透明な石 缶ビールと色鉛筆 5

2010-03-20 18:14:15 | AROUND THE N818
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『透明な石』という冊子に、缶ビールと色鉛筆という連載を初めてから、5回も経ってしまった。下書きはいつも此処でおこなっている。大体、年に1~2度の依頼、いつも、砕けた文章を寄稿している。多少、直しが必要だ。

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 缶ビールと色鉛筆⑤

 YPGの小窓から。様々な色彩と曲線と直線で形作られたカタチ(KTC)を目の前に並べ、神妙を装い深く椅子に身を沈め、通りを眺めていた。新里陽一さんは、前日のオープニングパーティーの影響からか、後ろで寝ている。砂利の上に、直で。来る途中、何度も言ったのに。「寝て行ってもいいよ」って。

 立てかけたり、注意深く放ったり、ぶら下げたり、驚くほど簡単に設営できたタープの中を変幻自在に、とは言ったら大袈裟だけど、通りに面して開き境界にシュッと線を引いたようにしてから今は砂利の上。主がいったん退場した、その空間の中で、僕は、ほぼ途方に暮れて、椅子に、なるべく深く、座っているより他は、なく。

 気持ちの良い人通りを眺めて、さもないことを思い出しては忘れ、周りから見れば不真面目に、無理をして風を感じ、無理をして眺め、無理をして弛緩していたら、人通りからはぐれた二人組が、足を止めたんだった。

 一人(女性)が言った。「これは、どう使うものですか?」…僕は、途方に暮れたんだった。さっきからずっと、途方に暮れてたのに…。バツの悪い数秒の沈黙の後、もう一人(男性)が、その質問に答えてくれた。僕は、完全に不意を突かれていたから、この言葉がスムースに入ってきた。

「あのね、世の中には、ただそこに在るだけでいいものが在るんだよ」。

 僕は美術に疎くて、現代にも疎くて、ぼぉーっと暮らしているだけで、何かしらの縁から此処の椅子に深く座ることになっているだけで、説明すべき人間は後ろの砂利の上ですし。説明なんぞは必要ないのだろうけど。と、そんな小さな場所に響いた、簡潔で明確な言葉。その人のオリジナルなのか、結構広まっている言葉なのか分からないけど、僕は感謝するより仕方ないだろ。
 何本か風が通って、僕は顔を上げることができなくて、その二人は去って行った。僕らの空間にただ在るだけでいいものは、彼らの空間にはそぐわなかったんだ。
 ただ在るんだ。ただ在るというのはどういうことなんだろう。座禅とかに似てるのか。多分、物質のよほど始めの状態なんだろう。そこで留まり続けているのが、目の前に並んでいる、彼らが「カタチ」とか「KTC」とか「モノ」とか「もの」と呼ぶものなんだろう。「ただ、在って、それだけで、いい…」ゆっくり口にだして呟いてみたら、思い当たることがあって、後ろを振り返ったら、新里陽一さんが砂利から立ち上がるところだった。長い旅から帰ってきたような、気が、した。

 

 


 

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