スポーツはアミーゴ

楽しさを語ろう

すごいね、レス吉田選手

2013年09月20日 23時17分39秒 | スポーツ
 オリンピック競技から除外されそうになったレスリング。
存続が決まって間もなく始まった世界選手権で女子55㌔級で
吉田沙保里選手が金メダルを獲得した。

 それもなんと11連覇という偉業。さらにオリンピック3連覇と
合わせると実に14大会連続世界一という前人未到の大記録である。

 昨年、国民栄誉賞を受けた吉田選手は、日本レスリングの顔として
オリンピック存続のため活動。さらに2020年東京オリンピック
招致大使も努めるなど、大会前には“超多忙”なアスリートの一人だった。

 それでも世界選手権という大舞台で堂々の11連覇。その強さは
何から来ているのだろう。人並み外れた精神力の強さかもしれない。
今大会前には練習も思うようにはできなかったはずだ。

 それでいて減点なしでの女王の座は、ただただ舌を巻くしかない。

 30歳という年齢を考えれば、体調を維持するだけでも大変だろう。
「レスリングを守る」という強い精神が支えなのかもしれない。
日本レスリング界の至宝の一人であることは間違いない。

 また、63㌔級の伊調馨選手も8度目の頂点。吉田選手と同じく
オリンピック3連覇を含めると11度目の世界の頂点に立った。
伊調姉妹はやはり吉田選手とともに日本の顔の一人だ。

 2020年東京オリンピック時に競技を続けているかどうかは
年齢的にも微妙だが、こうした大先輩がいる日本レスリング界は
幸せだ。彼女らに続くためには、とってもいいお手本になる存在だ。

 一方で、こうした金字塔はレスリングに興味を持つ初心者にも
励みになる。若手にはいい刺激になるし、目標にもなる。

 現実に若手の台頭もある。日本レスリング界は彼女らに続く
人材が順調に育っているといいだろう。互いに切磋琢磨して
「レスリング・ニッポン」を世界に発信し続けてもらいたいものだ。

ハンドボールに注目して!

2013年09月20日 08時00分00秒 | スポーツ
 ハンドボールという競技がある。でも、観戦した人はそんなに多くはない。
学校でも授業に取り入れられているのに、なんでかなあ。

 もっとも新聞、テレビで紹介されたのは5年前。「中東の笛」と呼ばれた
疑惑判定でオリンピックのアジア予選がやり直しになった時だ。
しかし、五輪切符までは届かなかった。

 昨年のロンドン五輪予選も男女とも出場はならなかった。男子は1988年の
ソウル大会以来、女子はなんと1976年のモントリオール以来、五輪の舞台に
立っていない。

 日本のスポーツは五輪に出場しないと、なかなか日の目を見ない。報道も
どうしても限られる。

 だから日本協会は「五輪出場」に夢を託すが、先ほどのように出場できたのは
はるか昔だ。まずはお隣、韓国の厚い壁が破れないのが一因である。
韓国にどうしたら勝てるか―この高いハードルを越えない限り光は見えてこない。

 ハンドボール競技そのものは、スピード感いっぱい、激しいコンタクトプレーの
連続など、見れば面白い「格闘技」だといっていい。

 五輪に出ないから注目度が低い。同時に、主催者側にもアピール不足の面もある。
また、ヒーローがいない。一時、宮崎大輔(大崎電機)がそれなりに騒がれたが、
今はそれも消えかかっている。

 大きなトップレベルが参加する大会は4つある。全日本社会人選手権、国体、
全日本総合選手権、そして日本リーグだ。日本リーグを除けば、ほかはすべて
トーナメントの大会だ。学生界もインカレ、高校界もインカレなどがあるが、
どうも「自分たちの大会」「プレーできれば満足」といった感じがしてならない。

