日暮れ時に近隣の野道山道を歩くことがある。はっと気付くと、はや日が落ちている。その刻限が好きである。物悲しくてすきである。そんなとき、釈超空の歌を思い出して、物悲しさに浸るのである。
武蔵野はゆき行く道のはてもなし。帰れといへど、遠く来にけり 釈迢空
父母のもとへかへれといえど、遠くまで来てしまった。そのうえ、道に踏み迷っている。誰もかれもみな帰ってしまった。去ってしまった。草深い道を自分はどこへむかおうというのだ。
また、賛美歌にある「さすらううちに、はや日は暮れ・・・」というフレーズも身にしみる。母の葬儀でもこの歌がうたわれて泣いてしまった。「帰思まさに悠なるかな」の心をかかえながら、もはや帰っていくところがない。
母が亡くなってからはや百日になる。
母さん、ぼくは、まだどこへも帰れないんですよ・・・・・・