自由という目的地へ

それはどこにあるのだろう
多くの血を流したどり着く地か
それとも
悟りの果ての 神の胸の中か

聖フランシスコ という夢 ー ブラザーサン シスタームーン

2015年08月10日 | for some reason or other 徒然


アッシジの聖フランシスコ という

美しい夢を 見ていた




St. Francis Prayer - Brother Sun, Sister Moon

映画「ブラザーサン シスタームーン」






ー  平和の祈り 



  主よ わたしを あなたの 

  平和の道具に してください



  憎しみのあるところに

  愛を


  悪のあるところに

  赦しを


  不和のあるところに

  和解を


  誤りのあるところに

  真実を


  疑いのあるところに

  信仰を


  絶望のあるところに

  希望を


  闇の支配するところに

  光を


  悲しみのあるところに

  喜びを もたらすこ人に してください





  主よ 

  慰められるよりも

  慰めることを


  理解されることよりも

  理解することを

  
  愛されるよりも

  愛することを


  求めさせてください




  なぜなら

  人は 与えることによって

  与えられ


  自分を 忘れることによって

  自らを見いだし


  赦すことによって 自らも赦され

 
  死ぬことによって 永遠の いのちに

  生きるものだからです



          アッシジの聖フランシスコ







裕福な家に育った 放蕩息子は
騎士として 戦いに参加した後 病となり 

深い心の闇の中を さ迷い続ける



やがて 家を捨て

その場に着ていた 服にいたる
全ての「物」「金」「地位」「繋がり」を 

手放し



祈りと清貧

そして 
神の愛に生きた 聖人となった







当時 不治の伝染病として 
恐れられた ハンセン氏病

患者は
伝染の恐怖の対象として 
社会から見捨てられ 隔離された

そんな 彼らの
崩れていく 肉を洗い 

微笑みを向け 励まし 
命をつなぐ支えとなることを日課とした





十字軍という 
大きな戦のうねりの中で

戦いを 終わらせるために
イスラムの将軍である サルタンに
命を捨てて 会いに行き

神の愛と 平和を訴えた


普通に考えれば 
すぐに殺されているところだが

フランシスコの説法に
感動してしまった サルタンは
彼に護衛をつけて 十字軍の陣地まで
丁重に 送り返したという






小鳥や 狼にさえ 語りかけ
自然を 兄弟として生きた





神の声を聞き
壊れかけた教会の修復に
一人 石を積む

その しずかな
一歩一歩の 歩みは

神の祝福に 満ちている








彼は 

この世界は 

自我が創り出している 幻想だという
知識も認識も
 持たなっかったが



神という愛を 知り

神という愛に 生きた








 



聖フランシスコの生涯を描いた映画「ブラザーサン シスタームーン」

高校生の頃に 何気なく録画したこの映画は 
自分の人生に大きく影響した

当時の社会から 排斥された
ハンセン氏病の人たちに関わるシーンは
自分の方向を決定させた





1994 ユニセフの国際絵本画家最優秀賞に選ばれた「フランチェスコ」 はらだたけひこ

はじめて 教会というものに 北海道の観光で訪れた時に 
強いインスピレーションをビシビシと感じていた
  
「お帰りなさい!」という 歓喜と祝福 ・・(?)

自分は キリスト教に 以前にも関わっていることに
確信を持った

この絵本はそこで 販売されていた
 




アッシジのフランチェスコ - Wikipedia




自由という目的地へ/ティクナットハン 関連動画(1)

自由という目的地へ/ティクナットハン 関連動画(2)

ヨーロッパの人々の間では 
ベトナム戦争で 「行動する仏教」という組織を作り
人々のために活動した禅僧 ティクナットハンを
聖フランシスコの生まれ変わりだと言う人も多いという

以前から その二人の聖人に 影響を受けていたが 
後で その話しを聞き 少し驚いた 


(驚いたと言えば
フランシスコの命日が 自分の誕生日と
偶然にも 同じだったことを 今日知り 驚いた)




そんなことも含め

彼との関わりも
全て 自分の意識の造りだした
この世界という 幻想の中の出来事ではあるが


僕にとっても 多くの兄弟にとっても
アッシジの聖フランシスコという夢は

悲しく辛い夢の 続く中で

神への光へ導く
美しい 夢であった


















 

 