 全国規模はもちろん地方の大会で報道機関に積極的にアピールする姿勢が
足りないのではないかと思う。言い方は悪いが「利用する」ことを
心掛けるべきではないだろうか。

 こうした「悪弊」が治らない限り現状のままが続くのではなかろうか。
少しでもメジャーに近づきたい気持ちがあれば、そのあたりの「改革」が
重要だろう。

 少しでも多くの人に試合を見てもらいたい“努力”をし、次期五輪「リオ」の
出場権を勝ち取ることだろう。

 日本リーグは始まったばかり。今週末も石川、愛知、岐阜、三重で男女が
戦う。国体、全日本総合選手権を挟んで来年3月まで続く。とにかく一度でも
会場に足を運べば「面白さ発見」は請け合い。とにかく一度、注目してみては
いかがでしょうか。

J1、ポストシーズン制に変更

2013年09月19日 08時00分00秒 | スポーツ
 サッカーJ1が2015年からポストシーズン制に変更することが
17日の理事会で決まった。試合会場などでサポーターが反対していた声は
届かなかった。

 Jリーグは観客数や放送権料の減少などに歯止めをかけ、人気低迷を打開するため
改革が必要と大会方式の変更を検討してきた。

 2015年から導入するポストシーズンは、第1ステージの1位と第2ステージの
2位、第2ステージの1位と第2ステージの2位が戦い、勝者同士が対戦する。
ここまでをスーパーステージと位置づけ、この勝者が年間勝ち点1位のクラブと
チャンピオンシップで対決、優勝を決める。

 第1ステージ、第2ステージのスーパーステージで、上位2クラブに年間勝ち点
1位クラブが含まれる場合や対象クラブが重複するケースのスーパーステージの方式は
引き続き検討する。

 J1は創設した1993年から2004年まで(1996年は除く)
前後期制を採用してきた。各ステージの優勝クラブが年間優勝を争う
チャンピオンシップを戦ってきたが、同一クラブの場合は実施されてこなかった。

 今回のポストシーズン制変更は、平均入場者数が2008年を境に下降線をたどり、
地上波テレビでの試合中継が減り、クラブの収入の伸び悩み、さらには主力選手の
欧州を中心とした国外流出が止まらないという危機感があった。
 
 また、世界の主要国のシーズンに歩調を合わせ、代表の試合をやりやすくする
狙いもある。しかし、欧州はシーズン開幕を変える案も検討されているようだ。
その場合はどうするのか。変更までにそうした状況がかわらなければいいが…。

 いずれにしろ、今回の変更は、チャンピオンシップなどで盛り上がりを増やし、
集客の回復、放映権料の増収につなぎたいのが狙いのようだ。クラブによっては
異論もあったが、とりあえず決めた。
 
 本当に盛り上がるか、それとも今の状況が続くか。Jリーグ、各クラブの
取り組み方が問われるだろう。 

カープ、CSへ加速

2013年09月18日 08時00分00秒 | スポーツ
 赤ヘルファンの歓喜の雄叫びが聞こえてきそうだ。
 
 プロ野球は最終盤。セ・リーグのクライマックス・シリーズ(CS)進出に
広島が一気に加速してきた。すでにCS進出を決め、1位マジック点灯の
巨人に地元で3連勝を飾り、さらに17日の阪神戦も石原のサヨナラアーチで
4年ぶりの7連勝。CS進出となる16年ぶりのAクラス入りが目の前に
大きく広がってきた。

 3位を争ってきた中日、DeNAはすでに自力でのCS進出が消滅している。
ここでもしも2位阪神に3連勝すると、一気にゲーム差は3に縮まり、
2位の座も見えてくる。

 広島は阪神と3連戦のあと、再び巨人との3連戦が待ち受ける。この時点で
巨人は1位を決めている可能性が高い。そうなると苦手払しょくのチャンスだ。

 ここまでの追撃にはエースマエケンの力投が大きい。パパになったエースが
投手陣を引っ張り、大竹、バリントン、野村の4本柱で力強く進軍ラッパを
鳴らし続けてもらいたい。 

 某球団首脳の「我慢して戦っていれば、例年通り広島がまた落ちてくるよ」
との話が一部でまことさやかにささやかれているとのうわさも聞かれた。
ここまでくれば「何を言っているんだよ」と、見返してやりたいものだ。

 昨年は大失速した広島だったが、今シーズンはひと味もふた味も違う広島だ。
投打の歯車がかみ合っているし、打線のうながりもいいし、よく見られた守りの
ミスもなくなった。チームの雰囲気は最高だ。

