今日は、メトロモーニングというロマンスカーで、
八丁堀迄行きました。
朝の通勤ロマンスカーが小田急線に千代田線が乗り入れてまして、新宿より先に行く時は、大変便利になりました。
霞ヶ関迄行きますので、
そこから日比谷線で八丁掘に行けます。
早稲田大学オープンカレッジ八丁堀校舎で、
「江戸城の全て」というテーマで勉強します。
江戸幕府以前の江戸城と、家康が天下を取った後の江戸城を、時代の背景を含めて、その変化を調べます。
家康が造った江戸城は、特に天守閣の大きさと、二の丸、三の丸、を含めて建物の構造が複雑に造ってある。
相手に攻撃されにくい、そして相手を攻撃しやすい建物構造。すなわち5連続枡形といって攻撃する相手の軍勢が縦の軍列でしか攻められない様に造ってあるので、
攻撃側が槍も、鉄砲も、弓矢も、有効に攻撃出来る仕組みになっている。しかも
天下普請として、各大名の財力を使わせるために、スケールの大きい工事をした。
各大名が全体の構造をわからせないために、
部分、部分に細かく分けて工事をやらせた。
難攻不落の城と言わしめるスケール。
天守閣の高さは石垣の部分20メートル
棟高が48メートル、合計69メートル。
姫路城の高さが47メートルですので
その大きさが想像出来る。
一方
特に太田道灌が築いたといわれている 江戸城はどうだったのか。
家康の天下普請にくらべると、単なる山のゆはく砦程
度だったそうです。
館を建てて少し堀があり、今では城と言えるかどうか
だったそうです。
八丁堀迄行きました。
朝の通勤ロマンスカーが小田急線に千代田線が乗り入れてまして、新宿より先に行く時は、大変便利になりました。
霞ヶ関迄行きますので、
そこから日比谷線で八丁掘に行けます。
早稲田大学オープンカレッジ八丁堀校舎で、
「江戸城の全て」というテーマで勉強します。
江戸幕府以前の江戸城と、家康が天下を取った後の江戸城を、時代の背景を含めて、その変化を調べます。
家康が造った江戸城は、特に天守閣の大きさと、二の丸、三の丸、を含めて建物の構造が複雑に造ってある。
相手に攻撃されにくい、そして相手を攻撃しやすい建物構造。すなわち5連続枡形といって攻撃する相手の軍勢が縦の軍列でしか攻められない様に造ってあるので、
攻撃側が槍も、鉄砲も、弓矢も、有効に攻撃出来る仕組みになっている。しかも
天下普請として、各大名の財力を使わせるために、スケールの大きい工事をした。
各大名が全体の構造をわからせないために、
部分、部分に細かく分けて工事をやらせた。
難攻不落の城と言わしめるスケール。
天守閣の高さは石垣の部分20メートル
棟高が48メートル、合計69メートル。
姫路城の高さが47メートルですので
その大きさが想像出来る。
一方
特に太田道灌が築いたといわれている 江戸城はどうだったのか。
家康の天下普請にくらべると、単なる山のゆはく砦程
度だったそうです。
館を建てて少し堀があり、今では城と言えるかどうか
だったそうです。
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