かくれんぼの雑記帳

前向きに生きるためのエンディングノートとして、日々の喜怒哀楽や驚き、感動、考えたことを記録します。

共同墓と家族の死

2021-01-10 13:35:37 | 終活
8年前の1/18 に母が癌で亡くなった。
明日朝コワークで席取りした後、時間を作って墓参りに行かなくては。

私の父が若い頃に建てたそのお墓は、神奈川県の津田山にある。

父は4人きょうだいの長男だったが、すぐ下の弟が若くして事故で無くなり、
その時に建立したそうだ。
墓碑にはその弟と、父の両親、私の母の戒名が刻まれている。

私も長男だが、かなり以前からその墓を継ぐ意思はなく、去年の3月に、
自分の墓として、築地本願寺の共同墓を申し込んだ。
津田山のお墓は弟が引き継げばよいだろうと。

この「共同墓」というお墓の形式は、一種のイノベーションで、
それまでCDを購入しながらもカセットテープのプレーヤーにこだわって
いた私が、NOMADのMP3プレーヤーを見た時に感じた気持ちを彷彿し、
すぐに本願寺に申し込んだ。

年末に自分の名前(本名)が彫られた場所を観に行ったが、
とても不思議な気持ちになった。一つ生きている間に準備しておくべき
ことを終えたんだという、そういう実感があった。

家族の単位が細かくなりすぎたこの時代、今後それほど遠くない将来に、
「共同墓」の方が墓の主流になるだろう。
関係する業界は大変な潮流に巻き込まれているのは間違いない。


去年4月に、津田山のお墓に入る人がさらに増えた。

母は亡くなる前、父との関係が悪かった。それでも離婚はしなかったが、
二人の間には何も会話はなかったようだ。
母は「私は飯炊き婆さんではない」とよく言っていた。
料理のメニューの札を作り、父に選択させるというディスタンスな
関係をその頃から先取りしていた。

母が亡くなった後、私はそれまで以上に父と弟とは疎遠になった。

父はある人から何かを言いくるめられているようで、遺産、というほどのものは
全くないはずなのに、それを私が狙っている、というようなことを吹聴していた。
何年か前に父に、私にこの先関わらないでほしいということを伝えていた。

連休前に知らない人から電話が入っていた。誰かわからない電話には出ないので、
放っておいたのだが、留守電のメッセージから父の妹であることが分かった。

そのおばさんの振舞いを観るのは前から苦痛で、母の葬儀の時以来7年以上、
一度も連絡を取る関係ではなかった。

その人からの連絡。おめでたい話であるはずがない。

母の葬儀の後、一度も連絡をしたことがない親戚がなぜ、私の番号を調べて
連絡をしてくるのか。普通に考え、誰かが亡くなった可能性があるだろうと。
そしてそれは父だろうと。
もし父であったら、弟が喪主として葬儀を取り仕切れば良いので、葬儀に
出席する必要はない。そう考え、連絡を求められているのをさらに無視していると、
ショートメールが来た。

そこで、亡くなったのは父ではなく、私の弟であることを知った。

今思うと、父か弟がどちらかが亡くなったとしたら、生きている方が
連絡を寄こすのが、普通の血縁関係であろう。
父が亡くなった場合、弟は連絡をしてくるだろうが、父は弟が亡くなったことすら、
私が言った通りに連絡をしてこなかった。

連絡が来た後も、親戚に会うのが苦痛で、行くかどうかは非常に迷った。
弟の配偶者はほとんど会ったことがないが、普通の人という印象があったので、
欠席はその人に大して失礼であろう。最終的に出席する決心はそこにあった。


葬儀場は八王子市の火葬場だ。母は葬儀会場は別の場所だったが、火葬はここで
されたことを思い出した。早く到着してしまったが、できるだけ親戚と関わる時間を
減らしたく、火葬場に隣接する公園の藤棚で気持ちを落ち着け、会場には定刻に入る。

親族側としての出席者は父と、弟の配偶者と私だけだった。
当たり前のように親戚から受付をやるように言われ、遅れて葬儀進行に参列する。
葬儀は初七日の法要を合わせた、コンパクトな一日葬という形式だ。


