える小高い丘陵にさしかかるや、寅太が
「春の中ごろ、君が東京に帰るとき、此処で美代ちゃんと二人で見送ったが、俺の手旗信号と美代ちゃんの赤いパラソルを振るのが駅舎から見えたかい」
と言ったので、大助は感慨深そうに
「あぁ 良く見えたよ」「そのときは、美代ちゃんはイギリスに行くので、もう逢えないなぁ。と、思っていたが、今、此処に三人で居るのが不思議に思えてならないわ」
と答えると、美代子が笑いながら当時を思い出し
「あの時は、もう二度と逢えないと思って、おもいっきり泣いたゎ」
「寅太君も、寂しさを紛らわせるため、手旗で雑草を掻きまわしたら、蜂の巣を突っいて、蜂が驚いて飛び出したので、泣いているどころでなく、二人で大急ぎで逃げたゎ」
と、そのときの様子を話して、寅太に
「寅太君も、時々、荒っぽいことをするが、わたしには、頼もしい友達で時折優しく気遣って接してくれ、それに寂しいときには励ましてくれるし、キミヲ スキニナッタワ」
と言って微笑んだあと
「勿論、大助君の次にょ」
と、はにかみながら、ブルーの眸をチラット輝かさせて寅太の顔を覗きみて、恥かしそうに小さい声で言葉を足したので、寅太は
「お世辞と判っていても、中学卒業以来、美代ちゃんに初めてその様に言われると嬉しくなって舞い上がってしまうよ」
「つきあっている真紀子はそんな風に褒めてはくれないが・・」
と言って、大声を出して愉快そうに笑っていた。
寅太の大きな笑い声にビックリしたのか、彼等の先に行く愛犬の”コラッ”も振り返った。
晩秋の柔らかい日差しが照り映える野原の中に、野菊の花が所々に咲き乱れる丘陵の小径を、三人は明るく談笑しながら家路についた。
秋の夕暮れは釣瓶おとしの様に早いが、美代子が帰宅するや待ちかねていたお爺さんが、キャサリンの知らせに二人以上に嬉しいのか、大助君と勉強や今後の生活について晩酌しながらゆっくりと相談したいと言い出し、大助もそれを望んだので、彼女もお爺さんの笑顔から気持ちを察して言い分を素直に受けいれ、彼女もこの機会をとばかり、本心を隠して、お爺さんに
「わたし、山上(健太郎)先生と理恵子さん(山上夫婦の養女で、美代子が姉の様に慕う美容師)に御挨拶をしてくるわ」
と言い残して出かけていった。
彼女は、美容室に入るや嬉しそうに、日頃尊敬している理恵子さんに近況を話したあと、兼ねてより思案していた、大助君と一緒に過ごせる日が訪れた暁には、自分の気持ちを引き締めるために髪型を変えることを頼み、理恵子さんの助言をえて、思いきって長い髪を惜しげもなく首の辺りまで切って、顔を包み込む様にフワリと金髪をカールしてもらった。
理恵子が作業しながら、自己の恋愛経験から理想的な交際のありかたについて話すのを聞きながら、鏡の中の自分を見ていて、髪型を変えただけで、望んでいた通り外見上も大人になった様に思えた。
帰宅後の彼女を見た大助とお爺さんは、彼女の様変わりした髪型をみて言葉も出ないほどにビックリしたが、お爺さんはやや間を置いて謹厳な顔をして言葉少なく
「それで良しっ!。その覚悟を終生忘れず大助君に尽くし、勉強と家事見習いに励め」
と言うや、破顔一笑これまでにない上機嫌で孫娘の成長を喜んでいた。
大助は、日頃、髪については人一倍気を使っていた彼女が、それなりに事前に考えていたこととはいえ、彼等になんの前触れもなく突然髪を切るとゆう重大な決意をし、それを即座に実行する、彼女の心意気に圧倒されて言葉を失い、呆然と眺めていたが、内心では、これまでの彼女と違った大人らしい艶のある容姿に、改めて彼女との巡り合わに幸せを覚えた。
『 山の彼方に 鳴る鐘は 清い祈りの アベ・マリア
つよく飛べ飛べ こころの翼 光る希望の花のせて
月をかすめる 雲のよう 古いなげきは 消えてゆく
山の青草 素足でふんで 愛の朝日に 生きようよ 』
♪ 山の彼方に ヨリ (完)