天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

意識のめざめ、あるいは霊のさけび!

2011年12月27日 23時40分24秒 | 文芸

■断片

 

わたしは誰だ?

まずはじめにそんな問いかけが浮かんだ。

なにも見えない。聞こえない。自分の問いかけだけが、自分の中でグルグルめぐっているだけだ。あるいは、わたしは誰であったか?

わたしは、突然に目覚めたのだ。目覚めたということは眠っていたのか? 意識がなかったものが覚醒したのか。これは同じことではない。石には記憶がないはずだ。いや、なぜわたしはそんなふうに考えるのか?

 

周囲を観察することで、なにか手掛かりをつかもうにも、周囲は闇と無音の沈黙の世界だ。冷たいとか温かいとかの感覚もない。

つまりは虚無の世界か。いや、虚無の世界ならば自分が存在すること自体ないだろう。このように思考をめぐらせ、まがりなりも論理をはたらかす機能をもった自分がいるはすがない。

 

わたしは闇のなかを漂っているのか? たしかに、とまっているのではなく、どこかわからぬ方角に動いている感じはする。上か下か、前か後ろか、いやその方向というものに意味があっての話だ。基点がないのであれば、方向など意味がない。

 

「死」という言葉が思い浮かんだ。わたしは死んだのか? あるいは死んでいたというべきか? 「死」からめざめたのか! さきほどの「眠り」という言葉よりもそれに近かったような気もする。

 

わたしは誰だ?

 

「霊」という言葉がつづいてやってきた。「死」にひきづられて思いだしたらしい。わたしは死しんで「霊」になっているのか?しかし、「霊」とはなんのことだ。このように、思いだけが漂っている存在のことか。

 

暗い! 完全な闇だ。闇の対抗概念を思い出そうとする。なかなかその言葉はやってこない。闇と対極で、かつては見えたもの。いや、そのおかげで、物が見えたのだ。それがいまはない。「盲目(ブラインド)」という言葉がやってきた。見る器官が機能しなくなっていること。ならば、見えていたときの「記憶」なら呼びだすことができるはずだ。しかし、どこからよびだせというのか? 

こんなふうに考えるわたしは誰だ?


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