 
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救護施設の夕闇

2015年06月12日 | for some reason or other 徒然


on snowy pond  panasonic DMC-GH3









   救護施設の夕闇



 手遅れと

 判定 されたひとは



 やがて 

 救護施設に

 つれていかれた



 どの 病院も

 施設も 法律も


 対応できないひと



 あらゆる 苦しみと 共に

 たどりつく 場所







 彼女は そこで


 しずかに

 微笑んでいた













 小脳が 

 萎縮していく


 難病の 体



 すこしずつ

 動かなくなり



 言葉も 

 失っていく







 二人の 子供のいる

 美しく 幸福な  主婦





 すこしまえに


 離婚の 書類に

 印を 押した





 

 それでも 


 小さな 車椅子の上で 

 微笑んでいる














 赦しという 選択肢を



 彼女は しずかに 


 進んでいく






 愛という 選択肢を



 彼女は しずかに


 進んでいく









 救護施設の 夕闇の中




 微笑む 彼女の周囲 だけが


 まばゆく 光りかがやき





 神の 祝福に
 

 満たされている




 それは

 小さな 美しい 奇跡としか

 僕には 見えなかった


          ノマド





















遠い 昔


自分が

福祉学生だったころ



はじめての 実習先の

忘れられない 記憶















 
 

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それぞれの 帰る風景

2013年08月14日 | for some reason or other 徒然


 君という 存在は

 過去に「何を考えたか」によって
 
 その考えたり 感じたりした内容が

 ひとつひとつ
 こころに 蓄積され

 ミックスされた
 結果の つぎはぎとして

 今 ここに 立っている



 すなわち 君とは

 これまで君のこころが
 思ったことの 集合体


         仏陀

         小池 龍之介 著
         超訳 ブッダの言葉 より










恐怖や 悲しみ

不安定で 不条理な 
この世界を

歩きながらも

花の 美しさを
見つめている



人や天地が 
荒れ狂っても

人や天地の 
美しさを 忘れない




目を 閉じれば

恐怖や不安 焦り 悲しみばかりが
押し寄せてくることも ある



でも
それだけでは ない

僕たちは

恐怖や不安だけで
出来あがっては いない




夏の風に 吹かれる
草の 静かな時間

自分に 向けられる
動物の 純真な目

人間の やさしさに 
不意に 触れる 瞬間

厚い雲海から 姿を現す
美しい 霊峰

そして

空 大地 大気 水



そんな・・

美しい場所は 
それぞれの こころに 

存在し



その 美しい光景に 

いつか 僕たちは 
帰っていく



その 風景は
自分自身だと 

理解し






僕たちの 魂が

それぞれの 美しい場所に
帰れますように


僕たちが 幸福に

微笑んでいることが
できますように






 小池 龍之介 著
超訳 ブッダの言葉








  

一対の言葉たち

2011年07月06日 | for some reason or other 徒然

福祉の研修で こころに残った言葉


   重度の障害を持つ人より インタビューに対しての注文


 :自分に関心を持っていることを 身体中で伝えてほしい

 :僕の表情を見ながら進めてほしい

 :「聴く」ために あなたの自己紹介やおしゃべりをしてほしい

 :質問する人ばかりしゃべってると 僕は疲れる

 :質問したら 僕の返事を ゆっくり待ってほしい

 :うまく返事ができない時は 「どういうこと?」と聞きなおしてほしい
  返事が出来ないのではなく 質問がわからない

 :1回で答えたくない時があるのに すぐ次の質問に行ったらびっくりする

 :感想をいちいち言わないでほしい

 :答えたことを勝手に決め付けられると「よく聴かない人だ」と思う

 :言葉があまり言えない人はかわいそう

 :今まで どんなふうに 障害のある人と付き合ってきたかが分かる

 :答えをもう決めているなと 感じることがある

 :話し終わって 気持がよかったなと思えるのは 本当に少ない

 :また話したいと思える職員になってほしい

 :利用者と話ができなくて 給料をもらってはいけないと思う







これらの言葉と
マザーテレサの言葉(姿勢)は まるで 一対の様・・



マザー・テレサの言葉 (英語、日本語字幕)

 http://www.youtube.com/watch?v=Y0WH5W1he_w&feature=related



 :優しい言葉は 短くても 簡単であっても
  その響きは 永遠である

 :微笑みは 平和のはじまり

 :会うときは いつでもおたがいに笑顔しましょう
  愛は 微笑みから生まれる

 :我々は人生で偉大なことを成し遂げることは出来ないが
  偉大な愛で 些細なことを成し遂げることは出来る

 :どれだけしてあげたかより どれだけの愛を注いでいるのかが大切だ
  どれだけ施したかより 施しにどれだけの愛を注いでいるのかが大切だ

 :私は 神が人類に宛ててラブレターを書く時
  その手に握られている 小さな鉛筆

 :話し始める前に 耳を傾けることは必要だ
  神は落ち着いたこころに話すから

 :些細なことにも 誠実に努めてください
  だって そのことにはあなたは力を見つけられる

 :我々は もし人を愛したいなら
  人を赦すことが できるようにならなくてはいけない

 :人は不合理、非論理、利己的です
  気にすることなく 人を愛しなさい

  あなたが善を行うと
  利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
  気にすることなく 善を行いなさい