 もう「あれでも4位に…」なんての心配はいらないと確信している。
油断は禁物だが、総力を挙げてCSへ快進撃を続けよう。

 久しぶり、いや、本当に久しぶりにスタジアムが爆発するくらいに
盛り上がるだろう。やっぱり広島の街は、赤ヘルが勝たないと盛り上がりに
欠ける。

 CSでは今までのうっぷんを晴らすように、思いっきり大声援で後押ししたいと
今から楽しみにしている。

世界の王超えたバレンティン

2013年09月17日 08時00分00秒 | スポーツ
 プロ野球・ヤクルトのウラディミール・バレンティン外野手が15日、
ついに56本塁打を放ち、プロ野球最多記録を更新した。
思わずバンザイを叫びたいほど興奮を覚えた。

 「世界の王」王貞治さんら3人が持つプロ野球最多タイのシーズン55号を
11日の広島戦で大竹から放ち「王超え」は時間の問題とされていたが、
やはり怪力バレンティンも人間だったようで、ここまで3試合快音は聞かれなかった。

 そして15日、中日戦の1回、榎田から豪快な一発を左中間に運んだ。
打った瞬間、おなじみのポーズ、両手を高々と上げたバレンティン。スタンドに
突き刺さり打球を見定めた後、笑顔満開でダイヤモンドを一周した。

 これでプレッシャーから解き放たれたのだろう。続く3回にも左へ運び、
2打席連続アーチ。57号と記録を伸ばした。

 バレンティンはカリブ海に浮かぶオランダ領キュラソー島の出身。
ヤクルト入団3年目で、1、2年目はいずれも31本で本塁打王になっている。

 今シーズンは開幕前に左足を痛めたが、そんなことはお構いなしとばかりに
本塁打を量産し続け、プロ野球記録を塗り替えた。
ペースで言えば、ほぼ2試合に1本の計算という。

 「聖域」を破ったバレンティン。これからどこまで記録を伸ばすのだろうか。
あの風貌、あの怪力…神宮のファンにとってはたまらない魅力だろうし、
こちらはうらやしい気持ちでいっぱいだ。

 ところで、怪力と言えば、楽天のマー君もすごい。と言うか、あ然とさせられる。
無敗の21連勝、開幕からの21連勝、シーズンをまたいでの25連勝。
投手の連勝記録を一気に3つも塗り替えた。
 
 また、シーズンをまたいだ大リーグ記録の25連勝も超えた。
マー君の右腕はどこまでうなり続けるのか、次のマウンドが楽しみだ。

Jリーグ初の70歳代監督、頑張れ!

2013年09月16日 08時00分00秒 | スポーツ
 Jリーグに71歳の最高齢監督が誕生した。J2栃木の松本郁夫氏。70代での
監督はJリーグでは初めてだ。

 さっそく15日の札幌戦で指揮を執り、激戦を制しロスタイムに決勝点、
見事白星スタートを飾った。

 栃木はここまで松田浩氏が監督を務めていたが、10勝10分け12敗、
勝ち点40で14位と低迷、同監督が退任した。

 松本新監督は日本サッカー界にとって世界で初めてメダル(銅)を獲得した時の
メンバー。宇都宮の出身だが、早大を卒業後、東洋工業(マツダ⇒サンフレッチェ)に入社。創設された日本リーグで通算5度の優勝に貢献。日本代表として1968年の
メキシコ五輪で銅メダルを獲得した。

 第1戦を退いた後は東洋工業の監督を務め、ユース日本代表監督として
1979年に日本で開かれたワールドユースを戦った。

 その後は指導者や経営面にも関わり、Jリーグの川崎、鳥栖の監督を歴任したり、
社長なども努めた。

 その指導はとにかく熱血漢と言ってよく、熱いハートは今でも衰えを知らない。

 一方で、1983年にはマツダの就職内定者の研修を行っていたヤマハのつま恋
研修所でガス爆発事故に合い、全身やけどと四肢複雑骨折を負いながら自力で脱出、
左手4本の指を失ったが、奇跡的に回復した。

