2021年4月25日(日)、三回目の緊急事態宣言・・・
「端午の節句」の起源は、今から約2300年前の5月5日に川に身を投げた中国の楚人「屈原(くつげん)」の故事によるとのことです。5月は季節の変わり目で体調を崩す人や亡くなる人が多く、厄除けのための行事として行われていました。奈良時代にこの行事が日本に伝わり、当時行われていた菖蒲で身を清める厄除けの風習と合わさり、後にはお祝いの行事として発展してきたと考えられています。
今が奈良時代であれば、人々はこの目に見えないコロナウィルスを恐ろしい邪気として、その祓いを端午の節句に必死に祈ったであろうと思います。
邪気払ふ玄関端午兜かな
妻かざる個室の空に鯉のぼり
子らの幸祈る一隅鯉のぼり
この端午鍾馗に願ふ邪気払
我が家では、奥さんが家の中に邪気が入ってこないよう、玄関には兜を、居間には鍾馗さまを飾ってくれています。ひと息つく小さな憩いの一室にも鯉のぼりが飾られ、我が子とこの世の子らみんなの幸を祈るひと時を与えてくれています。
邪気はらふ我が家の端午作品展
我が家の端午の作品展。鍾馗さまの絵と書「無」は奥さんの作品です。孫娘は共白髪を描いてくれました。書「阿吽」と雀鷂(ツミ)の写真は小生のです。今日は好天の宣言三日目、みんなに邪気払いをお願いしたくなりました・・・
適応力人も逞し鯉のぼり
那須塩原温泉から駅までの途上にて
緊急事態宣言直前の4月23日に那須塩原温泉旅行から東京に戻ってきました。那須塩原温泉から那須塩原駅への途上で、一軒の民家に風にたなびくいくつもの鯉のぼりを見ました。東京住まいの私には懐かしい光景です。このお家は大家族のようです。古代より続いてきた子孫繁栄。この鯉のぼりを見ながら、厳しい自然環境の変化を潜り抜けてきた人類の環境適応能力はウィルスにも負けず劣らずに凄いな、と思いました。
にもかかわらず、経済的に豊かになった国(個人ではない)における今の少子化の問題の根源は、人間の物理的身体から独立して独り歩きを始めた「精神」、「心」、そしてその「精神」、「心」が生み出した「社会的仕組」にありそうです。
この塩原八幡宮の池の水は本当に澄んでいます。錦鯉が気持ちよさそうに泳いでいました。
ウィズウィルス 定め明るく 世は四月
コロナウィルス感染の再拡大が懸念されています。
PCR検査体制はいつまでたっても拡充できない。ワクチンは作れない。この二つの総元締めである厚労省の役人は3密を破って宴会をする。日本はいつの間に後進国に衰退していたのだろう・・・
平時に、疫病も含む自然災害、戦争に備えるのが国の役目。目に見える軍備増強に現(うつつ)を抜かして莫大な国費・税金を投入し、地道な研究開発が必要で投資効率が相対的に低い疫病対策は市場経済原理に委ねる。このようなこれまでの国の施策が、今日の事態を招いているのではないか?
このような政府を選んだのは日本国民ですから、自業自得か・・・
3月30日の毎日新聞朝刊に、「日本のワクチン開発」に関する塩野義製薬・医薬研究本部長・木山竜一博士のインタビュー記事が掲載されていました。
木山氏はエイズの治療薬開発に携わり、世界で最も使われる薬の一つを作ることができたと述べられています。しかしながら、今の「日本は感染症の専門家が少なくなってきている。感染症治療薬の薬価が低い国内では、研究者や製薬会社の意欲が上がりにくく、民間企業にとっては株主の理解を得るのが難しい分野でもある。・・・、日本独自の変異ウイルスが確認されているが、海外メーカーが日本専用のワクチン開発をすることはない。欧州連合(EU)のワクチン輸出規制のような動きもある。そのような場合に備え、国内でもワクチンを開発、製造できる体制が必要だという認識が共有されるようになった。」
製薬事業は国の、あの厚労省の厳格な管理下にありますから、木山氏の発言は政府に遠慮しているようにも思えますが、ようやく、政府もワクチンの開発・製造にかかわる国の機関や民間を後押しするようになったのか、と思いました。
今日から四月。サクラは満開か散り始めましたが、若葉が出始めています。あの雪柳は、真白な花に代わって小さな無数の葉の緑が実に豊かに活き活きしています。木や草の花も百花繚乱。自然は疫病に関わりなく、逞しく、美しく彼らの生を営んでいます。
ウィルス感染対策に関しては、ここ当分、国に頼れない状況がはっきりしています。自他防衛のため、そして精神的に参らないため、ウィズウィルス、三密、マスク、これがこれからの生活様式と思って、明るく生きましょう、「大空を見上げて」!!!