  目的を達しようとするとき
  邪魔立てする人に出会うでしょう
  気にすることなく やり遂げなさい

  善い行いをしても
  おそらく次の日には忘れられるでしょう
  気にすることなく し続けなさい

  あなたの正直さと誠実さとが あなたを傷つけるでしょう
  気にすることなく 正直で誠実であり続けなさい

  あなたが作り上げたものが 壊されるでしょう
  気にすることなく 作り続けなさい

  助けた相手から 恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
  気にすることなく 助け続けなさい

  あなたの中の最良のものを この世界に与えなさい
  たとえそれが十分でなくても気にすることなく
  最良のものをこの世界に与え続けなさい

  最後に振り返ると あなたにもわかるはず
  結局は 全てあなたと内なる神との間のことなのです

  あなたと 他の人の間のことであったことは
  一度もなかったのです


                 マザーテレサ 






       OLYMPUS E-1  
       OLYMPUS ZUIKO DIGITAL ED 18-180mm
       Postwork:PhotoShop7




  

シルバーバーチャンからの啓示

2011年06月25日 | for some reason or other 徒然

シルバーバーチは 有名だが

シルバーバーチャンという 人は
あまり知られてない
(冗談まじりの名前ですが・・)

彼は シルバーバーチャル星(仮名)という
地球より発達した文明から来た人だという

彼から見れば
地球人は 争いが絶えず

残虐性の強い
未開の不良惑星の住人であり

こころの持ち方自体
まだエゴに満ち

愛を知らないと言う


彼の星では
争いもなく 競争もない
所有も 幻想と認識されるため

警察もない

肉食という食文化も無い

人々のこころは 悪想念が無いため
そのため この惑星には
自然災害が起きない

人間が平和になると
動物たちも変化し

鋭い牙や爪を持つ動物
毒を持つ動物はいないという


彼のサイトは 非常に読みにくく出来ており
真実を知ろうとする者だけが
読み進めるように出来ているが

その中から 
こころに残っている言葉を
ここに残しておこうと思う

(日月神示からの抜粋含)







シルバーバーチャンのヘッポコベジタリアン生活
http://ubiquitous-spirit.cocolog-nifty.com/




( 追記 もう どこかへ 行ってしまわれましたねえ

  どこの どなただったのでしょう

  導きを・・ ありがとうございました )







:「正しい事でも、それを主張するために 攻撃的想念を抱いた時には既に誤り」



:「悪を殺すは悪ぞ」 「悪を抱き倒してくだされよ」



:「人類の想念波動が 惑星の命運を握っている」



:「所有の幻想から覚醒することは 優良惑星人類への第一歩である」



:「気付きは日々の暮らしの中にあり。深山幽谷に篭もって得るものではない」




:邪神・邪霊が最も嫌う心。
 それは「感謝の念」と「和する心」である。

 「悪」を嫌ってはならない。
 「悪」を責めてはならないとするのも
 「悪」を憎んで悪想念を盛んに発することこそが悪であり、

 その悪想念が邪神・邪霊を大喜びさせ、
 力を与えることになるからである。

 「悪」は悪でない。
 「悪」に見えるその背景事情を
 よく知性と理念の心眼をもって観察せねばならない。

 理由あっての「悪」である。
 『善悪を超越して正しく生きよ。』




:大方の地球人が転生する理由は、
 シルバーバーチャル星人等が既に克服した
 ネガティヴな思念を制御する学びの為である。

 一方で人を愛しながら、他方で人を憎むという矛盾・分列した状態から、
 厳しく深い大愛へと近づく入口を模索するため、
 苦痛・苦難・苦悩の中にその身を置いて学ぶ 不良惑星人なのである。

 優良惑星人は、既に苦痛、苦悩から解放され、
 穏やかな日々の中により強くゆるぎない巨視的大愛を学ぶための
 転生をするのである。

(優良惑星人とてかつては例外なく不良惑星人として生きた時があるのだ。)




