我が麺や食堂が立ち上がった時の世相は、
未だ戦争の傷跡が少し残っている様な時代で、
昭和25年前後の朝鮮動乱の後辺りから、
少しずつ景気が良くなりつつあった時ですね。
初代が、喫茶、食事 「ブラジル」を始めた時の、
コーヒーの値段が25円でした。
わずか一年足らずで辞めました。
そしてすぐにラーメン屋に変わりました。
昭和30年2月の事です。
最初の3ヶ月ぐらいを25円で売ってました。
そのあとすぐに40円にしました。
ナルト巻き、ホーレン草、豚チャーシュー「もも肉」ネギ、メンマ「台湾メンマ」
当時の質の良い材料を使ってました。
豚肉も講座豚を使い、ナルトも小田原、網代産
メンマも柔らかい台湾メンマでした。
前の晩に水洗いして塩を取り、ボールに水を張って中にメンマを入れ一晩寝かせ、翌日、朝 水をいれ、火にかけ沸騰させながら、水を絶えず入れ替えて1時間ぐらいかけます。そしたら
それを冷蔵庫に入れまた次の日に煮ます。
醤油、味醂、砂糖、胡椒、鷹の爪、等を入れ。煮るというより炒めます。
少し焦げ目をつけるのがコツかな。
今考えると、非常に贅沢な材料を使っていました。
しかも丁寧に手作りだから、手間が大変です。
商売は、特に個人商店は、あまりに手間も材料も、かけすぎていますね。昔も今もね
未だ戦争の傷跡が少し残っている様な時代で、
昭和25年前後の朝鮮動乱の後辺りから、
少しずつ景気が良くなりつつあった時ですね。
初代が、喫茶、食事 「ブラジル」を始めた時の、
コーヒーの値段が25円でした。
わずか一年足らずで辞めました。
そしてすぐにラーメン屋に変わりました。
昭和30年2月の事です。
最初の3ヶ月ぐらいを25円で売ってました。
そのあとすぐに40円にしました。
ナルト巻き、ホーレン草、豚チャーシュー「もも肉」ネギ、メンマ「台湾メンマ」
当時の質の良い材料を使ってました。
豚肉も講座豚を使い、ナルトも小田原、網代産
メンマも柔らかい台湾メンマでした。
前の晩に水洗いして塩を取り、ボールに水を張って中にメンマを入れ一晩寝かせ、翌日、朝 水をいれ、火にかけ沸騰させながら、水を絶えず入れ替えて1時間ぐらいかけます。そしたら
それを冷蔵庫に入れまた次の日に煮ます。
醤油、味醂、砂糖、胡椒、鷹の爪、等を入れ。煮るというより炒めます。
少し焦げ目をつけるのがコツかな。
今考えると、非常に贅沢な材料を使っていました。
しかも丁寧に手作りだから、手間が大変です。
商売は、特に個人商店は、あまりに手間も材料も、かけすぎていますね。昔も今もね
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