 今年からは栃木SCの取締役を務めていた。

 2009年には日本サッカー殿堂入りを果たしたが、広島でかつての仲間たちが
開いた祝賀会当日の天皇杯でサンフレッチェを破り、二重の喜びに包まれた笑顔は
本当にうれしさがはちきれないようだった。その時に記念にと配った陶器のグラスには
いかにも「育夫さんらしい」言葉が記されている。

「全力に悔いなし 松本育夫」

 熱い男のサッカーに対する思いは衰えるどころか、いっそう燃えているようだ。

 初戦の札幌戦を乱打戦の末に下して白星スタートを飾った。今後、選手たちに
どんな熱い指導でJ2終盤戦を戦うか。お手並みをじっくり拝見したい。

何を今さら「カタールW杯」

2013年09月15日 08時00分00秒 | スポーツ

 国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長の発言が波紋を呼んでいる。
2022年W杯開催地をカタールに選んだことに関してである。

 「われわれはミスを犯したかもしれない。夏にプレー可能と思ったことが
間違いだった」

 今さら何を―と言いたくなる。

 カタールを開催地に選んだのは2010年のFIFA理事会。日本をはじめ
アメリカ、韓国、オーストラリアも立候補しており、アメリカは決選投票で最後まで
カタールと争った。

 カタールが決定した当時から「酷暑」への不安はささやかれていた。
6月から7月にかけて行われる開催時期。その時期にカタールは気温が50度を
超えることもあるという。しかもアラビア湾に面しており、湿度も高い。

 カタールは「屋内スタジアムをつくって冷房を効かせる」と言っているが、
練習会場などはどうするのかは分からない。

 そこでブラッター会長は続けて言う。開催時期の変更だ。

 「ミスを犯したのは開催時期に関してだ」

 冬季開催への変更を示唆したとも取れる発言だ。

 でも、これにはリーグ真っ盛りの欧州の反発が必至だ。シーズン中断を
余儀なくされからだ。

 会長は10月のFIFA総会で話し合う姿勢を見せているが、果たして
どうなるか。まだまだこの問題は尾を引きそうだ。

 でも、一番困惑しているのはカタールかもしれない。せっかく勝ち取った
開催を“はく奪”でもされたのではたまらない。

 「熱いからダメ」と今さら言われたら…それこそ泣きっ面に蜂だ。。

JTバレーに力強い大砲

2013年09月14日 08時00分00秒 | スポーツ
 バレーボールVプレミアリーグの最古参、JTサンダーズに力強い大砲が入部、
13日に会見があり、悲願の初優勝に向け意気込みをを語った。

 日本代表のエース、越川優選手。2002年、高校生として初めて
男子の日本代表に選出された逸材で、ここまで日本代表として活躍している。

 2003年にサントリーに入部、V」リーグ新人賞やプレミアリーグのMVPなど
受賞し。2009年から3シーズン、イタリアでプレー、昨シーズンは古巣の
サントリーでプレー、ベスト6に選ばれた。

 越川選手は会見で「若手に勝つ意識を植え付け、勝つ使命感を伝えたい」と
話し、先頭に立って戦う強い気持ちを披露した。

 JTは昨シーズン8チーム中6位と低迷したが、なかでも決定力不足が目立った。
サーブと強烈なスパイクが持ち味だけに、課題の解消に期待がかかる。

 多くのチームからオファーを受けたが「一番必要としてくれたJTに決めた」と言い、
「将来性の高い若手に日本代表やイタリアでプレーした経験を伝えたい」ときっぱり。

 ブコヴィッチ監督も「国際経験を含めてリーダーシップを発揮してくれることを
期待している」と、チーム力アップへの貢献を楽しみにしている様子だった。

 越川選手は11月からチームに合流、プレミアリーグに臨む。JT復活へ
大車輪の活躍が期待される。

「絆」って本当に強いなあ

2013年09月13日 08時00分00秒 | スポーツ
 2020年の夏季オリンピック大会が決まって、メディアには連日、積極的に
多くの話題を提供している。これから7年、日本は本当に経済発展を遂げ、
国民は豊かになるのだろうか。被災地は復興するのだろうか。
「世界公約」をした安倍総理には、しっかりと仕事をしてもらいたい。

