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そんな球根は、庭の一番目立つところに植えられた。その球根は、花を付けた。
人通りの多い、道路に面したその百合は、大きな花をつけた。それも、「一度通り過ぎた人が戻ってくるほどの、異様な大きさの花だった!」と、婆さんが言っていたらしい。
その当時、カサブランカという品種は本土に入ってきていなかったから、その位の衝撃を持った花だったのだろう。(母は、祖母の話しぶりから、カサブランカをマットな色調質感にしたものじゃないかと、推測している。)
その話を聞いて、母は来年見に行こうと思った。そのことを忘れずに、次の年を待った。
・・・次の年。
花は咲かなかった。芽を出すどころか、そのまま、死に絶えてしまった・・・。
東電は、その当時、『そういう物を、一般人に売って儲けていた!』
今となっては背筋が寒くなるようなものを、平気で売っていた。放射性物質を売っていたんだ。世界唯一の被爆国なのに。
記憶が記憶を呼び、記憶に色を付けた。
母は、「ジャガイモの種イモも売っていた」と話している。ジャガイモもその年は、伝説のジャガイモになっただろうというのは、容易に想像できること。ただ、百合と同じように次の年は、駄目でしょう。
平気でそういうものを売っていたんだ。そんな中で、そのジャガイモを口にしてしまって被爆した人もいるでしょう。もうそれは、内部被爆ですね。それらで、寿命を縮めた人とかもいるでしょう。面白可笑しく、遺伝子をぶった切っておいて、新たなテクノロジーとか言っていて、ばんばん悪ふざけで振り撒いておいて、
その結果、何万人も福島に難民を作りだしているんだよね。
「電力料金上げて、知らんぷり!そして、継続!」
・・・決して、許されることではないね。
多分、僕は、『放射線饅頭』も、売っていたと思うんだ。
当時の、お土産の定番だからね。
今頃、どうしているんだろう?
当時の、『売店の人』は・・・?
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