自由という目的地へ

それはどこにあるのだろう
多くの血を流したどり着く地か
それとも
悟りの果ての 神の胸の中か

一対の言葉たち

2011年07月06日 | for some reason or other 徒然

福祉の研修で こころに残った言葉


   重度の障害を持つ人より インタビューに対しての注文


 :自分に関心を持っていることを 身体中で伝えてほしい

 :僕の表情を見ながら進めてほしい

 :「聴く」ために あなたの自己紹介やおしゃべりをしてほしい

 :質問する人ばかりしゃべってると 僕は疲れる

 :質問したら 僕の返事を ゆっくり待ってほしい

 :うまく返事ができない時は 「どういうこと?」と聞きなおしてほしい
  返事が出来ないのではなく 質問がわからない

 :1回で答えたくない時があるのに すぐ次の質問に行ったらびっくりする

 :感想をいちいち言わないでほしい

 :答えたことを勝手に決め付けられると「よく聴かない人だ」と思う

 :言葉があまり言えない人はかわいそう

 :今まで どんなふうに 障害のある人と付き合ってきたかが分かる

 :答えをもう決めているなと 感じることがある

 :話し終わって 気持がよかったなと思えるのは 本当に少ない

 :また話したいと思える職員になってほしい

 :利用者と話ができなくて 給料をもらってはいけないと思う







これらの言葉と
マザーテレサの言葉(姿勢)は まるで 一対の様・・



マザー・テレサの言葉 (英語、日本語字幕)

 http://www.youtube.com/watch?v=Y0WH5W1he_w&feature=related



 :優しい言葉は 短くても 簡単であっても
  その響きは 永遠である

 :微笑みは 平和のはじまり

 :会うときは いつでもおたがいに笑顔しましょう
  愛は 微笑みから生まれる

 :我々は人生で偉大なことを成し遂げることは出来ないが
  偉大な愛で 些細なことを成し遂げることは出来る

 :どれだけしてあげたかより どれだけの愛を注いでいるのかが大切だ
  どれだけ施したかより 施しにどれだけの愛を注いでいるのかが大切だ

 :私は 神が人類に宛ててラブレターを書く時
  その手に握られている 小さな鉛筆

 :話し始める前に 耳を傾けることは必要だ
  神は落ち着いたこころに話すから

 :些細なことにも 誠実に努めてください
  だって そのことにはあなたは力を見つけられる

 :我々は もし人を愛したいなら
  人を赦すことが できるようにならなくてはいけない

 :人は不合理、非論理、利己的です
  気にすることなく 人を愛しなさい

  あなたが善を行うと
  利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
  気にすることなく 善を行いなさい

  目的を達しようとするとき
  邪魔立てする人に出会うでしょう
  気にすることなく やり遂げなさい

  善い行いをしても
  おそらく次の日には忘れられるでしょう
  気にすることなく し続けなさい

  あなたの正直さと誠実さとが あなたを傷つけるでしょう
  気にすることなく 正直で誠実であり続けなさい

  あなたが作り上げたものが 壊されるでしょう
  気にすることなく 作り続けなさい

  助けた相手から 恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
  気にすることなく 助け続けなさい

  あなたの中の最良のものを この世界に与えなさい
  たとえそれが十分でなくても気にすることなく
  最良のものをこの世界に与え続けなさい

  最後に振り返ると あなたにもわかるはず
  結局は 全てあなたと内なる神との間のことなのです

  あなたと 他の人の間のことであったことは
  一度もなかったのです


                 マザーテレサ 






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死の瞑想

2011年07月01日 | Meditation 瞑想
              
              祈る者のいる風景

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 花を摘むのに
 夢中になっている人を
 死がさらっていくように 

 眠っている村を
 洪水が押し流していくように・・ 

           仏陀  


太古の昔から
殺戮や 天災、病気、老化等によって

命あるものは ひとつの例外もなく 命を奪われてきた



仕事の研修で、
被災地の応援に行っている人々からの報告を聞いた

数えきれない・・
多くの方々の 
死の恐怖を思うと胸が痛む・・


胸が痛むのは・・
むしろ 死ぬことよりも

その時の「恐怖」「絶望」「悲しみ」「痛み」

そうして その人だけでなく
その人を取り巻く者たちを含んだ

「愛する者との別れ」
その辛さに 覆われることだ



もしも「死」について
ネガティブなイメージではなく

それは自然なことで

「愛する者との別れ」を含め
いつか 誰にも必ず訪れることという

事実の認識 学習 訓練を
私たちが 日頃から 行っていたなら・・

仏陀でいえば 死の瞑想を 
人々が行っている文化であるなら・・

その痛みは半減していると
私は思う



   死の瞑想を行う

 君よ

 ヒトや ネコや 魚や ニワトリや カマキリや コオロギなどの
 生き物の死体を 見つけた時は
 死の瞑想をする きっかけにすること

 (略)

 それらを見かけたなら
 「怖い」「嫌だ」「悲しい」と
 条件反射を起こすかわりに
 君自身の体を その死体になぞらえ念じること

 「この私の身体も この死体と同じ物質でできている
  やがて死んだら 同じになる
  私も かならず死ぬ」と

 こうして死の瞑想を行って
 生存本能の呪縛を解くように

              長部経典「大念処経」

              超訳 ブッダの言葉 
              小池 龍之介    より



この 生存本能の呪縛は 

私たちの 身体を保つためには
大切な機能だけど

私たちの こころを

この身体 この不安定な世界に
執着 縛り付けてしまう


生存本能の呪縛に
飽きてきたならば・・

一歩離れて
自分や 人々の生存本能の呪縛に
微笑みを向けれる様に





  明日 死ぬと思って 生きなさい

  永遠に 生きると思って 学びなさい

           マハトマ ガンジー