スポーツはアミーゴ

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「絆」って本当に強いなあ

2013年09月13日 08時00分00秒 | スポーツ
 2020年の夏季オリンピック大会が決まって、メディアには連日、積極的に
多くの話題を提供している。これから7年、日本は本当に経済発展を遂げ、
国民は豊かになるのだろうか。被災地は復興するのだろうか。
「世界公約」をした安倍総理には、しっかりと仕事をしてもらいたい。

 ところで、連日の五輪フィーバーを見るにつけ、思い出したことがある。
56年前、1964年の東京五輪。国立競技場バックスタンドの最終走者として
聖火を高々と掲げた坂井義則さんだ。

 今でも聖火を右手に掲げ足取りも軽やかに沿道を疾走し、国立競技場の
ゲートをくぐり、長い階段を駆け上がり、高々と聖火を掲げた瞬間、
大きな拍手が沸いたイメージが残っている。

 陸上中距離ランナーだった坂井さんは当時は早大生。
オリンピック強化指定選手だったが、予選で敗れ出場できなかった。
しかし、戦後復興を謳うオリンピックには欠かせない19歳の若者だった。

 この世に生を受けたのは1945年8月6日。それも世界で初めて原爆が
投下された広島だった。広島県のほぼ真ん中に位置する三次市が故郷だ。

 68歳になった今、今回の東京決定の瞬間は「涙があふれ出た」と言っていたという。
おそらく49年前の緊張と興奮、そして大役を無事努め上げたことを
思い出しているだろう。

 その後、フジテレビに入社。アスリートの世界ではなく、メディアとして
72年のミュンヘン大会、96年のアトランタ大会の五輪報道に携わるなど
オリンピックとの縁は切れることはなかった。

 今は7年後の夢を描いているかもしれない坂井さん。その後ろ姿を見て育った
次男の厚弘さんが五輪との絆をつないでいる。
会社は違うがTBS系の会社でスポーツ中継も仕事をこなし、五輪報道にも
関わってきた
 父子2代、アスリートしてでなく、メディアサイドから五輪との絆も
何かの因縁かもしれない。

 坂井さんは聖火のトーチを今も大事にしている。戦後日本の平和の象徴となった
最終走者。平和を追い求める気持ちを7年後の東京に託す。
 
 厚弘さんの長女の名前は「聖奈」ちゃん。7年後には11歳になる。3世代で
五輪を一緒に見て、そして何を語り継ぐのだろうか。やはり平和の尊さかもしれない。