 ところで、連日の五輪フィーバーを見るにつけ、思い出したことがある。
56年前、1964年の東京五輪。国立競技場バックスタンドの最終走者として
聖火を高々と掲げた坂井義則さんだ。

 今でも聖火を右手に掲げ足取りも軽やかに沿道を疾走し、国立競技場の
ゲートをくぐり、長い階段を駆け上がり、高々と聖火を掲げた瞬間、
大きな拍手が沸いたイメージが残っている。

 陸上中距離ランナーだった坂井さんは当時は早大生。
オリンピック強化指定選手だったが、予選で敗れ出場できなかった。
しかし、戦後復興を謳うオリンピックには欠かせない19歳の若者だった。

 この世に生を受けたのは1945年8月6日。それも世界で初めて原爆が
投下された広島だった。広島県のほぼ真ん中に位置する三次市が故郷だ。

 68歳になった今、今回の東京決定の瞬間は「涙があふれ出た」と言っていたという。
おそらく49年前の緊張と興奮、そして大役を無事努め上げたことを
思い出しているだろう。

 その後、フジテレビに入社。アスリートの世界ではなく、メディアとして
72年のミュンヘン大会、96年のアトランタ大会の五輪報道に携わるなど
オリンピックとの縁は切れることはなかった。

 今は7年後の夢を描いているかもしれない坂井さん。その後ろ姿を見て育った
次男の厚弘さんが五輪との絆をつないでいる。
会社は違うがTBS系の会社でスポーツ中継も仕事をこなし、五輪報道にも
関わってきた
 父子2代、アスリートしてでなく、メディアサイドから五輪との絆も
何かの因縁かもしれない。

 坂井さんは聖火のトーチを今も大事にしている。戦後日本の平和の象徴となった
最終走者。平和を追い求める気持ちを7年後の東京に託す。
 
 厚弘さんの長女の名前は「聖奈」ちゃん。7年後には11歳になる。3世代で
五輪を一緒に見て、そして何を語り継ぐのだろうか。やはり平和の尊さかもしれない。
 

 

バッハ新会長は野球・ソフトに興味・

2013年09月12日 08時00分00秒 | スポーツ
 国際オリンピック委員会(IOC)は10日の総会最終日に、ジャック・ロゲ会長の
任期満了に伴う新会長選挙を行い、本命視されていた副会長で弁護士のトーマス・バッハ氏(ドイツ)を選んだ。

 新会長選挙にはバッハ氏のほか、実業家のセルミヤン・ウン副会長(シンガポール)、陸上競技の棒高跳び
世界記録保持者で理事のセルゲイ・ブブカ氏(ウクライナ)、理事で建築家の呉経国氏(台湾)、銀行家の
リチャード・キャリオン委員(プエルトリコ)、元ボート選手としてでオリンピックに出場した
デニス・オズワルド委員(スイス)の5人が名乗りを挙げていた。

 この6人で争われた新会長選挙は、開催地を決める方式と同じように過半数を獲得するまで行われ、
約100人の委員が投票に参加した。2回目でバッハ氏が49票を獲得した。

 新会長の1期目の任期は8年。2020年東京オリンピックの翌年までだ。

 第9代の新会長に選ばれたバッハ氏は59歳。1976年のモントリオールオリンピック
フェンシング男子団体の金メダリスト。金メダリストの会長は初めて。ドイツオリンピック委員会の
会長でもある。

 ロゲ前会長は夏季五輪の実施競技は28を上限としたが、バッハ氏は柔軟さを主張しており、
できるだけ早く全委員で協議をしたいと就任演説で話した。これにより先の実施競技争いで
レスリングに敗れた野球・ソフトボールが東京では復帰の可能性も浮上してきた。日本にとっては
何よりの朗報になるかもしれない

 果たしてバッハ新会長が新体制下でどのような手腕を発揮するか、世界のスポーツ界から
注目が集まっている。

 なお、前のロゲ会長は名誉委員になる。お疲れさんでした。