自由という目的地へ

それはどこにあるのだろう
多くの血を流したどり着く地か
それとも
悟りの果ての 神の胸の中か

Jimny JB23 × 一ノ瀬高原 ソロキャンプ

2016年09月23日 | Outdoor カヤック キャンプ 


自由という目的地へ / 一ノ瀬 高橋の結界 からの続き







Jimny JB23 × 一ノ瀬高原 ソロキャンプ









OLYMPUS E-M1  
OLYMPUS ZUIKO DIGITAL ED 14‐54mm
OLYMPUS ZUIKO DIGITAL ED 50‐200mm

OLYMPUS TG-2 Tough
SONY Xperia Z5














その日
一ノ瀬高原キャンプ場は 雨の影響だろう
渓流沿いのサイトに数組ほどのキャンパーしかいなかった

僕は 離れたサイトで ほぼ 野宿状態で過ごした

場内の敷地は 広大で高低さがあるため
歩いて 全てまわることは 断念した

とにかく 自然の力の強い場所で
雨も多いのだろう いたるところ苔が生えていて
モノノケ姫の生息する森を連想する



























二つの 清らかな渓流が流れているが
強い雨が降ったことで 流れは強く
透明度は完全ではなかった

しかし 不意に目の前に
魚がいることに気付いた

すぐに見えなくなったので
撮影は無理かと思っていたが
カメラにしっかり 映ってくれていたので驚いた

強い雨で 流れが強かったからなのか
元気が無いようだ

ここでは 日釣券も売られているくらいなので
もしかしたら 一度釣られて
逃がされた個体だったのかもしれない






















雨の後の 落ちている木々を 手斧で切り 
拾い集め 焚き火をした

当然 水を吸った木々は
なかなか燃えてくれず
格闘していた

こんな時は 無理せず
せっかくのキャンプ場なのだから
マキを素直に購入すべきだった(学習)



久々の夏場キャンプは
標高が高い(1250m)といっても
ライトをつければ 虫君が大集合するので
早々と眠りにつく

次の日の朝は 寝過ごすことなく
美しい光に 包まれた光景を 見ることが出来た


予報では 朝から雨で
雨の中の撤収を 覚悟していたが

早朝の美しい光景を
プレゼントしてくれただけでなく
テント撤収後まで 雨は待ってくれた





















ソロキャンプ

何故 自分は 独りを選択するのだろう
自分でも 理解出来ていない 何か 理由が
あるのかもしれない

そんな 理由の数々を
言葉にすることもなく
僕は 焚き火の中に燃やし

美しい景色と 穏やかな時間の流れは
それらを しずかに 溶かしていく

そして
この自然から 帰る頃には
自分の顔も 少し変わっていることに気づく







































帰りは 大菩薩ラインから勝沼方面へ向かった

途中 森へのトレッキングルート入口に停まったが
この森には 熊がいる様だ

東京の 水瓶となる深い森

途中でも 深い霧がみるみる立ち込め 
前方数メートルも 見えない中の走行となった

自分には それらはとても 
嬉しいことでもあった

































標高が 少しづつ下がっていくと
人々の 営みが見えてくる

みごとな棚田

山梨 勝沼に広がるぶどう畑

広大な盆地に広がる街

人々の幸福を願い 
観音像が しずかに見つめていた








自由という目的地へ / 一ノ瀬 高橋の結界




一ノ瀬 高橋集落 と 一ノ瀬高原キャンプ場










  

