安倍総理「所信表明演説」と集団的自衛権 9月30日

肩から首にかけて、異常に凝っていたので、とうとうマッサージをしてもらった。お陰で非常に軽くなり、まさに肩の荷がおりた感じだ。「これでご飯が美味しくなりますよ」と言われ、見透かされているようで驚いた。これで当分、少しはリラックスできそうだ。

さて、部分的ではあるが安倍新総理の所信表明演説を聴いた。美辞麗句と広告コピーばかりで、まったく美しい国を想像できるような内容だったとは思えないが、集団的自衛権について触れた件は、これまでのトーンとは異なり、やや興味深いものだった。安倍新総理は、総裁選の最中でも、集団的自衛権の行使が可能となるように憲法解釈を改めるという内容の発言をしばしばしていた。もともと憲法改正を主張している安倍氏だが、その上に更に、現行憲法のままでも解釈を変更することによって、集団的自衛権を行使できると、今回の総裁選では発言していたわけだ。

昨日の所信表明演説で安倍氏は、憲法が禁止する集団的自衛権の行使が、個別具体的にどういう事例で行使できるのか、あるいはできないのか、検討するという趣旨の発言をした。この発言は、集団的自衛権の権利があるのだから行使できるという単純な主張ではなく、現在の憲法が集団的自衛権の行使を禁止していることを認めた上で、しかし、事例によっては集団的自衛権の行使が許される場合があるのではないか、ということを意味するものなのだ。

公明党前幹事長・現国土交通相の冬柴鉄三氏は、閣僚就任後の記者会見で、集団的自衛権の行使の問題は、個別的自衛権の解釈の問題ではないかと発言し、公明党の太田昭宏新代表も、安倍氏の所信表明演説について、慎重な内容であったと評価している。どうやら、例えば、日本の周辺地域の公海上で、日米の艦船が共同行動をしている際に、米国の艦船がミサイルの攻撃を受けた場合、日本が自らが急迫不正の侵害を受けた場合ではなくても、個別的自衛権の解釈を拡大して、刑法の正当防衛の理論の範囲内で反撃できるということを想定しているのが、公明党の主張のようだ。

もう1つの事例は、国連のPKO活動だ。自衛隊などの日本の部隊と外国の部隊とが共同行動している際に、外国の部隊が攻撃された場合、日本の部隊が黙って見ているしかないのでは、国際的なPKO活動は不可能ではないかという議論に対して、同様に刑法の正当防衛の範囲内で、自らが直接攻撃を受けていなくても個別的自衛権の解釈を拡大すれば反撃できるということを想定しているようだ。

これらの事例を、安倍氏の言うように、限定的な集団的自衛権の行使ができるとするのか、公明党の言うように、個別的自衛権についての憲法解釈の問題とするのか議論となるところだが、所信表明演説で安倍氏の主張が、例えばこの2つの事例についての研究ということであれば、極めて限定された憲法解釈の問題になるので、国会で十分議論し、結果として、集団的自衛権の行使は先の大戦を経験した日本の歴史の反省を否定する上に国益にも資さないことを、安倍新総理にも認めさせるべきなのだ。所信表明演説で安倍新総理は、ひとまず公明党に配慮したのかもしれないが、個別的自衛権の問題ということであれば、民主党をはじめ野党も積極的に議論に参加しなければならない。

勿論、所信表明演説だけでは確定できないが、例えばこの2つの事例のような個別的具体的事例の範囲内の問題であるとするならば、従来の憲法解釈を一変させてしまうものではない。安倍新政権の具体的な研究に、しっかりと注目しなければならない。超右翼でありながら超アメポチの「売国右翼」政権の安倍新総理のやりたい放題に、この先憲法をいじられたのでは、「美しい国」は一挙に「醜い国」になってしまうに違いないのだ。
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