スポーツはアミーゴ

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そんなに批判しなくても…

2013年09月06日 08時00分00秒 | スポーツ
 2020年オリンピック開催地を決める国際オリンピック委員会
(JOC)総会が迫ってきた。
 
 東京に再びオリンピックはやってくるのか。招致委員会のメンバーらは
開催されるブエノスアイレス入りして、最後のアピールに懸命だ。

 一方で、多くのメディアは最近、五輪と安倍政権を絡めた報道が多い。
それも原発の汚染水漏れに急きょ対策を打ち出したのは五輪招致を念頭においた、
あるいは高円宮紀久子さまの総会出席に関しては皇室利用ではないかなど、
オリンピック招致活動に批判的とも取れる傾向が見受けられる。

 原発に関しては、確かに手遅れ感もある。海外の不安を払しょくするため
対策を急いだこともあろう。国費(税金)投入への批判も当然聞こえてくる。
しかし、東電だけで、この問題が完全に処理できると考える人は
果たしてどれだけいるだろう。未曾有の大惨事。いくら巨大企業といえども
1民間会社ですべてが収束できるはずはない。

 これには日本全国民が我慢すべきところは我慢して、乗り切るしかない。
それを世界にアピールできれば、日本への印象はぐんとよくなるだろう。

 また、紀久子妃殿下の出席にしても、宮内庁長官が「招致活動の一環と
見られかねない懸念がある」と発言したが、震災復興へのお礼を述べると
言うのだから、そんなに詮索して考えることもなかろう。結果的には
招致活動になったとしても、オリンピックは政治の場ではない。政治と一線を
画していることは、オリンピック憲章にもうたっている。

 メディアは何事でも最近はそうした傾向が見受けられる。
ニュースの速報性ではテレビなど電波媒体には勝ち目はないから、
解説や経過などにウエートを移しているとみられる。
しかし、それとこれとは意味が違う。何も振りかぶって一刀両断的な
報道はいかがなものか。外国メディアの批判的な報道に習う必要は
全くない。

 震災復興に巨額な国費が投入されても、それだけ復旧が早くなれば
いいではないか。中身が変わっていないなど、重箱の隅をつつくような
報道しかできないのだろうか。

 日本国民が素直な気持ちでオリンピックを迎えられたらと思う。
報道は中立で…とよく言われるが、批判ばかりでは中立とは言えない。
「批判が中立」なら、そんなものはそれこそ信用がおけない。

 オリンピック招致に成功し、多くの外国人選手に震災復興が進む
日本を見てもらいたいし、日本国民のたくましさを実感してもらいたい。
また、被災地の多くの人たちにスポーツを通して勇気を与えてもらいたい。
それを後押しするくらいの度量の広さを持って、報道してもらいたいと
切に願う。アベノミクスの追い風になるかもしれない。そうすれば
日本全体が潤うだろう。

 東京オリンピック招致が実現するよう祈っている。