シルバーバーチは 有名だが
シルバーバーチャンという 人は
あまり知られてない
(冗談まじりの名前ですが・・)
彼は シルバーバーチャル星(仮名)という
地球より発達した文明から来た人だという
彼から見れば
地球人は 争いが絶えず
残虐性の強い
未開の不良惑星の住人であり
こころの持ち方自体
まだエゴに満ち
愛を知らないと言う
彼の星では
争いもなく 競争もない
所有も 幻想と認識されるため
警察もない
肉食という食文化も無い
人々のこころは 悪想念が無いため
そのため この惑星には
自然災害が起きない
人間が平和になると
動物たちも変化し
鋭い牙や爪を持つ動物
毒を持つ動物はいないという
彼のサイトは 非常に読みにくく出来ており
真実を知ろうとする者だけが
読み進めるように出来ているが
その中から
こころに残っている言葉を
ここに残しておこうと思う
(日月神示からの抜粋含)
シルバーバーチャンのヘッポコベジタリアン生活
http://ubiquitous-spirit.cocolog-nifty.com/
( 追記 もう どこかへ 行ってしまわれましたねえ
どこの どなただったのでしょう
導きを・・ ありがとうございました )
:「正しい事でも、それを主張するために 攻撃的想念を抱いた時には既に誤り」
:「悪を殺すは悪ぞ」 「悪を抱き倒してくだされよ」
:「人類の想念波動が 惑星の命運を握っている」
:「所有の幻想から覚醒することは 優良惑星人類への第一歩である」
:「気付きは日々の暮らしの中にあり。深山幽谷に篭もって得るものではない」
:邪神・邪霊が最も嫌う心。
それは「感謝の念」と「和する心」である。
「悪」を嫌ってはならない。
「悪」を責めてはならないとするのも
「悪」を憎んで悪想念を盛んに発することこそが悪であり、
その悪想念が邪神・邪霊を大喜びさせ、
力を与えることになるからである。
「悪」は悪でない。
「悪」に見えるその背景事情を
よく知性と理念の心眼をもって観察せねばならない。
理由あっての「悪」である。
『善悪を超越して正しく生きよ。』
:大方の地球人が転生する理由は、
シルバーバーチャル星人等が既に克服した
ネガティヴな思念を制御する学びの為である。
一方で人を愛しながら、他方で人を憎むという矛盾・分列した状態から、
厳しく深い大愛へと近づく入口を模索するため、
苦痛・苦難・苦悩の中にその身を置いて学ぶ 不良惑星人なのである。
優良惑星人は、既に苦痛、苦悩から解放され、
穏やかな日々の中により強くゆるぎない巨視的大愛を学ぶための
転生をするのである。
(優良惑星人とてかつては例外なく不良惑星人として生きた時があるのだ。)
:現在の地球の教育は自己完成を目指させ、
他を蹴落として生き残る我れ善しを教えているのである。
優良惑星として歴史の浅い惑星群で
子供たちに施すあらゆる教育の原点は
「汝、生命と利他の為に生きよ。」にある。
:病は、優良惑星へ帰還する切符である
利己心の制御・克服を 一念発起させ、
反省を促すための起爆剤なのである。
そういう意味では邪霊は、
その者が優良惑星に帰還する手伝いを
図らずもしていることになる。
ただし、己の観念や想念波動の使用方法の
どこにどう誤りがあるのか反省して目覚め、
己のエゴを打ち捨てる進化をする
建設的方向にある時、
結果的に‘手伝い ’になるのであり、
「冷水に身を置きて温かきを乞い願う」時は、
結果的に邪霊は災いの触媒となって更に不幸を呼び込むのである。
善きにつけ悪しきにつけ感謝すべしというのは
ここにも当て嵌まるのである。
:たとえ邪教に入信して
その誤った教説を聞こうとも、
その信者の理念が確かなら正神につながり、
正神の御箴言を百万遍唱えても、
その理念が我欲で曇り眠っていれば、
紙に書いた知識でしかなく、
その者の行く末は暗黒の境涯へと落ちていく。
:悪を行ってはいけないと訴える事は決して悪いことではない。
しかし、想念波動の作用を説かずに善を勧める時、
何が起こるか邪神らはよく知っている。
即ち宗教信者のみならず、一般の地球惑星人は
人々に善であることを望むものの、
実際に善を行わない人々を見て、咎め、怒りの心を起こして非難するなど
排他的想念を放射するのである。
また、悪を行う者を見て、
憎しみ、咎め、果ては「殺してしまえ」と攻撃的、排他的想念、
他を否定する想念を放射するのである。
勧善懲悪を強く推進しようとするほどに、
これらの悪想念を起こす衆人が多く出る結果を生むのである。
:不良惑星人には抽象的概念を理解する能力は
今となっては当たり前の能力であるが、
初発の人類や類人猿からすればその能力は
将に超能力に匹敵する摩訶不思議な力なのである。
それと同じように、
地球人の言う超能力は生命の進化に伴って賦与されるよう仕組まれ、
約束された当たり前の能力なのである。
霊能力のように背後霊の霊位の高低とその感応度により
結果を左右される不安定な能力とは異なり、
エゴを放擲した時に自ずと開く能力なのである。
この能力はエゴ、我欲を捨て切れない地球惑星人には
未だ‘超’能力という手の届かない領域にある能力だが、
優良惑星では(敢えて言えば)‘常’能力である。
:地球惑星人には俄(にわか)かには信じ難いことであろうが、
この銀河系だけでも、どの不良惑星も唯物科学の行き着く共通点として
手に入れる核の力とその誤用で地軸を傾け
流星化、小惑星化する惑星・遊星が地球時間の一年にして、
1,000星前後にも上るのである。
勿論、この数は銀河系内の惑星・遊星の総数においては僅かな数字だが、
そこで失われる生命進化上の犠牲は膨大な数に及ぶ。
地球惑星の場合63億人の人類に加え、
その数万倍の各意識段階にある肉体生命種と
その実数分の命が犠牲になる。
このような最悪の事態に至った場合、
他の数え切れぬ種族に対して、
愛無き人類はその愚行を一体どうやって償うつもりか。
:「同胞の死体をむさぼる肉食為す者の大部分は
「動物」と「肉」の繋がりを連想せざる無頓着なるもの多きなり。
連想せざるは「肉は食品なり」との洗脳の故にてもあり。
仮令(たとい)頭にては理解為すも、
己の嗜好的欲望の充足を優先為す頑迷固陋(がんめいころう)の
霊性低き者多きなり。
地球人類が肉食を放擲(ほうてき)せずして、
戦争、紛争、闘争のなくなる日を望むは、
冷水にその身を置きて温かきを乞い願うが如しといわざるべからず。
肉食の放擲なくば戦争の絶えうること無しとは、
大袈裟にても、喩え話(たとえばなし)にてもなく、
ましてや御伽噺(おとぎばなし)にても非(あら)ざるなり。」
今 震災という困難の中
ここに啓示された言葉たちは
私たちの 足元を照らすことが出来ると思う
社会の悪を暴くのは大切なことだが
自分たちのこころが
いつの間にか
醜くなっていないか
見つめられる者でありたい