一ノ瀬 高橋の結界

2016年09月01日 | Outdoor カヤック キャンプ 










OLYMPUS E-M1  
OLYMPUS ZUIKO DIGITAL ED 14‐54mm
OLYMPUS ZUIKO DIGITAL ED 50‐200mm

OLYMPUS TG-2 Tough
SONY Xperia Z5





不安定な 大気の中を 走り抜けていく
つい先程まで 激しく降っていた雨は 止んでいた

携帯のナビが導いたのは
奥多摩湖を抜けていくルートだった

久しぶりに見た 奥多摩湖は
水を 欲し 無残な岩肌を見せている


前日の夜に思い立ち 

僕は 山梨県 標高1250mのキャンプ地 
一ノ瀬高原キャンプ場を目指していた
















だんだん 深い山間部に入り込んでいく

一ノ瀬 高橋というエリアに入ると
携帯のナビが 効かなくなっていることに気づく

僕は 進路を間違え
ちがう道に 入り込んだ様だ

だけど この道からも 
行けるはずだ

そのまま 進んでいく



















なんて気持ちのいい道なんだろう

こんな 気持ちのいい道は
久しぶりだった

横には 道に沿って
小さな川が サラサラと流れている

強い雨に 洗い流された大気から
日の光が 周囲の緑も 集落の廃墟にも降り注ぎ

何もかもが 美しい





















しばらく進むと
三界万霊等という石碑が見えてくる

このエリア一帯が 結界になっている
そう感じた

後で この場所のことを調べると
やはり 同じことを感じる人がいる様だ



その感じ方は
人によって 違うらしい

ある人は 恐怖を感じ
引き返した方がいいと感じる場所   
いい加減な気持ちで 入ってはいけない場所であり
カメラを向けることさえも 気が引ける

また ある人には 彼岸
日本人の仏教信仰に存在する 
死んだ後 三途川(さんずのかわ)の向こう岸の世界
そんな 日本人の故郷の様な 魅力を感じる場所であった



僕にとって このエリアは
居心地の良い 懐かしさを感じる場所だった 

そう 彼岸 という言葉が
僕にも理解できた
















廃墟や 古びた別荘等の集落
よく手入れされた 静かな白樺の森 
川の流れの横の小さな祠
せせらぎが幾重も流れる場所を横目に進んでいく

東京都の水源地管理の作業員を乗せた車とすれ違った以外
他に人は見なかった


ダートの林道をしばらく進むと 通行止めのゲートがあり
道を引き返す

午後も過ぎ 僕はキャンプ場へ急いだ















僕は
このエリアにいる時間

心地良さを あまりにも感じていたため

この地域のことが気になり
帰ってから しばらく調べ続けていた




一ノ瀬 高橋という地は
武田信玄の金鉱で働いていた人々の末裔の集落で
今は過疎化が進み 廃墟が多い

その入口には つつましやかな 金色山 放光寺があり
三界万霊等がある

三界万霊等とは 簡単に言えば

この世界の全ての霊
苦しみと救いの必要な者から
この世界で神とも言われる者まで
全ての霊への供養を示すものらしい



ちなみに 
昔 金山の口封じのため 殺されたおいらん達の
たたりが恐れられている おいらん淵も
離れた場所ではあるが 
一ノ瀬 高橋の地に存在している



僕は この結界に「呼ばれた」「呼んでくれた」
というインスピレーションがあった

その理解で 全て腑に落ちた


また もし機会があれば 
もっと時間をかけ 丁寧に向き合いたい
そんな 場所となった




つづく






一ノ瀬 高橋集落 と 一ノ瀬高原キャンプ場






資料

一ノ瀬高橋の春駒 Wikipedia



三界萬霊 さんがいばんれい やさしい仏教入門






 