:現在の地球の教育は自己完成を目指させ、
 他を蹴落として生き残る我れ善しを教えているのである。

 優良惑星として歴史の浅い惑星群で
 子供たちに施すあらゆる教育の原点は

 「汝、生命と利他の為に生きよ。」にある。




:病は、優良惑星へ帰還する切符である
 利己心の制御・克服を 一念発起させ、
 反省を促すための起爆剤なのである。

 そういう意味では邪霊は、
 その者が優良惑星に帰還する手伝いを
 図らずもしていることになる。


 ただし、己の観念や想念波動の使用方法の
 どこにどう誤りがあるのか反省して目覚め、

 己のエゴを打ち捨てる進化をする
 建設的方向にある時、
 結果的に‘手伝い ’になるのであり、

 「冷水に身を置きて温かきを乞い願う」時は、
 結果的に邪霊は災いの触媒となって更に不幸を呼び込むのである。

 善きにつけ悪しきにつけ感謝すべしというのは
 ここにも当て嵌まるのである。




:たとえ邪教に入信して
 その誤った教説を聞こうとも、
 その信者の理念が確かなら正神につながり、

 正神の御箴言を百万遍唱えても、
 その理念が我欲で曇り眠っていれば、
 紙に書いた知識でしかなく、
 その者の行く末は暗黒の境涯へと落ちていく。










:悪を行ってはいけないと訴える事は決して悪いことではない。
 しかし、想念波動の作用を説かずに善を勧める時、
 何が起こるか邪神らはよく知っている。

 即ち宗教信者のみならず、一般の地球惑星人は
 人々に善であることを望むものの、
 実際に善を行わない人々を見て、咎め、怒りの心を起こして非難するなど
 排他的想念を放射するのである。

 また、悪を行う者を見て、
 憎しみ、咎め、果ては「殺してしまえ」と攻撃的、排他的想念、
 他を否定する想念を放射するのである。

 勧善懲悪を強く推進しようとするほどに、
 これらの悪想念を起こす衆人が多く出る結果を生むのである。




:不良惑星人には抽象的概念を理解する能力は
 今となっては当たり前の能力であるが、
 初発の人類や類人猿からすればその能力は
 将に超能力に匹敵する摩訶不思議な力なのである。

 それと同じように、
 地球人の言う超能力は生命の進化に伴って賦与されるよう仕組まれ、
 約束された当たり前の能力なのである。

 霊能力のように背後霊の霊位の高低とその感応度により
 結果を左右される不安定な能力とは異なり、
 エゴを放擲した時に自ずと開く能力なのである。

 この能力はエゴ、我欲を捨て切れない地球惑星人には
 未だ‘超’能力という手の届かない領域にある能力だが、
 優良惑星では(敢えて言えば)‘常’能力である。




:地球惑星人には俄(にわか)かには信じ難いことであろうが、
 この銀河系だけでも、どの不良惑星も唯物科学の行き着く共通点として
 手に入れる核の力とその誤用で地軸を傾け
 流星化、小惑星化する惑星・遊星が地球時間の一年にして、
 1,000星前後にも上るのである。

 勿論、この数は銀河系内の惑星・遊星の総数においては僅かな数字だが、
 そこで失われる生命進化上の犠牲は膨大な数に及ぶ。

 地球惑星の場合63億人の人類に加え、
 その数万倍の各意識段階にある肉体生命種と
 その実数分の命が犠牲になる。

 このような最悪の事態に至った場合、
 他の数え切れぬ種族に対して、
 愛無き人類はその愚行を一体どうやって償うつもりか。




:「同胞の死体をむさぼる肉食為す者の大部分は
 「動物」と「肉」の繋がりを連想せざる無頓着なるもの多きなり。

 連想せざるは「肉は食品なり」との洗脳の故にてもあり。

 仮令(たとい)頭にては理解為すも、
 己の嗜好的欲望の充足を優先為す頑迷固陋(がんめいころう)の
 霊性低き者多きなり。

 地球人類が肉食を放擲(ほうてき)せずして、
 戦争、紛争、闘争のなくなる日を望むは、
 冷水にその身を置きて温かきを乞い願うが如しといわざるべからず。

 肉食の放擲なくば戦争の絶えうること無しとは、
 大袈裟にても、喩え話(たとえばなし)にてもなく、
 ましてや御伽噺(おとぎばなし)にても非(あら)ざるなり。」







今 震災という困難の中

ここに啓示された言葉たちは
私たちの 足元を照らすことが出来ると思う

社会の悪を暴くのは大切なことだが

自分たちのこころが
いつの間にか
醜くなっていないか

見つめられる者でありたい