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祈る者のいる風景
OLYMPUS E-1
OLYMPUS ZUIKO DIGITAL ED 18-180mm
Postwork:PhotoShop7
花を摘むのに
夢中になっている人を
死がさらっていくように
眠っている村を
洪水が押し流していくように・・
仏陀
太古の昔から
殺戮や 天災、病気、老化等によって
命あるものは ひとつの例外もなく 命を奪われてきた
仕事の研修で、
被災地の応援に行っている人々からの報告を聞いた
数えきれない・・
多くの方々の
死の恐怖を思うと胸が痛む・・
胸が痛むのは・・
むしろ 死ぬことよりも
その時の「恐怖」「絶望」「悲しみ」「痛み」
そうして その人だけでなく
その人を取り巻く者たちを含んだ
「愛する者との別れ」
その辛さに 覆われることだ
もしも「死」について
ネガティブなイメージではなく
それは自然なことで
「愛する者との別れ」を含め
いつか 誰にも必ず訪れることという
事実の認識 学習 訓練を
私たちが 日頃から 行っていたなら・・
仏陀でいえば 死の瞑想を
人々が行っている文化であるなら・・
その痛みは半減していると
私は思う
死の瞑想を行う
君よ
ヒトや ネコや 魚や ニワトリや カマキリや コオロギなどの
生き物の死体を 見つけた時は
死の瞑想をする きっかけにすること
(略)
それらを見かけたなら
「怖い」「嫌だ」「悲しい」と
条件反射を起こすかわりに
君自身の体を その死体になぞらえ念じること
「この私の身体も この死体と同じ物質でできている
やがて死んだら 同じになる
私も かならず死ぬ」と
こうして死の瞑想を行って
生存本能の呪縛を解くように
長部経典「大念処経」
超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 より
この 生存本能の呪縛は
私たちの 身体を保つためには
大切な機能だけど
私たちの こころを
この身体 この不安定な世界に
執着 縛り付けてしまう
生存本能の呪縛に
飽きてきたならば・・
一歩離れて
自分や 人々の生存本能の呪縛に
微笑みを向けれる様に
明日 死ぬと思って 生きなさい
永遠に 生きると思って 学びなさい
マハトマ ガンジー