ヒグマと 冒険家の死

2016年01月17日 | Outdoor カヤック キャンプ 



ロシア ハンター ライフル 熊 クマ ヒグマ グリズリー 速い 襲いかかってくる









この世界で

自分は 毎日あくせくと 仕事と家庭の往復で 
時間と命を 費やしているが

いつか 一週間だけでもいいので 

ジムニーに テントとカヤック カメラを乗せて
北海道を 放浪することが いつの頃からか 夢となった

その時「ヒグマ」という生物は
大きな存在となって 自分の頭の中に ついてまわる




ヒグマと 遭遇した時の対応も 逃げないことだという
逃げる者を ヒグマは追う習性がある

そして 刺激しない様に少しづつ下がることが基本らしいが

クマが 捕食目的かどうか 人間と分からず近づいて来たのかどうか等
その時のクマの状態や 距離等の状況でも 対応は異なって来る様

その場 その場での判断が重要になるのだろう 





ヒグマの対処法も 調べると詳しく記載されている

知床財団/もしも…出会ってしまったら!~ヒグマ対処法





クマスプレーは 常に携帯することになるし
大型のサバイバルナイフも持っていくだろうが

1トンのカギ爪のついた腕のパンチ力と
60キロのスピードで突進してくるヒグマ相手では 
確率の低い 賭けとなるだろう





冒険家 写真家の 星野道夫氏は
ロシア カムチャッカで ヒグマに襲われ亡くなった

おそらく 星野氏にとって その死は 
予想外ではあっても 極めて自然な死と認識したはずだ

社会では 悲惨な突発事故と認識されても

長く ツンドラの自然にキャンプを張り 
自然と同化してきた星野氏にとって
生命が 自然に帰ることは 当たり前のことであった




いつか 死は
誰の身にも 自然にやってくる

死についても リスクと同様に

知識や認識を持つことで
「パニック」や「恐怖」を持つことなく
対応することが出来るのだろう




人は 怖いもの 理解できないものに
目を向けることに 不快感を表し勝ちだが

私たち自身にとって
生や死 こころといったものにも

納得できる 深い認識を持つ事が出来るなら

短い この世界での 有り方もまた
「恐怖」と「幻想」に蝕まれることの無い 
違うものになるのだろう 






ー いつの日か 自分の肉体が滅びた時
  私もまた 好きだった場所で土に帰りたいと思う

  ツンドラの植物に わずかな養分を与え
  極北の 小さな花を咲かせ

  毎年 春になれば
  カリブーの足音が 遠い彼方から聞こえてくる

  そんなことを 私は時々 考えることがある



ー 私は いつしか 目に見えるあらあゆるものは
  地球という自然が 再生している
  つかの間の 表現物にすぎないのではないかと
  思うようになった

  人間さえ その例外ではない
  植物が 大地から顔を出し
  再び 土に還ってゆくように・・


             星野 道夫






冒険家は 長い自然との対話の中で

神を 見いだし始めていた


それは

自分を捕食する ヒグマの中にも

見ることのできるものだろう







知床財団/もしも…出会ってしまったら!~ヒグマ対処法


出会わないために~ヒグマ対処法







 

カヤックの上の 幸福な時間 - Sevylor QuikPak K5 Kayak

2015年10月06日 | Outdoor カヤック キャンプ 
カヤックの上の 幸福な時間 - Sevylor QuikPak K5 Kayak








夏の終わり

僕とララは K-5カヤックをジムニーに乗せて
相模川の河川敷に 出かけた


誰も知らない

小さな 物語が
あちらこちらに 落ちている

















































太陽が 傾いていく中

光に包まれて


僕たちは ただただ

何もせずに カヤックの上で 

たたずんでいた



















































この光の中に

たたずんでいると



この世界で 起きている

争い 恐怖 不安 

果もなく蓄積された 問題


日々 押し寄せてくる

大量の出来事など

まるで 夢のようだ
























あんなに 暑かった

あの夏の日が 終わろうとしていた






















ジムニーという道具

2014年09月13日 | Outdoor カヤック キャンプ 














日本の細い林道に入れる
コンパクトさを持ち

悪路を走破できる軽さと 
ローレンジを備えた
本格的な四輪システムを持ち

トラックの様に 頑丈で耐久力のある
ラダーフレーム構造(骨格)を持つ車

悪路走破性では世界1と言われる



昔 ジムニーJA11を購入し まだ間もない頃

海岸に遠出をした僕は 
誤って砂浜に乗り入れてしまい
タイヤが砂に埋まり 
脱出出来なくなってしまった

このまま 潮が満ち
海に沈む姿が 頭をよぎったが

この車が 4駆であることを
すっかり忘れていることに気ずき
初めてトランスファーを 4駆動に入れ 動かしてみた

ジムニーは 今までがまったく嘘の様に動き出し
何の問題もなく砂浜を脱出した

その時の 驚きを まだ覚えている






関東大雪!ジムニーが牽引した車とは、samurai spirit「SUZUKI Jimny660cc」







ジムニーに乗るようになって
20年ほどになるが

雪の中で 立ち往生した 車を
実は 僕も何回か 
牽引して助け出す機会があった


そのため 今も
常に 牽引用ロープやスコップ
エマージェンシーキットを積んでいる














長い 歴史を持つこの車は

今は自動車業界には無い ホープ自動車が
不整地用万能車として その原型を 作り出した

現在の洗練された形になるまでの
歴史にも 魅力がある

ジムニー馬鹿だった僕は
このビデオを 幾度となく観たものだ






History of Suzuki Jimny part1/5

2/5へと続きます





家での 先代JA11は
スピードも80キロを越すと
エンジン音で何も聞こえなくなり

サスペンションが ダンプや昔のトラックと同じ
リーフサスペンションだったため
長距離を走ると 乗り心地の悪さで
目的地に到着する頃には 疲れきってしまう

ほんとうに 山間部での生活や作業
クロカン目的のための道具といった感じがあった
(山間部では ジムニーはよく見られる車の一つだった)






