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割と、いつも、ぼんやりしていて、そのことは皆から指摘され続けているんだけれど、ぼんやりしているのは、僕だけだから、どうぼんやりしているのかは、実感としては僕まで届いてはいないだろう。余りに、言われ続けるもんだから、その辺は注意して、ぼんやりしないように努めているのだが、どうも、僕の努力に反して、意識すればするほど、ぼんやりしてしまうような気がしている。
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真剣に視ようとすると、変なフィルターが入ってしまう。真剣に感じようとすると、変なフィルターがかかってしまう。引っ掻き回すような、エフェクトがサッと入り込んでくる。だから、そのものを前に、僕は勝手にぼんやりしてしまう。例えば、自然の中に入っていく時なんか、小さなものを注意深く視る時なんか、ゆっくり動いている時なんか、映画でも、テレビでも、そのものや画面までが異様に遠くなる。近づけば近付くほど、近づこうと思えば思うほど、遠くなる。手触りや臭いや、言い表せない感覚をも、駆使したところで、遠ざかることには、余り関係はないようだ。他の人が、どういう世界で生きているのかが、全く分からないことに、最近、気付きました。
割と、いつも、ぼんやりしていて、そのことは皆から指摘され続けているんだけれど、ぼんやりしているのは、僕だけだから、どうぼんやりしているのかは、実感としては僕まで届いてはいないだろう。余りに、言われ続けるもんだから、その辺は注意して、ぼんやりしないように努めているのだが、どうも、僕の努力に反して、意識すればするほど、ぼんやりしてしまうような気がしている。
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真剣に視ようとすると、変なフィルターが入ってしまう。真剣に感じようとすると、変なフィルターがかかってしまう。引っ掻き回すような、エフェクトがサッと入り込んでくる。だから、そのものを前に、僕は勝手にぼんやりしてしまう。例えば、自然の中に入っていく時なんか、小さなものを注意深く視る時なんか、ゆっくり動いている時なんか、映画でも、テレビでも、そのものや画面までが異様に遠くなる。近づけば近付くほど、近づこうと思えば思うほど、遠くなる。手触りや臭いや、言い表せない感覚をも、駆使したところで、遠ざかることには、余り関係はないようだ。他の人が、どういう世界で生きているのかが、全く分からないことに、最近、気付きました。
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