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11月6日、手あわせ桜の植樹式に参加してきた。前日、僕は駅伝とギャラリーのオープニングパーテイーで朝から晩まで走り回っていた。次の日の植樹式は、正直気が重かった。雫石から石巻まで、どう考えても片道3時間30分。前日のパーティーではなるべく酩酊したいと考えていたから、一人では行きたくなかった。奥の手の、父に運転を打診してみた。『息子ラブ!』の父は快く、このことを引き受けてくれ、往復7時間、運転をし14本の桜の植樹に付き合ってくれた。
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詳しくは、手あわせ桜プロジェクト?から。
僕は特定の信教を持っていない。だから『鎮魂のための桜』が何の意味を持つか分からない。それを、好きか嫌いかの判断も持っていない。桜に関して思い入れは、皆無だ。YESか、NOとかすら、判断できない。
石巻まで、父ちゃんと久しぶりに旅をして、桜を植えてきた。
鎮魂とまではいかない。ただ、震災をほぼ完全に自分が忘れていることを知った。自分が、結構、アットイウマニ忘れていたことを恥じた。
くたくたと泣く人がいた。良く分からない読経が響いた。テレビカメラがあって、知らない景色があった。大山桜があった。土があって、それに付随する道具があった。景色が小さく変わった。そのことに、何かしらの意思があった。
町が、丸ごと無くなっていた。ざっくりと、津波によって失われていた。そして、小さな命が、乱暴に無くなっていた。
知らなかった。
植樹式を教えてくれたトラオセンセイが言っていたんだった。「見てくれるだけでいいと思っています・・・」
往復7時間の、父ちゃんの運転で帰ってきてみて、実はよくわかっていない。やっぱり、見ただけだし。見た、ということすら、まるで消化できていないし。
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