JA11型 WILD WIND カタログより
なんちゅうかっこよさだあ…(* ̄∇ ̄*)





JA22から
本格的に 広いユーザーを見据えた乗用タイプが出たが

そこには パジェロミニという
ライバルが出現したことが 理由にあった

当初 武骨なJA11ジムニーは 
数値に現れる多くの面で パジェロミニに劣っていた

最高速度や 静粛性 振動 乗り心地等の居住性等だが

ジムニー馬鹿としての僕には 
それは 許されぬことであり

改良版ジムニーを 自分で考えては絵に描き出し 
巻き返しを願っていた(馬鹿だね~ 笑)



今になって思えば

モノコックボディーを選択し
乗り心地等の性能にも抜き出たパジェロミニに対し

ラダーフレームといった 剛性 耐久性を捨てることなく
道具としてのジムニーが 譲れない基礎を保った上で

現在の 乗り心地もよく 高速でも何も問題のないジムニーへ
改良されていったのは パジェロミニがいたからだった


結果として ライバルの出現は
ジムニーを JB23に大きく進化させ 現在に至る


2013年 宿敵パジェロミニは 生産販売を終了
何か 寂しさを感じてしまう



















昔 インドネシアのバリ島に行った時

ジムニーは カタナという名前で
僕の目の前を 何台も通り抜けた


アメリカではサムライ 
オーストラリアではシエラと名前を持ち

世界中で信頼されている道具でもある







東北の震災後 しばらくして 

被災地では 小さな4輪駆動の車が
非常に 求められていることを
自動車関係者から聞いた



ジムニーという道具は 

特に そんな 切迫した状況の中で

信頼に 答えてくれる 
優秀な道具であることに

間違いはない
























僕は 少年時代から 車などまったく興味が無く

当時 大流行した スーパーカーブームにも
何も 魅力を感じなかったが

このジムニーという道具は
今も 手放すことが 出来ない




家で 2代目となるJB23も
購入してから16年の月日が過ぎた

子供の保育園への送迎から 今は塾への送迎と代わり 
お爺ちゃん お婆ちゃんの通院も加わり
げた代わりに 毎日使われ
走行距離も 10万キロに近づいた

それでも
時々の アウトドアや非常時に 
能力を発揮してくれている







ジムニー × カヤック


自由という目的地へ / ジムニー×カヤック






● ホワイト スコット リミテッドを作ってみた


JA11の頃 スコットリミッテッドという
黒塗装の限定車が存在していた

SCOTTの名の由来は
おそらく スポーツメーカーとの提携だが

もとは 南極大陸を探検し 極点に到達した
探検家のスコットの名から来ていると思われる

南極で遭難し命を落とした 冒険家の名とスピリットは 
僕にとって 尊いものだ



今は無いスコットの
スペアタイヤカバーを 中古で安く買い
ロゴ以外を ラッカーで白く塗布してみた 

現在乗っているJB23に付け
白スコットリミテッドと呼ぶ

(ノ゜ο゜)ノ オオォォォ-
いい感じじゃ~ん

(ほんとに馬鹿だね・・)


ただし お金がないので
中古のキャリヤを付けた以外はノーマルです~



そして ボンネットには
自然保護の父と言われる ジョンミューアが作った
古くからの環境保護団体 シエラクラブの
ボロボロのステッカーが貼られている

自然を愛し 破壊しないという
スピリットを 忘れない












最近 あまり見られなくなった アメリカの代表的な環境保護団体 シエラクラブのステッカー  
もうボロボロだあ・・






資料

スズキ ジムニー



スズキ・ジムニー ウィキペディア



ロバート・スコット ウィキペディア


シエラクラブ ウィキペディア