とある研究会で、「コロナ禍で葬儀業界は大変な逆風」というレポートを、
半年かけてまとめたこともあって、貴重な場面に遭遇していることを実感する。

通夜もある一般葬を選択するケースは年々少なくなっており、都会では
出席者が限定された家族葬が主流になり、火葬場にそのまま遺体を持っていく
ケース(直葬)も増えている。

日本での死者はあと20年は増加傾向にあるといっても、葬儀業界はこれからは
生きている人を相手にビジネスをしていかなければならないはずだ。


関係者側には、その親族(父の妹と弟、各々の夫婦)、弟が働いていたと
推察できる運送会社の方々が参列していた。
茶髪の兄ちゃんが、涙を流してくれている。

親族や親戚以外で、弟の死を悲しんでいる人がいることが、
なんとも不思議な、そしてありがたいことなんだろう、という気持ちになる。

「だろう」というのは自分の死で置き換えた時に場面を想像できないから。
弟の配偶者も悲しんでいたが、それを当然のことと思えない私が死んだときに、
身近に悲しんでくれる人はいるだろうか。


このコロナ禍の状況で、祭壇に向かって左側は密、右側は3人だけ
という形で参列者に申し訳ないという感情でしかない。
ああやって、コロナ禍であっても出席者に棺を持たせる接触機会を設けるんだと。

葬儀が終わり火葬が終わるまでの間、初七日法要に対応した食事が出された。
こんな時に食事が必要だろうか。こういう当たり前も変わっていくのだろう。

そんなアウェイの場所では正直何もしゃべりたくないが、その親戚がいろいろ
話しかけてくる。
父や弟と関係が強かったその親戚との会話で、私の親戚同士の仲が悪いことや、
父の話す被害者意識の諸悪の根源はこの父の妹という人物だと確信した。

場面場面で、その場にいない人、既に亡くなって反論できない人を貶めて、
うまく立ち回るのに長けた人、といった感じを強烈に受ける。

この先どこかで父が亡くなった時に、父の遺言で私の方には葬儀の連絡が来ない
可能性もあるだろう。その後に、何かの費用請求をされるとかその可能性すら、
考えておかなければならないと強く意識を新たにした。死人に口なしの諺通りだ。


一連の葬儀の中で、こちらからは何も話しかけないし、周囲の人もその事には
触れなかったので、私の心に疑問として残っていることがある。

それは弟がなぜなくなったのか。

少なくとも葬儀の形式から、新型コロナではない。
棺の中の顔は痣などがあって、唇に内出血も見られて、病気で死んだという感じ
ではなかった。

さらに疑問なのは、位牌に書かれていた命日で、葬儀の10日前くらいの日だった。

これはどういう可能性を考えればよいのか。
亡くなった日から葬儀の日までそんなに長い空白期間が発生するというのは
どのような場合なのか。

病院で亡くなったのであれば、そこまでの空白はうまれないだろう。
弟は家族がいるため、孤独死ということもないだろう。
会社の勤務中の運転の事故などで、長期間行方不明になったりも想像は難しい。

自殺や、何かの犯罪に巻き込まれたというような話であれば、遺体の解剖を
経て戻ってくるまでに時間がかかるという可能性はある。その場合、
葬儀会場に独特の雰囲気が醸し出されると思うが、それらの棘のある感覚は
しなかった。

あとはものすごく市営の火葬場が混雑していた、とかだろうか。
それも4月末の気候で、そういう場面は考えにくい。

位牌に書かれていた命日は関東では大雨が降り、悪天候だった日。
弟は写真を撮影する趣味があったので、どこかの山で遭難して、
発見が遅れたようなケースは考えられる。

私のこの疑問は、どうしても明らかにしなければならないものでもないので、
偶然の誰かからの囁きがない限り、疑問のまま、築地まで持っていくことに
なりそうだ。そして、

私が自分のお墓を買ったことがきっかけで、母が自分の入っている墓に弟を呼び寄せた。
母が呼び寄せるとしたら、それは父ではなく、お墓を買った私でもない別の肉親。
(子どものいる弟が、墓に入るのは敷居が高そうだが)

という、今回のことをただの偶然としてで処理できない確信に近い
気持ちが私の中にはある。疑問の答えは既に出ているのではないか、と。