静かに 湖面で過ごす
そのイメージは
やがて カヤックで 移動しながらの旅や
冒険への夢へと 繋がっていった
カヤック雑誌にあった フレーズがこころに残る
「自由という 目的地へ」
そのひとつの切符 カヤックという道具・・
限られた予算で
Sevylor QuikPak K5 Kayak というカヤックを購入し
ジムニーに 古いテントと共に 詰め込み
一人 富士五湖の一つ 本栖湖へ向かうこととした
キャンプ場への入り口は
凍結した 狭い カーブのある急坂で
ノーマルタイヤの車では 転落の危険もあったが
慎重に降りていき なんとかキャンプ地に到着
ジムニーという車は 特に 日本の狭い林道等
大型の四駆では行けない場所にも
踏み込むことが出来る 優秀な道具で
僕は 旧JA11型のころから
この道具を愛し使い続けている
富士山と残雪の美しいロケーションだったが
キャンプ場も 湖も 貸し切り状態だった
天気予報が いつの間にか
曇りから 大雪の予報に変わっていたからだ
残された晴間の時間を 大切に使う様に
壊れかけたキャンプの設営に入る
もう生産されていない
オカモトの ファインフィールドという名の安テント
一人でのテントの時に 古くから使ってきたが
グラスファイバーのポールの部分が壊れかけていて
テープで補強して使っていた
あと 何回使えるだろうか・・
設営が終わると さっそく カヤックの用意に取り掛かる
寒さの中で「沈」した時のための 最低限度(と思われる)の装備
ライフジャケット ブルーエースのロングバドルシューズ
ロングジョンを着込む
慣れない手つきで インフレータブルカヤックを膨らまし
いよいよ出発
こんな寒さの中
大丈夫なのか? ・・・ 俺 一人だし ・・・
不安の中 ぎこちなく乗り込む
この日 本栖湖は風が強く 波があった
そしてカヤックは 思ったより 小さな波にも大きく揺れる
最初のうちは 何度かひやりとしたが
「沈」することは避けられた
慣れてくると 波に向かい 湖沖合まで行くことにした
快調に湖のほぼ中央まで来て しばらく波に揺れていた
このまま 反対側の岸に上陸しようと 再度漕ぎだしたが
だんだん 風と波が強くなり
波に白波が入りはじめていた
カヤックの先端が 波を裂き
波しぶきが かかってくる
そして・・いくら漕いでも 進まない
このカヤックの軽いという特性は
風、波に弱いのではと思われる
途中で対岸上陸を断念し キャンプ地まで戻る
その間
俺は ここでひっくり返って 遭難しないだろうか・・
そんな不安は 離れず
とても 「自由という目的地へ」という状態ではなかった(笑)
また 波の静かな日 静かな場所で
近いうちに また乗りたいと 思っている
いい年なのに 少し無理をしたので
テントに入り込み しばらく寝転がっていた
そうするうちに 外は日が暮れ
予報通り 雪が降りだしていた
しばらくのつもりが 暗くなるまで 動かずに
テントの中で 泥のように横たわっていた
ラジオからの情報で 20センチは雪が積もるとのことなので
ジムニーを 受付の駐車場に移し
サイトには テントのみを残すこととした
近場の商店は 17時で全て閉まってしまい
夕食の買い出しの機会を すっかり失った
手元に残っていた シリアル等で夕食を済まし
夜を超すための防寒対策の用意が済むと
後は ラジオからの情報や音楽に耳を傾けて過ごした
深夜 目を覚ますと テント内はマイナス3℃
テントの内側には 大量の水滴が発生していた
テントの外側には 雪がへばりつき
その重さのため 異様にテント内が狭くなっていた
かまくらの様に どうも雪は断熱材の働きもする様だ
外気の寒さを 遮断しているのを感じた
朝方まで何度か テントに分厚く積もった雪を
内側からたたき落としながらも 十分に睡眠はとれていた
マイナス7℃まで使用可能なシュラフ
(軍用でも使われるSnugpakスナグパック)を今回用意していたが
水滴に対して防水であることも含め 良い働きをしてくれていた
目が覚め 外に出ると
そこは 雪と湖の世界だった
精霊や 幽霊の出てもおかしくない
風と雪の音だけの 静寂な地
それは 自分のこころの反映なのかもしれない・・
恐怖は 感じなかった
しばらく
一眼レフを手に
その世界を さまよった
自分の中の
遊牧民(ノマド NOMAD)という部分
自然と共に在り 自由を愛する
そんな自分を 生きたいと思う
そう・・
「自由という目的地へ」
それは
仏陀を含め
誰もが 最後にたどりつく 最終地点なのだろう
あせらずに 今を 大切にしながら
少しずつ 自由になっていこう