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100キロを走った後の自分を知って、引退を宣言しようと思っていた。しかし、結局はその半分で終わってしまい、しかしそれでも引退を宣言しようと思った。
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僕にとっては、大切な自意識であった。「走れる!」・・・、いや「いざとなったら、走れる!」ってのが適当。何も無くなってしまっても、『走れる!』ってのが、すっかすっかの僕の、最後の自意識だった。
走れない、勿論、毎日酒を飲み、毎日煙草を嗜み、毎日殆ど眠らず・・・、それで走れる訳など、ない。知っている、でも「走れる!」と、思いたかった。
長い間、このことが僕のほぼ全ての青春(延長があったが)の価値基準だった。実際、気持ち悪い。が、偽ることができないぐらい僕には染み込んでいた。捨てたいと思っても捨てることができないでいた。辞めたい、降りたい、辞めるべきだ、と、ずっと思っていた。
とっくに引退したつもりでいたんだけれど、全然関係のない所で、また走ることになった。2年前ぐらいかな?これが、結構良かった。自意識以上のものがそこに付加された。『伴走』という新しいかたちだったんだ。伴走にしろ、このことで皆が喜んでくれた。更に次の日の筋肉の疲労は懐かしく、痛みが心地よく、僕を若返らせてくれた。競技ではない走る世界が広がっていたんだけれど、それには僕は違和感も感じていた。
それだけにするべきだったのだろう。
100キロにエントリーをすることになたのは2カ月前なんだけど、忙しくて何も考えていなかった。
実際、覚悟を含め準備がなっていなかった。常にぐるぐるしている僕の頭の中に、いつまでたっても100キロマラソンは入ってこなかった。100キロという数字を舐めていたこともあったし、なるべく考えないようにもしていた。『100キロをマラソンで!』ってのが、僕の生活に組み込まれること自体が、無謀なことだと思う。更に「ま、なんとかなるだろう!」と自力を過信していたのが、とんでもない、勘違い。
100キロ、・・・普通ではない。飛脚もそんなに走らない。それを現代で・・・なんて、変態、と言ってもいいんじゃないかと思う。
スタートして35キロで僕の足はまったく動かなくなった。ゆっくり走っていたけど、「ああ、そうか」と思った。完全なる練習不足と前日の高熱を思えばそんなに驚くことでもなかった。仕方がない、後は歩くか・・・、小石に足を取られるたびに左膝に激痛を感じるけど、激痛を感じなくなってから焦ればいいかと思っていた。
それから5キロぐらい歩いたところで、ぞわっとした。「やっぱり、岩手県は綺麗だなぁ・・・」と、景色を眺めながら割と機嫌良く歩いていたら、見ている景色の色の数が減っていくのに気付いた。「50キロを前に、目にくるかぁ・・・」と思った。僕はここで、完走を諦めました。
100キロ走ることができる人は素直に凄いと思う。正直、バケモノだと思う。その為の練習量とかがハンパない。1週間に200キロ走るとか、そんなの僕には無理だもの。時間が足りない。
結局、僕はそういうところに居ないんだと思う。
1週間で200キロ!、は無理としても半分の100キロ。一日14.2キロ。ウォーミングアップを含め2時間。一日に2時間あったら、他に時間を使う方がいい。まず、寝る!とか。
最後に、リタイアでへこむ僕を慰めてくれた、語録。
「アンテナを高く張っているんだから、別にそこにこだわらなくてもいいんじゃないいの?」
「大江健三郎と100キロマラソンは、両立できないと思っていた!」
「100キロ走れる人は、お前みたいにギター弾いていないよ!」
ありがとう、救われた。
なんか、結構、危なかった。
これからは、最大で10キロ。何も考えないで、5キロってところにします。
自分のカタチに合った発散を模索していくとしましょう。
たしかに、そこにこだわることはないのかもしれませんね、来年すっかり忘れてまた申し込んでしまうのかもしれませんが。