風の向くまま気の向くまま

気まぐれに愚直にいきましょう

タイの台所

2007-09-11 09:53:10 | 私信
タイの台所。
この言葉の意味って何だろう?
タイに来てまず驚くことの一つは、早朝から深夜まで立ち並ぶ屋台。
ソムタム(タイ式の辛いサラダ)、フルーツ各種、焼き鳥(これ、とても安くて美味しい!)、虫の類(バッタ、タガメ、芋虫などなど)、なんでもあり。
いつもの場所にいつもの屋台。
住んでいるアパートの近くはカラオケやマッサージ店がこの辺りでは最も多いところで、営業を終了する深夜1時を回ると屋台には勤めを終えた女性たちが押し寄せ一種独特な光景。
朝は7時頃アパートを出るが、この時間帯も普通に学生やOLが屋台で何かを注文し食している。
衣食住のうち順番をつけるとしたら何が一番重要か?
やっぱり「食」でしょう?
これがないと生きていけないもの。
道の両脇に立ち並ぶ屋台を眺めていると、湧き立つような生きる源を与えられる気がして、つまりは食べずとも生きていくためのパワーがそこにはあって、この習慣はタイ人の気質にも大きく影響しているのだなぁと感心する。

日本から出張者が来ると、とかく人気タイ料理店(もちろん安くて美味しい)に行ってしまうけれど、屋台もいい。
美味しいタイ料理は日本なら食べることができるけれど、屋台の味は手に入れることができませんぜ!
ちなみに、「タイの台所」っていうけれど僕の知っている女の子たちの殆どは台所の無いアパートに住んでいる。
料理作らなくても一歩外に出ればいろんなものが屋台で手に入るからね(余談だけど、まぁ、同僚たちは台所のあるそこそこいいアパートに住んでいるけどみんな料理しないな)。

それと日本同様、地方によって味付けや料理も異なるので一概にタイ料理といっても沢山の種類がある。
世界三大スープといわれるトムヤンクンや、材料でいえばパクチー、そして辛いというだけではタイ料理は語れない。
その中でも僕の好みはイサーン(タイの、ある地方)料理。
これはとても美味しい。
味を言葉で表現するのは難しいですね。
タイに来られたら一度食してみるべし。
(※辛いのが苦手な方は、そう言えば辛さは調整してくれます)


再会

2007-09-11 09:02:15 | 私信
先週の金曜日、約10年ぶりにNさんとお会いした。
縁というのは不思議なもので、この春、共通の知人が亡くなられたのを機にNさんに連絡してみたところ、いずれまたバンコクに行くと思うのでその時都合がつけば会いましょう…と言っていたら本当にそれが実現したのだ。
実はNさんとは、おそらく2,3回しかお会いしたことがない。
僕の記憶では、最初お会いしたときに随分と生意気なことを言ってしまい失礼なことをしたなぁとその後も気になっていたのだがNさん(一回り以上上の方)はそのことを気にはせず、次に会った時も気持ち良く酒を酌み交わしてくれた。
どうしたわけか、Nさんは会ったことのある人の名前やらを覚えることが苦手だが
何故か僕がメールで久しぶりに連絡したところすぐに思い出せたという。
最初会った時に連絡先を名刺に書いて渡したのだけれど、それを今も持っているとおっしゃっていた。

待ち合わせの日、午後8時過ぎに一足早く約束の場所にたどりついた。
実は一抹の不安があって、当時僕の髪が長かったかどうかは記憶にないけれどやはり10年という歳月は容姿を変えるのには十分な時間で、もしわからなかったらどうしよう…などと思っていたが、一目でNさんだとわかった。
記憶の中のNさんよりはむしろ最初にお会いした時よりも若返って見えた。
逆にNさんは「平塚君若々しさが薄れたねぇ…」(んー、正しい表現は違っていましたが)と言う。
最初は待ち合わせたオープンカフェでビールを飲みながら、そのあとは場所を変えて生演奏をやっている近くのレストランで3時間あまり、Nさんは以前、長期でタイに住まわれていたこともありいろいろとご自身の考えを語ってくれた。
亡くなった知人のこと、タイ人の考え方、日本人のアイデンティティ、Nさんが行ったことのある場所で美しかったところ、穴場のタイレストランなどなど。

まさか再会できると思ってもいなかった方とこうしてバンコクの地で会えたことの偶然、Nさんの持つ僕とは違った視点の考えは最初にお会いした時と同じように僕の心を刺激し、「また今度タイに来られるときは是非また会いたいですね」と告げ
てその日は別れた。
今度は年末に来る予定とのこと。

また是非、お会いしましょう。