わたしが小さな頃から母親はヒステリックで、
両親はしょっちゅう派手な夫婦喧嘩をしていたし、
わたしと弟も、
なぜそこまでぎゃんぎゃん狂えるのか?というくらい些細なことでしつこく怒鳴られ、怒られていた。
そうしたときに本当に何千回と聞かされた台詞がある。
「お前の世話になんかならない」
最初のほうこそ、突き放されたような気持ちになって悲しくなったが、何度も言われるとそのセリフのおかしな点に気づく。
『世話なんかしないよ!!』
そう。そんなことまでも、すでに当たり前に親の支配下なのである。
大人になっても争いは絶えなかった。
変わらず繰り返される理不尽を、子供の頃のように受け止めず、私が決して許さなかったからだ。(このあたりのことは、追ってまた書きます。大事な出来事だったので)
時がたっても同じセリフを繰り返して馬鹿にするしかない愚かな母
「あんたなんか大嫌いだ。産まなきゃよかった。早く家を出て行け。一生顔も見たくない」
大人になると、母親には不思議なことに「ブス」とは言われなくなった。(父親には言われた)
あぁ、そうだ。産まなきゃよかったとは一体どれだけ言われたことだろう。
子供の頃は本当に悲しくて悲しくて、、、
大人になってからのわたしは違う。
全ての理不尽に全力で対峙した。
人生で最も無駄だったと思う時間。本当に多くの時間を無駄にしてしまった。
でも、何か言われてポンと言葉を言い返せなかった最初の頃、じっと耐え、一人悲しみ、でも、絶対に負けないと歯を食いしばり、そして自分は何に傷つき、何に違和感を感じているのか考え、おかしいのはわたしじゃないと、ぐらぐら崩されそうになりながらもなんとか自分を保った。
この工程を長きに渡り頑張れた自分のことは、本当に褒めてあげたい。
「あんたなんか大嫌いだ。産まなきゃよかった。早く家を出て行け。一生顔も見たくない」
と言われれば
「私だって嫌いだ。勝手に産んでそんなセリフ吐くような母親は母親失格だ。こんな母親のもとに産まれてきて不幸だ。出て行きたくても先立つものがないからここにいる。顔を見たくないのはお互い様なんだから、静かに顔を合わせないように生活すればいい。かき乱さないで!」
と叫んだ。叫ばないと通じないのだ。聞いてるのか聞いてないのかわからない。言い逃げは許さない。
わたしは必死だった。わかってほしかった。どんなに嫌か。どんなに悲しいか。
それは完全に無駄な行為だったのだけど。
「安心しろ、お前の世話にはならない」と誇らしげに言う母に
「へぇ。絶対に世話になるなよ。そもそも、子供が親の世話するって誰が決めた?葬式にも出たくないわ。」
毎回叫びながら思ってた。
母親の真似をして、母も嫌な気持ちを味わえば、きっと私の悲しさがわかってわもらえると。
キツい言葉は辛いと。
わたしはこんなことが言いたいわけじゃないのに、、、、
わたしは、こんなふうにヒステリックに叫んで人にものを伝えたいと思ってないのに、、、
同じようにしても何も伝わらないのに、、、
そして、言い返されて逃げ道がなくなるとお得意の
「あんた、頭おかしいんじゃないの?精神病院に入れ!!!」
で終わる。
実は、母親も、こんなことが言いたいわけではないのに苦しんでいるかもしれないと思った。
のちのち
母親は、全くそんなことはなく、
暴言のすべては心からの本音だったことがわかり、わたしは存在の意味を全否定されて心の底から衝撃をうけるのだけど、、、、、